【概要】
北アルプスに入山し、下山予定日の今月16日を過ぎても戻らずに行方が分からなくなっていた東京都江東区の会社員女性(61)が30日、大町市の三俣蓮華岳近くの湯俣川で16日ぶりに救助された。30日午前9時半ごろ、三俣蓮華岳方面から湯俣川を下ってきた8人パーティーが「助けてください」との声を聞き、沢筋から一段高い場所の岩陰にいた女性を見つけた。パーティーのメンバーがカステラなどを食べさせ、山岳ガイド(53)が4~5キロ下流の山小屋「晴嵐荘」に連絡して救助を要請。長野県警のヘリコプターに救助され、同県松本市内の病院に収容された。衰弱しているが、外傷はなく、意識もはっきりしているという。女性が見つかったのは双六小屋から約7キロ離れた標高1700メートル付近にある湯俣川と赤沢の合流部付近。女性は13日に岐阜県高山市の新穂高温泉から単独で入山。山小屋に泊まりながら3泊4日で北アルプスを縦走し、16日に富山市折立に下山する予定だった。13日は笠ケ岳近くの笠ケ岳山荘に泊まり、14日に双六岳近くの双六小屋で昼食を取った後、三俣蓮華岳方面に向かう途中で道に迷い、斜面を滑り落ちた。現場は急で登れなかったため、沢を下った。発見直前の3日間は同じ場所でビバーク。食料は少ししかなく、川の水を飲んでしのいだという。女性は一人暮らしで、連絡がとれないことから心配した娘が自宅を訪れて登山計画のメモを見つけ、22日、岐阜県警高山署に捜索願を出していた。救助前の3日間は発見場所近くの岩のすき間で野営した。非常用の食糧やテントは持っていなかったという。女性の登山歴は10年以上という。女性が発見された場所は廃止された登山道近くで、登山者が通ることはほとんどない。
(朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、中日新聞、信濃毎日新聞よりデータ引用・抜粋)
【考察】
まずは無事救出、何よりでした。
2週間ぶりの救出など、共通点の多い前項とあわせて読んでいただけると幸いです。
天候が15日以降落ち着いていた点が大きなポイントだったと思います。
一度でも大きく崩れていれば、違った展開になったと思います。
計画からすると、なかなかの健脚コースでしょうか。
おそらく軽量化された装備での入山だったと思います。
前項で述べた日帰り装備についてに関連して。
テントなどがない状態でのビバークですので、やはり好天の意味は大きかったと思います。
これはラッキーな点でした。
今回のようなケースを考えると、ツエルトは携行すべきだったのではないでしょうか。
また、小屋泊まり予定だと、食料が貧弱になります。
この女性がどれほどの食料を持っていたのかは不明ですが、やはりある程度は持っておくべきでしょう。
さて、事故の原因は道迷い→滑落という点に行き着きます。
13日と14日は、前線の影響などで天候がいまひとつだったようです。
ガスに巻かれて道に迷い、その挙句に滑落し、道に戻れなくなり・・・。
そういった展開だったのでしょうか。。。。。
で、あのルートって、迷うようなところがあったろうか?
だいぶ記憶がぼやんとしているので、はっきりとは言いにくいのですが。。。。
いずれにしても、人通りの少ない場所でビバークしていたわけで、たまたま近くを通ったパーティーがいたこともラッキーでした。
いくつかの幸運が重なった結果、無事救出に至った、ということだと思います。
16日に下山予定、家族からの通報が22日。
すでに6日のロスが発生しています。
娘さんが自宅に行きメモを発見したため、通報・捜索となったようです。
前項と同じ内容になりますが、やはり計画書を家族に渡しておくことの重要さがここでも・・・・。
もう一点、前項との共通点。
沢筋という、水の確保が容易な場所でビバークしていたことも大きなポイントだと思います。
水さえあれば1ヶ月近く生きられると教わった記憶があります。
もちろん、気温が低かったり天気が悪ければその期間は短くなっていくのでしょうけれど。
救助を待つ場合には、水の確保が重要なポイントになってくるのでしょう。
動き回らずに体力を温存したり、食料を食い延ばしたりも同時にやるべきことです。
また、沢を下り続けるのは危険なので、水の確保ができる場所でじっとしていることが重要なのかもしれません。
また、この女性は沢筋から一段高い場所でビバークしていたようです。
増水や鉄砲水への警戒も同時に必要になってくる、ということです。
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- 2010/09/01(水) 02:41:30|
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【概要】
27日午後3時5分ごろ、埼玉県小鹿野町の両神山(標高1723メートル)の七滝沢で、東京都大田区の会社員男性(30)が座り込んでいるのを、捜索していた県警山岳救助隊が発見、同県秩父市の病院に搬送した。男性は左足首を骨折し衰弱も激しいが、命に別状はないという。男性は13日夜、家族に「日帰りで秩父の百名山に行ってくる」と言って、自宅を出発。14日朝、母親(63)の携帯電話に「天候が悪いけど、これから登ります」とメールしたのを最後に連絡がとれなくなった。家族が15日に県警へ届け出て、山岳救助隊が捜索を続けていた。発見までの2週間、あめ玉7個と沢の水を飲んで過ごしたという。「あめ玉7個を少しずつなめていたが、1、2日で尽きてしまった」と話したという。男性は発見時、沢と岩の間に横たわるように腰を下ろし、雨傘をかぶっていた。隊員に声をかけられると「手を握ってほしい」と求め、隊員が応じると涙を流したという。当時は強い雨が降っていた。現場は渓流に近く、隊員が男性を安全な場所に移動させた後、倒れていた場所は増水で水没したという。捜査関係者は「間一髪の救出だった」と話している。男性は今年山登りを始めたばかりで、両神山への登山は初めてだったという。熊谷地方気象台によると、同山のある秩父地方では23日以降、連日、雷と大雨洪水注意報が発令されていた。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、東京新聞、時事通信などからデータ引用・抜粋)
【考察】
アメ玉7個で2週間・・・・なかなか衝撃的でした。
怪我をしたとはいえ、生還できて何よりでした。
さて、多くの幸運が重なったケースだと思います。
倒れていた沢筋、救助直後に水没。。。。。
発見が1日遅れていたら・・・・。
天候の面からすれば、完全にラッキーだと思います。
秩父の百名山って、2つか3つあったように思います。
ですので、どこで遭難したのか、分からないまま捜索が始まったことになります。
捜索のスタート時点から、混乱があったんではなかろうか。。。。
きちんとした計画書を警察署や家族に渡していれば捜索範囲が絞られてくるので、もう少し早い救助に至ったのではないかと思います。
よく言われている計画書の提出。
やっぱり重要なことです。
また、通報を受けてからの救助隊が、これほど長期にわたって捜索を続けたことには頭が下がります。
日帰り装備の弱点として、食料の貧弱さがあると思います。
軽量の荷物でパッパと行って帰ってくるわけですから、弁当と行動食程度でしょう。
アクシデントで2日以上にわたるハメになったら。。。。
やはり少し多めに食料を持っておくべきかも。
どれだけ?というのは、なかなか難しいですが。。。。
日帰り装備の内容、少し考えてみてもいいかもしれません。
事故様態、骨折をしていたことから、おそらくは転落か滑落であろうと思われます。
アメ玉7個で2週間→生還!という事実が大きすぎて、事故様態がほとんど報じられていませんでした。
なんとも不思議な感じでした。
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- 2010/08/30(月) 22:32:51|
- 遭難カルテ
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【概要】
16日午後4時ごろ、北アルプス・剱岳(2999メートル)へ出かけた男女8人のパーティーが下山予定日を過ぎても下山せず、連絡が取れないと同じ山岳グループの関係者から、富山県警に連絡があった。8人は兵庫県芦屋市を拠点とする山岳会アルペン芦山所属で、59~67歳の男性2人と女性6人。17日午前6時ごろ、剱岳の北方稜線上2850メートル付近で三つの簡易テントにわかれてビバークしていた8人を県警ヘリが発見、救助し室堂まで搬送した。一行には疲労が見られるものの、けが人はいないという。一行は12日に室堂から入山。3泊4日の予定で15日に下山予定、16日は予備日だった。15日朝に剱岳中腹にある山荘を出発したあと、山頂を目指していたが、メンバーの一人が15日午前、知人に「いま北方稜線にいる。雨で難儀している」と電話をかけて以降、連絡が途絶えた。剱岳周辺の15日の天候は雨、16日は小雨が降るうえ強風が吹いていたという。一行のリーダーの男性(63)の話では、15日午後4時ごろにガスが立ちこめて視界が悪くなったうえ、足元の岩も雨でぬれていたため、登山の続行を断念。三つの簡易テントにわかれて2晩を過ごし、天候の回復を待っていたという。救助後、上市署を訪れた一行によると、予備の食料は1日分あり、カイロも持っていた。メンバーの女性は「装備は十分だったと思う」と話したが、携帯電話の電波が通じず、無線を携行しなかった点を反省していた。8人が立ち寄った剱岳南東側にある「真砂沢ロッジ」関係者によると、一行はヘルメットやピッケルなど基本的な登山装備は所持していたが、装備は比較的軽く、一般登山者のように見えたという。同ロッジの関係者は「もっと雨が強ければ、体温が奪われて命にかかわる事故になっていた恐れがある」と指摘した。30年以上にわたって富山県警山岳警備隊に在籍し、現在は「剱岳早月小屋」の管理人を務める佐伯謙一さん(60)は「服や装備は立派になったが、山に対する知識に乏しい登山者が目立つようになった。遭難を避けるためには、体力に応じた登山をすべきだ」と警鐘を鳴らす。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信などからデータ引用・抜粋)
【考察】
2007年9月に、同じく剱北方稜線で、57~69歳の8人が救助されています(
こちら)。
今回は59~67歳ということで、年齢層はほぼ同じ。
警察庁の統計に関する
記事で触れた、遭難者が集中する年齢層にも合致しています。
年齢的な問題とパーティーの規模・力量の問題。
年齢が高いといろいろな力が落ちていきますが、今回のパーティーの力量はどうだったんだろう?
難場を抜けるルートの場合には、人数が少ない方がスピードが速くなります。
ちょっと人数が多いんじゃないかと思いますが。。。。
パーティーを構成する際に、問題にならなかったんだろうか?
「人数が多い方が安心」という考えはあるかと思いますが、今回のようなルートだとそうではないように思います。
また、天候が良ければすんなりと日程を消化できたことでしょう。
ただ、天候が崩れたときに自力での対処ができないのであれば、力量が不足している、ということになります。
本人たちからの救助要請ではなかった点を考えると、ちょっと判断しかねますが。。。。
「装備は十分だったと思う」と話したが、無線を携行しなかった点を反省。。。。
明らかに矛盾してると思うけど。。。。。
ま、それはさておき。
ちなみに12日から14日まで、室堂周辺にいました。
12日は台風の影響で荒天、13日は雨もなく曇りで風も落ち着いていました。
14日は午前中は断続的に雨、稜線は風が強そうでした。
12~15日の予定(予備1日)で、15日にアタックなら、15日中に下山してしまうつもりだったんだろうか?
真砂に立ち寄ったのであれば、千人池方面からのアタックだったのだろうか?
そのあたりは、詳細な計画が分からないので何とも。。。
いずれにしても、ちょっとキツいルートになります。
で、行動断念が15日午後4時ごろ。
日程から考えると、遅きに失した感があります。
15日の天候は雨。
当然、「視界が悪」く「足元の岩も雨でぬれ」ているわけで、この2点を行動断念の理由とするならば、朝の時点で断念できるはず。
そして、結果として16日も悪天候。
このパーティーの天候の判断はどうだったんだろう?
この日の行動内容の詳細が分かれば、朝出発する時点で、どういった判断がなされたのかが分かるのではないかと思います。
下山時に予備の食料が1日分あったことから考えると、17日に自力で下山できた、とも考えられます。
全員が怪我もなくヘリで搬送されたことと併せて「タクシー代わりに使った」という批判も出てくると思います。
一方で、何らかの形で下界と連絡が取れていれば、17日に自力下山し、遭難事故には至らなかったかもしれません。
ですが、15日に突っ込んでしまった時点から歯車が狂ったのではないでしょうか。
ですので、15日に「行く」と決めたところがポイントになるように思います。
朝、「天気悪いから、そのまんま下りようか」とする選択肢もあったと思います。
個人的には、ヘタレなもので、たぶんそっちへ行ったと思います。
また、15日午前中には携帯で連絡が取れていたわけです。
その際に17日まで日程を延長する可能性があることを伝えていれば、違った展開になったのではないかと思います。
無線機のなかったことが指摘されています。
はたして無線機が使えたかどうかは、多少疑問が残ります。
が、持っていたけれど通じなかったというのとは全然違うと思います。
また、8人のメンバーがいれば8台の携帯があるはずで、全滅だったのでしょうか?
少し移動して電波の通じる場所を見つければ、連絡をとることはできたかもしれません。
そのあたり、どのような努力がはらわれたのかは、報告書が出ない限りは不明のままです。
通報が会の関係者からなされたことを考えると、「タクシー代わり」だったのかどうかは、もう少し詳細が見えてきてから、というところだと思います。
さて、この
アルペン芦山という会。
労山に加盟しています。
「今月の山歩案内」のページに、計画の概要などが掲載されていたと思われるのですが、現在はアクセスできなくなっています。
掲示板には、厳しい批判が並んでいます。
HPの管理人と思われる方1人が、ほぼ防戦一方という状態。
「今後この問題を総括して安全登山をしっかりと進めて行きたいと考えています。」
と書き込まれています。
この「総括」が公開され、意味のある内容であることを願うのみです。
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- 2010/08/19(木) 22:02:14|
- 遭難カルテ
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【概要】
2日午前8時45分ごろ、北海道・日高山脈ヌカビラ岳(1808メートル)で、中高年のツアー登山客とガイドの計12人が増水と疲労で身動きが取れない、と道警に救助要請があった。参加者の男女8人がヘリコプターで救助され、ガイドとスタッフの4人は自力で下山した。一行は札幌市の登山ツアー会社
ムーンフラワーのツアーに参加した北海道と東京の50代と60代の男女8人と、ガイドやスタッフのあわせて12人。30日から2泊3日の予定で日高山脈を縦走する予定だった。下山予定の1日夕、ガイドから会社に「増水がひどく、様子をみる」と連絡があった。尾根から少し下がった沢沿いでテントを張っていた。2日朝に「川の増水と疲労などのため、身動きできなくなった」「ヘリを呼んでほしい」と救助要請があり、会社が110番した。8人は医師の診察を受け、疲れが見られるものの、いずれも大きなけがはないという。男性客(63)がひざの痛みを訴えているが、全員が自力で歩けるという。1日は北海道を前線が通過したため、大気の状態が不安定で、ヌカビラ岳周辺も荒れもようの天気になったとみられる。このため札幌管区気象台は、大雨に注意を呼びかけるとともに、1日午後3時半すぎから午後8時前にかけて、ヌカビラ岳に近い平取町と日高町に大雨警報を出していた。一行は登山届の提出をしていなかった。
参加者の談話。
63歳男性「とにかく雨と風が強かった。降りる途中で右足を痛めてしまい、それ以上は降りられなかったので、ガイドと話をして救助を呼ぶことになった」
68歳男性「きのうは風が強くて、20メートルくらい飛ばされて転倒した。最終的に遭難した場所で、参加者の1人の足が痛くなって歩けない状態になり、沢の水も増水していたのでビバークした」
50歳女性「きのう、山を降りる途中の沢が濁流になっていた。渡れないほどではなかったが、疲れていて渡れない人もいた。最近、山の事故が増えていることもあって、みんなで話し合って、無理をせず、昨夜はテントを張ってビバークした。カイロはいらないかと思っていたが、寒さが厳しく、持っていてよかった」
52歳男性「ビバークして、ぬれたテントにみんなで入ったので、なかなか寝られなかった。何時間もテントの中にいると予想外に足腰が疲れ、このまま降りるのは危険だと思った。救助を呼んだガイドの判断は適切だったと思う」
(朝日新聞、毎日新聞、NHK、北海道新聞、苫小牧民報などからデータ引用・抜粋)
【考察】
さて、また中高年ツアーの事故か・・・・という感じです。
頻度はそれほどでもないかもしれませんが、人数が多いことなどで、ことさら報道されるため目立っているだけかもしれません。
29日から2日までの天気図を見てみました。
1日に荒れることは予想できなかったんだろうか?
予想できていれば、別の行動をとる方法もあったはずです。
ツアーを企画した札幌市の会社は「3日目のおとといは天気が悪いと思ったが、雨量までは予測できなかった」と説明しています。札幌管区気象台では、天候の悪化を想定して、登山ツアーの1日目に当たる先月30日と翌31日にそれぞれ大雨に関する気象情報を発表し、局地的に1時間に40ミリの激しい雨が降るおそれがあるとして注意を呼びかけたほか、1日も3回にわたって気象情報を発表していました。NHKが上記のように報道していました。
入山後も気象情報を入手することは不可能だったんだろうか?
十分可能だとは思いますが。。。。
さらに、結果論かもしれませんが、2日には天候が回復しています。
となると、1日遅れで自力下山する道もあったのではなかろうか?
HPの募集のページには、「テント泊」と明記してありました。

風雨以外のトラブルは今のところキャッチできていません。
山に行って、(程度はともかく)風が強かったり雨が降ったりすること自体は想定しておかなくてはならないこと。
雨が降れば当然テントも濡れてしまいます。
で、参加者のコメントから
「ビバークして、ぬれたテントにみんなで入ったので、なかなか寝られなかった。何時間もテントの中にいると予想外に足腰が疲れ、このまま降りるのは危険だと思った。」
このような人が、はたしてテント山行をしてもいいものだろうか?
こちらの
サイトによると、「テントが狭く座ったまま肩を寄せ合って一夜を過ごした」そうです。
グループが2つに分かれ、一方では定員以上の人数がテント内にいたということでしょうか?
となると、ツアーを運営する側の割り振りにも問題があった、ということにもなります。
でもなぁ、ビバークなんてそんなもんだとも思いますがね。。。。
ついでにもう一つ。
「きのうは風が強くて、20メートルくらい飛ばされて転倒した」
20メートルも飛ばされたら、少なくとも大けがをしているような気がするんだけど。。。。
医師の診察では「疲れが見られるものの、いずれも大きなけがはないという」だそうです。
なんとも不思議な話で、状況が全く想像できません。。。。。
足を痛めている人を除く、他の客について。
疲労だけで全員がヘリで下山しました。
山に登って疲労があるのは当たり前の話。
「渡れないほどではなかったが、疲れていて渡れない人もいた」とは参加者の弁。
全員が全員、歩いて下山することはかなわなかったんだろうか?
ヘリに乗るスペースがあったとしても、せめて可能な人は自力下山すべきではなかっただろうか。。。。。
そういったところから「ヘリをタクシー代わりに使った」という批判も生まれてくるような気がしてなりません。
まずは客の側に問題があったんではないかと思います。
で、ガイド会社に問題がなかったといえば、ないとは言えません。
ムーンフラワー社長の
萩原豊氏は、今回のツアーを率いて山に入っていたようです。
萩原氏は
JMGAの上級登攀ガイド資格を持ち、山岳ガイド資格検定員でもあります。
公募型ツアーには、いろいろな人が参加してきます。
体力や経験などに差があって当然。
それを無事下山させるのがプロの務めだと思います。
「全員無事でしたよ。ヘリだけど」なんてのは論外だと。。。。
スタッフ4人というのは、どういう構成だったんだろう?
テントなどを運ぶポーターだったんだろうか?
そんな大名山行って、いい加減になくなればいいんですが。。。。
ムーンフラワーのHP、2日に確認した時点では閲覧できたのですが、3日には「メンテナンス中」とかで閉鎖されている状態でした。
2日にコピーをとっておいたので、その中から気になることをいくつか。

「山行に参加するにあたっての注意事項」というのがあり、その中から引用。
山行中の事故や行動に関しては各自が一切の責任を負うことをあらかじめご了承ください。さて。。。。
ガイドの判断ミスによる事故まで含めて客が一切の責任を負う、とも読めます。
料金はもらうけれど、責任は一切とりません・・・・・なんだかものすごく無責任な気がします。。。。
ガイドの客に対する責任、どう考えているんだろうか?
山行中のトラブルについては、無論、客が責めを負うべき部分もあります。
すべてがガイド側の責任ではありません。
が、ここまではっきりと書かれてしまうと。。。。
さらに、以下のように続きます。
尚、ツアーは国内旅行保険に加入して行われますが、その保険の限度額(死亡時100万円)を超える損害については責任を負いかねますのであらかじめご了承ください。こんなんでいいんだろうか?
この一文を見て、なおツアーに参加する人の心理も理解できませんが。。。。
サイトは閉鎖状態ですが
掲示板はまだ生きていました。
中には誹謗中傷や厳しい書き込みが多いですが、
「優先第一事項:全員無事なのは何よりです。あとは些細なことです。」
と、擁護するような書き込みも。
些細なことですかねぇ。。。。
また
萩原氏のブログも生きていましたが、批判的なコメントは削除されているようです。
コミュニケーションのツールとして、HPや掲示板、ブログは有効な手段です。
が、ひとたび事が起こってしまうと荒れてしまい、閉鎖・削除という、お約束ともいえるパターンに。
掲示板もブログもいつまで残っていることやら。。。。
この繰り返しで、WEB上は「なかったこと」になってしまいそうな感じです。
北海道新聞に以下の記事が出ていました。
日高山系ヌカビラ岳でツアー客8人が道警に救助された遭難事故で、一行が入山した日高管内日高町内の林道は悪天候のため、7月27日から入林禁止だったことが2日、日高北部森林管理署への取材で分かった。一行は30日にゲートを通過しており、ツアーを企画した「ムーンフラワー」(札幌)の萩原豊社長(55)は「入林禁止だったと知らなかった」と話している。
同管理署によると、一行が入山した日高町内のチロロ林道は、降雨による土砂崩れなどの恐れがあったため、7月27日に入林を禁止し、入り口の鉄製ゲートは施錠していた。
萩原社長は北海道新聞の取材に対し、「入林禁止の看板を見落とした。ゲートは、札幌市内で緊急用に購入して持っていた鍵で開けた」と説明した。
ゲートの鍵は同管理署が管理しており、通常は入林の申請があった際にガイドなどに貸し出しているが、遭難した一行からは申請はなかったという。
事前申請をしなかった理由について、萩原社長は「鍵があったので、申請しなくても入れると思った」と話した。北海道森林管理局は「ゲートの鍵が売買されているとは承知していない」としている。なんともオソマツな話です。
場合によっては違法行為ともなりかねません。
この鍵問題についてはどう推移していくのか、見守りたいと思います。
萩原氏のブログに、以下の文章がアップされていました。
今回の救助要請に対して道警の方々、防災ヘリの方々、消防の方々の各関係者にご迷惑をおかけしました。
本当にありがとうございました。
また、入林方法が適切でなくお騒がせしたことをお詫びいたします。萩原氏は地元・北海道のガイドです。
地元のガイドでありながら、適切な入林方法を「知りませんでした」ですむものだろうか?
営利目的でなくてもですが、営利目的であればより一層、下調べは重要になってくると思います。
林道通行のルールは守る、登山届を出す・・・・・基本的なことです。
そのあたりが、すっぽりと抜け落ちていたようです。
客もガイドもガイド会社も????な事故でした。
さて、去年のトムラウシの事故もJMGA会員ガイドがリーダーでした。
今回はJMGA上級登攀ガイドで、ガイド資格検定員。
ガイド絡みの、しかもガイドに問題がある事故が続いています。
で、今回も資格制度に触れるようなことは何もしない?
==========追記(2010.08.04)==========
4日付けの
萩原氏のブログによると、本文と違う事実があるようです。
最初にツアーに入った時点ではJMGA認定ガイドの
舟生大悟氏とサブガイド1人、客は男性6人女性2人だったとのこと。
1日に現地からの連絡で、足の不調を訴えた客1人とサブガイドが1日遅れで下山、舟生ガイドが客7人を連れてそのまま下山する予定だった。
夕方の連絡で舟生ガイドの一行8人も増水のため6~7人用テントでビバークすることに。
2日、萩原氏と山木氏(サブガイド?)が食料などを持って入山。
(このときのアプローチで例の鍵を使った?)
10人と合流すべく行動中に、沢が減衰を始めていることを確認。
合流後、萩原氏と舟生ガイドが相談の上、ヘリによる救助を要請。
以下、一部抜粋。
参加者と合流すると初対面の方が8名中6名いて、前日の長い行動時間と悪天候の中の慣れない寒いビバークで疲れきっているのでヘリを要請してほしいとの話になった。参加者全員の気力、体力、その時点での沢の難易度も考慮し、衛星携帯の電波の繋がる場所を探し救助要請をお願いしました。8人が救助されたのち、ガイド・スタッフは自力で下山。
大まかに言うと、以上のような内容でした。
今回の行動内容と反省点は後日報告されるとのこと。
また
ムーンフラワーのHP、閉鎖状態は変わらないのですが、3日付けでお詫びが掲載されていました。
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- 2010/08/03(火) 23:13:49|
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【概要】
秋田県警由利本荘署に4日夕方、由利本荘市の職員から「鳥海山祓川登山口の駐車場に5月31日から止められたままの車がある」と通報があった。同署の調べで、車は盛岡市の無職男性(79)のものと判明。警察が家族に確認したところ、男性は31日、秋田、山形両県にまたがる鳥海山(2236メートル)に「山スキーに行く」と言って1人で出かけたまま帰宅していないことがわかった。5日午前0時50分ごろ、男性と連絡がとれないと、家族が盛岡西署に届け出た。2日午後、家族に携帯電話で「鳥海山にいる。元気にしている」と連絡があったが、その後は連絡がつかないという。警察が捜索したところ、祓川ヒュッテには男性のものとみられる寝袋があった。6日午前8時半ごろ、秋田県警のヘリコプターが入山地点の祓川登山口から南におよそ3.3キロの渓流近くで横になっていた男性を発見、救助した。男性は、顔に軽いケガをしてたが、自力で歩ける状態で、軽傷。「2日の昼ごろに天気が悪くなり、コンパスを頼りに戻ろうとしたが、読み間違えて迷った」と話している。持参していた食パン5枚と水は、3日にはなくなり、沢の水を飲んでしのいでいたという。家族の話では、男性はこれまでも何回か鳥海山に春スキーに行っていたという。
(毎日新聞、産経新聞、秋田放送よりデータ引用・抜粋)
【考察】
まず、79歳。
単独で何日か山スキーに入っている人がいるということに驚きました。
その体力というか、バイタリティーというか・・・・そんなものに恐れ入りました。
さて、時系列で整理してみます。
5月31日に入山。祓川ヒュッテに宿泊?
6月1日、祓川ヒュッテ基点に活動→宿泊?
2日昼ごろに迷い、ビバーク。
3日、行動不明。食料が底をつきビバーク。
4日、行動不明→ビバーク(夕方、由利本荘市職員が通報)
5日、行動不明→ビバーク(未明に家族が通報)
6日朝、無事発見。
山小屋2泊?の後、ビバークで4泊。
しかもビバーク2日目で食料が底をついた状態ということになります。
79歳という年齢を考えれば、よくぞ無事で・・・と思います。
迷ってからの行動が不明なのですが、水が確保できる安全な場所で動かずに体力を温存していたのかも知れません。
その不明な部分がわかれば、得られるものもあるのではないでしょうか。
食料は食パン5枚と水ということでしたが、装備なんかも気になったりします。
ベースからピストンするときの自分の装備、改めて考えてみようと思います。
さて、4日夕方に市職員から警察に通報。
家族からの通報は5日になってから。
ちょっとちぐはぐな感じがします。
家族に行程を伝えていなかったのだろうか?
2日以降に下山する予定だと伝えていたのであれば、家族からの通報がその時間になったのも理解できます。
その辺も詳細がわからないので何とも言い難いのですが。。。。
ただ、混乱を招かぬために、きちんと行程は伝えておくべきだと思いました。
事故の様態自体は、単純な道迷いです。
以前にも同じことを書いたのですが、山スキーはスピードが出るので、より注意が必要になってきます。
登るのに数時間かかったところが、滑り出すと10分少々なんてことは、ざらにある話ですから。
ルートを外したことに気づいたときには、にっちもさっちもいかなくなったりします。
2日の昼ごろから天候が崩れたとのこと。
雪山でホワイトアウトの状態になると、迷う可能性は格段に高まります。
そんなときこそ、GPSが効果を発揮する場面かな?
2日は2つの高気圧にはさまれた、ゆるい気圧の谷間になっています。
ちょっと天気図からお天気を読むのは難しいかも知れません。
少なくとも、大荒れ!ってことはないように見えました。
ただ、山の天気ですから、何割引きかで見ておいた方がいいだろうと。。。。
携帯電話が不通。
電波圏外にいたかバッテリー切れか。
乾電池式の充電器は必携装備だと思います。
もちろん予備の電池も。
救助要請する場合に限らず、無事を伝える意味でも、携帯電話の重要度は言うまでもありません。
バッテリー切れでは、無用の長物と化してしまいます。
稜線付近まであがれば、連絡することはできたと思います。
連絡が付けば、より早い段階での救助・・・・となったかも知れません。
動かないで体力を温存することも重要ですが、別の選択肢もあり得るのではないかと思います。
現場の状況がわからないので、はっきりと「こうすべき」だとは言えませんが。。。。
ただ、なぜ連絡が取れなくなったのか。
そのあたりも知りたいところです。
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- 2010/06/08(火) 22:05:56|
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