遭難カルテ113で触れた事例。
遭難した男性、ご本人の
ブログに、かなり詳細な記録を掲載しています。
16日に救助され入院、24日に退院し帰京。
記録がアップされたのは、27日。
記憶の薄れないうちに書き留めておくこと、とても重要なことだと思います。
そして、報告したという事実については、高く評価したいところです。
そして、「今回の遭難・救助の要因と反省。」の記事。
十分に回復していないまま、まとめられたものと思われます。
ご本人のまとめられた反省点に、自分なりの視点を加えて、問題を洗い出してみます。
①計画。
ご本人が認めているとおり、ムリのある計画でした。
「行けるはず」と思ってしまうところは、誰しもにあるところです。
自信と過信の違い、判断は難しいところです。
今回は結果的に、「過信」だったようです。
そもそも昭文社の山地図のコースタイムを元に計画したようです。
が、あのコースタイム、個人的にはけっこう当てにならないものだと思っています。
参考程度にはなるでしょうが…。
恥ずかしながら、大事に至らなかったものの、何度か「ダマされた…」と思ったことがあります。
②行動判断。
初日がコースタイムの1.5倍近くかかっていたようです。
ここから自分の体調を判断すれば、突き進まずに戻る選択肢があったはずです。
白鳥小屋から戻ることについては触れられていません。
翌日が12時間行動なら、1.5倍して18時間。
これはすでに不可能に近い時間だということは明らかです。
初日の行動終了時に「自信」と「過信」の違いに気づくチャンスがあったと思います。
③荷重が過重だった点。
ご本人も、ザックが80Lで水が3.5Lあり、総重量が19Kgだったと認めています。
「なるべく10kg超迄で納まるように」すべきとはご本人の弁。
ですが、ここで不思議なことがあります。
ザック重量は2~3Kg程度、水が3.5Kgで、
ザック重量と水重量を引いても、装備は13Kg前後になる計算です。
しかもここにはツェルトは含まれていません。
小屋泊まり装備で、これは多すぎる気がしますが…。
装備内容のブラッシュアップが必要かと思います。
いったい何を持って行っていたんだろう???
④ツェルト不携帯。
ご本人も「どんな場合でもツエルトは縦走の際はザックに」。
そのとおりではあります。
ただ、装備リストから外した経緯がわかれば、もう少しよかったのですが…。
それについては触れられていませんでした。
⑤山地図と地形図。
予定を変更して蓮華温泉へ。
予定ルートは2万5千図があったものの、蓮華温泉方面は山地図がたよりだったそうです。
エスケープルートも含めて地形図は持参すべきでした。
⑥蓮華温泉へのルート変更。
以前通ったことがある、というのがひとつの理由だったようです。
そこに落とし穴があったことも、ご本人が述べておられます。
2泊目のビバーク明けで、来た道を戻る、という選択肢もあったのですが…。
記憶の新鮮さ、より詳細な地図。
下山にあたり、最も確実な方法だったと思います。
なぜ、蓮華温泉を選択したのか…そこの経緯も重要かと思います。
⑦迷ってからの行動。
登山道への復帰を試みず、沢に何度も踏み入れていたようです。
原因として「自分のその時の神経が異常であった」と分析されています。
そこに至る経緯として、前日(2日目)の行動が長時間にわたった点を挙げています。
「①行動判断。」の項で書きましたが、初日終了時点で、すでに判断を誤ったことが響いたようです。
⑧助言の扱い方。
朝日小屋の予約をした段階で、「厳しい」との内容のアドバイスを得ていたようです。
これは
朝日小屋管理人の日記(2006.09.17)にも記されています。
このアドバイス、かなり確度の高い情報だと思うのですが、どう取り扱ったのか。
そのあたりには触れられていません。
⑨読図判断
道迷い遭難ですから、当然、そこに何らかのミスがあったことは間違いありません。
この点については、これ以上言うべきことはありません。
比較的情報が多いので、色々な分析ができました。
十分とは言えませんが、ご本人の体調などを考えれば、よくまとめたものだと思います。
この点に関しては、素直に評価したいと思います。
以下は余談ですが…。
この「今回の遭難・救助の要因と反省。」の記事について、多くのコメントが寄せられています。
罵詈雑言に類するものも多少ありますが、厳しい指摘は(すべてではありませんが)おおむね冷静な文章ではないかと思いました。
また、お仲間と思われる方々が、ご本人をかばうコメントを残しています。
双方とも、個人的には理解できるものです。
ただ、指摘についてご本人が相当参っているらしく、段々コメントが気弱なものになっています。
詳細なデータと冷静な分析、それは大いに進めるべきでしょうし、議論も進めるべきでしょう。
そしてご本人もそれを受け入れ、あるいは反論し…。
双方向メディアのひとつの可能性を示していると言えるかもしれません。
ですが、心身ともにダメージの大きいご本人のことを考えると、ここまでの記述で、ひとまずよくやった、と言えると思います。
消化不良な部分が残っていることは否めません。
ですが、ご本人の本復を待ってからでも遅くはないと思います。
原因や真相の「追究」と、個人に対する「追及」は別のものでしょうから。。。
まずは、ご本人の心身の回復を祈るのみです。
日々是好日88に関連記事(2006.10.05)
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- 2006/09/29(金) 22:20:08|
- 事故報告書
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【概要】
22日午後2時55分ごろ、韮崎市の地蔵岳(2764メートル)に登山に向かった千葉県茂原市、元自衛隊員の会社員男性(40)が、下山予定日の21日を過ぎても戻らないと、家族から通報があった。男性は20日に御座石鉱泉から単独で入山、その日のうちに地蔵岳に登頂。出発する際、「21日午後4時ごろ下山する」と自宅の家族らに伝えていた。同日、地蔵岳山頂近くの山小屋「鳳凰小屋」に宿泊し、21日午前6時半ごろ、下山道「ドンドコ沢コース」に向かって小屋を出た後、行方が分からなくなった。25日午後2時5分ごろ、自力で韮崎市円野町の御座石鉱泉に下山し保護された。下山途中で登山道の県有林境界を示すくいを登山道の標識と間違え、獣道に迷い込んだ。男性は「何度も同じ道を歩いている」と遭難に気付き、水と食料の残量を確認。「動かなければ捜索が来るまで足りるだろう」と、雨風が防げる木の下で夜を過ごした。200グラムのレトルトの米飯を1日大さじ1杯と決め、約6時間おきに1粒を30秒かけてかんで食べた。22日からは朝のうちに薪を集めた後、横になって体力の消耗を防ぎ、救助を待った。近くの沢で飲料水を確保、ドングリやサルナシの葉などを拾って食べ、ご飯の消費量を減らした。何回か捜索のヘリコプターの音を聞き発煙筒をたくなどしたが届かず、25日に天候が悪化したため下山を決めた。登山地図は持っていたが、入山時に宿でもらった広域地図を頼りに約1時間20分後、御座石鉱泉にたどり着いた。
(毎日新聞の記事を要約。報道では実名)
【考察】
4泊のビバーク。
小屋泊まり装備に、レトルト1袋でよくぞ…驚いてしまいました。
遭難に気づいた後の対処が正解だったのでしょう。
元自衛隊員ということで、体力や知識、一般人と違ったのでしょうか。
また、ライターを持っていたことも生死を分けたひとつかもしれません。
今回は効果がなかったようですが、発炎筒。
これも持って行っていたのでしょうか。
通信手段としては、考えたこともありませんでした。
道迷いから、リングワンデリングに陥ったようです。
地図による現在地確認を、こまめにすることで防げたかもしれません。
今回の件は「遭難しないために」よりも、「遭難してしまったら」という点で学ぶべきことがあると思います。
「多くの人に迷惑をかけ本当に申し訳ない。道に迷った際、早めに引き返していればと悔やまれる」
「助かったのは運が良かったからで、捜索してもらい感謝している。二度と1人では山に登らない」
このご本人の弁に、今回のすべてが現されているのではないでしょうか。
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- 2006/09/28(木) 18:51:01|
- 遭難カルテ
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【概要】
26日午前3時ごろ、青森市の無職女性(72)が南八甲田登山道に向かったまま戻ってこないと、家族から通報があった。女性は25日午前8時ごろ、長男と趣味の写真撮影のため酸ケ湯 温泉に向かった後、「南八甲田方面の猿倉温泉から矢櫃萢(やびつやち)に写真を撮りに行く」と長男に告げて一人で南八甲田に向かった。同日午後7時ごろまでにバスで帰宅する予定だったが戻らないため、家族が猿倉温泉に出向いたところ、駐車場の休憩所内で女性のカメラの三脚を発見した。26日朝から警察署員と消防隊員三十人のほか、県防災ヘリ「しらかみ」が捜索。同日午後4時42分、女性が猿倉岳から下山しようとしていたところ、捜索隊から前田さんの特徴を聞いていた一般の登山客に発見され、無事に下山した。女性は途中で道に迷い、登山道沿いを行ったり来たりしていたという。目立った外傷はなく、意識もはっきりしている。
(東奥日報の記事を要約。報道は実名)
【考察】
72歳女性、と聞いただけで、大丈夫?、と反射的に思ってしまいます。
朝晩冷え込んでくる季節、しかも東北となれば、なおさらです。
26日の青森市の最低気温は9.8度。
山中となれば、夜や明け方は零度近くまで下がっていたはずです。
日帰りの写真山行。
本格的なカメラであれば、重量の負担も大きいはず。
そして、ビバーク装備は?
このあたり、詳細な情報がないので、なんともいえません。
が、装備によっては、厳しい一夜だったことは予想できます。
当日は高気圧に覆われ、天候が崩れなかったことも幸いしたのでしょう。
年齢的なことを考えると、単独行動は避けた方が良いかと思います。
今現在の情報だけからすれば、「運が良かった」ことが、無事下山の最大の理由ではないでしょうか。
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- 2006/09/28(木) 18:47:38|
- 遭難カルテ
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大日岳訴訟のこと、昨日の続きです。
色々と識者コメントが出ていました。
????なものもいくつかありました。
国賠訴訟で国の責任が問われた裁判でしたが、なんだか講師の責任が問われているようなものが多かった。。。。
裁判で問われていたのは「講師の責任」ではなく「国の責任」。
言い換えると「講師の過失=国の責任≠講師の責任」ということ。
ですが、「講師の過失=講師の責任」みたいなコメントが多かったように思うのです。
これは判決支持派も、そうでない方もでした。
巡りめぐって「講師の責任」なんてことになるのかもしれませんが、それはそのときのコメントじゃないのかなぁ…と思いました。
「登山に危険はつき物だから…」
当然のことをいまさら言われてもねぇ。
危険がつき物だからといって、誰にも責任がないってことになるとは思えないのですが。。。
「パーティーは連帯責任なんだから…」
これは違うでしょう。
講師と受講生、絶対的な力関係があって成り立っている講習会。
パーティーを構成するメンバーの意見を集約して決定を下すリーダー。
講師とリーダーを同列に論じるのは、間違っていると思います。
この類の発言は、「国=講師側」擁護の人に多かったです。
当然、リーダーと講師では責任の範囲が異なるはずです。
議論のすり替えではないかと思ってしまいました。
「亡くなった本人が、裁判を望んでいない…」
いやはや、これには恐れ入りました。
亡くなった方の、今現在の考えが分かるなら、霊媒師にでもなった方が…。
自分の身に置き換えて考える、というのは理解できます。
それを否定はしませんが、最初に結論ありきでそれを持ち出すのはどうかと思います。
「講師のなり手がいなくなる…」
明らかに「国=講師」寄りの人たちの発言でした。
【事故があった⇒講師のミスが原因⇒でも誰も責任は問われない】
こうならないと、講師のなり手はいなくなると考えているのでしょうか。
これでは逆に「受講生のなり手がいなくなる」ことになりそうです。
登山者の高年齢化が進んでいる状態から考えれば、若手の育成が喫緊の課題だと思います。
今回の事故は、ベテランの講師陣と、大学生の講習生。
将来のことを考えれば、講師よりも講習生のほうが大切かもしれません。
育成する側とされる側、どちらも大事なのは論を待ちませんが…。
山ヤの世界の著名人たちが、あまりにも、国や講師についてのコメントばかり…。
将来を見据えたコメント、多少は散見できましたが、寂しい限りです。
講師と学生、双方にバランスよく目を配ったコメントは、ほぼ皆無でした。
【事故があった⇒講師のミスが原因⇒国は責任を負う⇒故意でない限り講師の責任は問わない】
今回はこんな公式が一番妥当だと思います。
まあ、簡単には結論が出せる問題でないことは百も承知ですが…。
控訴審の成り行きに注目したいと思います。
超一流の講師陣に、体力的ピークにある大学生の受講生。
きわめて理想的な講習会のパターンだと思います。
ですが、このような構成でも、死亡事故は起きうる。
それだけは間違いなく言えそうです。
そして、遭難には必ずヒューマンエラーが含まれていることを考えると、絶対の安全はない…。
あらためて色々なことを考えさせてくれる訴訟です。
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- 2006/09/26(火) 21:17:11|
- 日々是好日
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4月26日、富山地裁で大日岳訴訟の一審判決が出ました。
原告側の全面勝利判決に対し、被告の国は5月2日に控訴。
控訴審は今月29日、名古屋高裁金沢支部で始まります。
これに先立ち、今月の20日、遺族らが7万6千筆の署名を文部科学省に提出。
これまで提出されたものと合わせると、26万8千筆に達するそうです。
記憶のかなたに行ってしまわないよう、よく注目する必要があるのでは、と思います。
29日は進行協議のため、表立った動きはないかもしれません。
また、新内閣の組閣目前であることも、影響を及ぼすことでしょう。
簡単に結論が出る問題ではないのですが、やはり注意深く見守っていきたいものです。
さて、一審判決の時に思ったことがいくつかあります。
控訴審が始まる前に書きとめておきます。
国賠訴訟で国敗訴ということもあり、各メディアともそれなりに大きくあつかっていました。
解説や論評なども、おおむね原告(遺族)寄りのスタンスでした。
「反権力」をうたうメディアとしては、当然の反応といえます。
一方、山岳メディア。
これは事実上、「岳人」と「山と渓谷」しかありません。
この2誌(7月号)の対応を振り返ってみます。
「岳人」は、遺族寄りで特集記事を展開。
東京新聞出版局の雑誌であるため、東京新聞(=中日新聞=北陸中日新聞)と、あまりトーンの違うものは載せられなかったのかもしれません。
その内容にも、賛否ありますし、問題点の指摘もいくつか目にしました。
ですが、少なくとも、メディアとして、「意志」を表明しました。
まあ、当然といえば当然ですが。
「山と渓谷」は、同じく特集記事を展開。
事故・裁判の経緯と、関係者・識者コメントを掲載しました。
ですが、主体的見解については1行も掲載されていません。
判決の際に神長幹雄・同誌編集長の
「研修生は全くの初心者でなかった点も考慮すると厳しい判決だったのではないか」
とする、やや国寄り(?)のコメントが掲載されました。
他メディアにコメントを出しても、自分のところの誌面に見解は載せない…。
これって、どういうことだろう?
なんだか腑に落ちないのは私だけでしょうか?
「まぁ、ヤマケイだからなぁ…」と言ってしまえば、それまでなんですが…。
このまま行くと、見解を示さないまま、お茶を濁してしまいそうですな…。
まだ書いておきたいことがあるのですが、長くなりそうなので、この次に書くことにします。
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- 2006/09/25(月) 19:29:56|
- 日々是好日
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一つ前の記事で「原点の山」というようなことを書きました。
瓶ケ森、私にとってまさに「原点の山」なのです。
20数年前、高校生のころです。
初めて自分(自分たち)で計画し、パーティーを組んで登ったのがこの山。
それまでは、親に連れられてとか、山岳部の合宿でとかいったもので、初めての個人山行でした。
自分たちの「行きたい」という衝動からスタートしたのは、この山が初めてでした。
地図を広げ、ルートは東の川から入山と決定。
四国にいながら、石鎚山でも剣山でもないあたり、自分たちらしいと思っていました。
時刻表をひっくり返し、鉄道やバスの時間を調べました。
当時はJRでなく、まだ国鉄だったと思います。
四国内の各線は電化もされておらず、「汽車」の旅でした。
そして食糧の買出し。
こっそりと缶ビールも…。
1日かけて、瓶ケ森第一キャンプ場へ。
部費で購入して間もない、ダンロップの6人用テント。
それまでは家型テントしかなかったので、ある意味で革命的でした。
コンロは灯油。
全員がニッカボッカだったことなど、今では信じられないほどです。
夕食は手抜きでレトルトカレー。
でも米はちゃんと炊いていました。
石鎚山に沈む夕日がきれいでした。
冬にもあの夕日を…。
その願いは5年ほど後にかないました。
あの山に行きたい。
誰とどうやって行く?
準備は?
素朴な欲求と生真面目さが同居していた頃の山でした。
「自分の山」の出発点が、瓶ケ森だったのです。
その後、春夏秋冬の瓶ケ森を歩き、今でも何年かに一度は足を運びます。
東の川からのルートからは、少々足が遠のいていますが…。
高校を出た後、積雪期がメーンになり、岩や沢もはじめ、山のスタイルも変化していきました。
大学時代はそれこそ山に明け暮れていました。
そして、就職し、結婚し、子供ができ…。
でも、いつも瓶ケ森が頭のどこかにありました。
あの頃と同じようにはできないけれど、気持ちは今も同じでいたいのです。
「原点」や「初心」といったもの。
そこは、そんなことを思い出させてくれる山です。
樹林帯を抜けると、シコクザサに覆われた山頂部。
四国山地独特の山容と言っても良いでしょうか。
この山容、実は私にとって、一番落ち着くものかもしれません。
取り立てて高いわけでも、ルートが難しいわけでもありません。
それでも行くたびに「帰ってきた」という思いでいっぱいになります。
原点の山、瓶ケ森。
きっと、それでいいのでしょう。
「初心」や「原点」を思い出すために、ときどき足を伸ばしたいと思います。
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- 2006/09/22(金) 18:54:50|
- 日々是好日
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18日。
前日から四国にいたことで、台風一過を狙って、瓶ケ森へ。
本当はゆっくりと過ごしたい山なんですが、日程上やむを得ず日帰りに。
車で寒風山トンネルから旧寒風山トンネルへ。
林道入り口の駐車場には、数台の車はあるものも、誰もいない。
林道に入っても、3連休というのに一台もすれ違わず。
狭い道なので、そちらの方がありがたいことは間違いない。
かつてはこの林道、瓶ケ森までは一般車は入れず、林道を歩くか縦走するほかはありませんでした。
なかなかいい尾根ですが、最近は静かになったのでしょうか。
伊予富士あたりからガスの中へ。
瓶ケ森駐車場もガスの中でした。
駐車場でダラダラと着替えて、出発。
まずは瓶ケ森ヒュッテ方面へ。
ずいぶん古い小屋ですが、いまだ健在でした。

ガスに煙る小屋、懐かしさを胸に、女山頂上へ。
瓶ケ森には女山・男山の2つのピークがあり、女山の方が高いのです。
登っていてもガスは晴れません。

風もそれほどなく、寒くはありませんでした。
程なく頂上に着き、のんびりと。
尾根筋をたどり、男山へ。
男山頂上でものんびり。
そして男山から駐車場へ下山。
すれ違った人も数人、3連休最終日なのに、ずいぶんと静かな山でした。
お天気がよければ、展望も楽しめたのですが…。
きわめて短い時間でしたが、故郷の山、じわっと味わってきました。
実はある意味で自分の原点の山なのですが、その件のついては別の機会に。
たまには懐かしい山もいいものです。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2006/09/21(木) 20:22:33|
- 山日記
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【概要】
16日午後2時15分ごろ、中央アルプス空木岳(2、864メートル)の駒ケ根市側の稜線(りょうせん)から神奈川県鎌倉市の主婦(61)が滑落したと、同行の長男(32)から110番通報があった。女性は16日朝から2泊3日の登山を計画。空木岳東側の古城公園付近から登り、標高約2000メートル付近で滑落した。この日は悪天候で県警ヘリコプターが現場に近づけず、17日午前8時5分ごろ、稜線から約100メートル下で遺体で収容された。女性は登山道の木の根を乗り越えようとしてバランスを崩し滑落、脳挫傷などで死亡した。
(毎日新聞、信濃毎日新聞、共同通信よりデータ抜粋・引用)
【考察】
ルートは池山尾根で間違いないと思います。
この日は、空木岳の避難小屋か駒峰ヒュッテを目指していたのでしょう。
特に難しいルートではありませんが、中アの中では最も長い尾根のひとつでしょう。
初冬、秋、冬とこのルートを通ったことがあります。
2000メートル付近といえば、まだ樹林帯の中。
大地獄、小地獄の難所がガイドブックなどに記されていますが、それほどヤバイ印象は受けませんでした。
バランスを崩しての滑落ということのようです。
一般論ですが、加齢によるバランス感覚の衰えは否定できません。
バランスを崩しかけたときのリカバリーに必要な瞬発力、筋力、柔軟性などについても同じことが言えます。
完全とは言えませんが、訓練である程度のカバーは出来ます。
今回のようなケース、年齢が上がるほどにリスクが高まるものかもしれません。
ですが、一方で誰にでも起きうるケースだったとも言えそうです。
そもそもゼロリスクで山へ、などということはありえない話ですから。
目の前でご家族をなくされたご長男。
深い悲しみと後悔にとらわれていることでしょう。
少しでも早く立ち直れるといいのですが…。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2006/09/20(水) 20:19:30|
- 遭難カルテ
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【概要】
新潟県糸魚川市から長野県境の白馬岳(2932メートル)へ1人で登山中に連絡が取れなくなった東京都武蔵野市、無職男性(63)が16日朝、糸魚川市の蓮華温泉近くで6日ぶりに救助された。男性は4泊5日で白馬岳を縦断登山する予定で、8日に糸魚川市を出発。9日に宿泊予定だった朝日岳の山小屋「朝日小屋」に10日早朝、「予定のコースをあきらめて蓮華温泉に向かう」と携帯電話で連絡があったあと、行方不明になっていた。捜索中の新潟県警ヘリが16日午前9時すぎ、朝日岳(2418メートル)の五輪尾根付近の沢の中で動けなくなっている男性を発見、救助した。「寒い」と訴えるなど衰弱はあるが、外傷はないという。現場は蓮華温泉の西約5キロの、朝日岳から蓮華温泉に向かうルートから外れた尾根付近の沢の中。道に迷い、沢の水と持参のチョコレートなどで飢えをしのいでいたとみられる。
(朝日新聞、毎日新聞、NHKよりデータ引用・抜粋。遭難者は実名報道)
【考察】
台風13号接近の中、良くぞ持ちこたえた、というところでしょうか。
さて、道迷いの事案ですが、今回は不可解な点があります。
なぜ「蓮華温泉」なのか、です。
8日に親不知をスタートして、白鳥小屋泊。
そして9日に朝日小屋宿泊予定だったようです。
不可解な点とは、9日と10日の行動です。
9日に朝日小屋にたどり着けなかったとすれば、どこかでビバークしたことが考えられます。
白鳥小屋から朝日小屋、1日の行程としては、かなりの距離になります。
たどり着けない場合も、ある程度予想できます。
なぜたどり着けなかったかの分析も必要ですが、話を先に進めます。
9日にビバークして、10日朝に朝日小屋へ「蓮華温泉に向かう」と連絡。
これは朝日小屋に予約を入れていたためと考えられます。
9日には電波状況が悪く、10日にやっと携帯がつながった…というところでしょうか。
で、本題に戻ります。
蓮華温泉と朝日小屋の分岐「千代の吹上」からの所要時間です。
朝日小屋へは1時間半に対し、蓮華温泉へは4時間強。
白馬岳を目指していたのなら蓮華温泉に向かうのは、事実上、登頂断念ということになります。
この時点で何かがすでに起きていたのでしょうか?
分岐手前でアクシデントに見舞われた場合。
朝日小屋のほうが近いので、あえて蓮華温泉を選ぶ理由が見つかりません。
自力で下山できるが、一刻も早く下山する、という場合にのみ、「蓮華温泉」という選択肢が生きてくるはずなのです。
なぜ蓮華温泉なのか、まずそこのナゾがもっとも興味深い点です。
というのは、朝日小屋に向かうか引き返せば、迷わなかった可能性が高いからです。
さて、この男性。
自ら
HPや
ブログを運営されており、ちょっとした有名人(?)のようです。
そこに書いてある内容からすると、
「1996年11月10日の川苔山を第1回とし過去6年9ヶ月の間に519山積上げ、2003年9月14日念願の三百名山を達成しました。海外登山はH14年9月にアフリカ最高峰キリマンジャロ(5895m)登頂を果たし、今年1月には南米最高峰アコンカグア(6959m)に登る事が出来ました。」
この文面からすると、50歳を過ぎて山を初め、猛烈な勢いで登り続けていることが伺えます。
そのバイタリティーには感心するほかありません。
そして、ブログ。
今回の山の準備段階から、入山日の親不知~白鳥小屋の記録までが掲載されています。
そして、ここにも不思議な記述を見つけました。
装備の「量が多すぎるので(中略)ツエルト、フライは今回外しました」というくだり。
「軽量化のため、ツエルト&フライは置いていき、テント本体のみ持っていく」というふうに読めるのは私だけでしょうか。
軽量化であれば、テントよりもツエルトを持っていくべきだと思うのですが…。
1日10数時間の行動が予定されており、ビバークの想定も必要です。
ツエルトどころかテントも持っていないとなると…首を傾げざるを得ません。
このブログへ、男性の知人と思われる方からの心配のコメント。
そして無事救助の後には、それを喜ぶコメントが並びました。
知人・友人の方々のお気持ちは大変よく分かります。
そして一方で、知人ではない方々のコメント。
「良かっただけですませないで救助された事実とその状況を報告してください」
といった、やや厳しいものもありましたが、経緯や報告を求めるものが多々ありました。
山に関心のあるものとしては、これもある意味当然の反応かとも思います。
知人・友人とそうでない方々との温度差はあるものの、どちらも理解できる範囲です。
今後、心無い言葉が並ばないことを祈るのみです。
そして、ご本人が回復された暁には、ご自身の手による報告が掲載されることを期待したいと思います。
事故報告書6に関連記事(2006.09.29)
日々是好日88に関連記事(2006.10.05)
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2006/09/20(水) 03:10:50|
- 遭難カルテ
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我が家には2つあります。

左がエーグルのドンジョンクラシック、右がジャックウルフスキンのウォッチタワーデラックス(WT)。
すでにどちらも製造中止かモデルチェンジ済みです。
WTは公称23リットルだったと思います。
各メーカーのキッズキャリアの中で、最大の用量だったはずです。
結構荷物が入り重宝しますが、キャリア自体も結構な重量。
エーグルは子供を乗せるためだけのシンプルなつくりで、3~4リットルしか荷物は入りません。
シンプルだけに、軽い。
さて、容量重視と軽量重視。
選ぶポイントは、山に行くスタイルによります。
大人2:子供1なら、シンプル系でいいでしょう。
1人が子供、もう1人が荷物、と分担すればいいのですから。
大人1:子供1なら、容量重視しかありません。
1人で子供と荷物を担ぐほかはありません。
大人1:子供2。
日帰りでお弁当、飲み物、雨具…。
上の子を歩かせ、下の子をかついでいくときには、WTの23リットルが心強かったです。
最近のキャリアは、背面や肩ベルトがしっかりとしてきて、ずいぶん担ぎやすくなっています。
またシートベルトも工夫されて、脱落しにくい構造になっています。
パイプ式のキャリアは、子供を載せたまま自立します。
担いだ子供が寝てしまっても、キャリアをおろして休憩できるのは。大きなポイント。
重量はかさみますが、親の休憩がずっと楽です。
シンプル系は自立しないものがあり、休憩中も担いだまんまなんてことになります。
うちのエーグルはそうですから…。
おろしたときも転ばないようささえておく必要があります。
また、WTはかついでいても、思いながらも安定感があります。
エーグルのほうは、若干安定感に欠けるのが、下りのときによく分かります。
うちは体重の重い長男がキャリア自体の重く荷物の多いWTに乗り、軽い次男が軽い方のエーグルに乗る…ということになります。
夫婦で重量差が…というのは言いっこなしですかね。
実際長男を担ぐと、冬山縦走並みの重量を背負うことになります。
雨対策。
オプションで専用の雨蓋があるモデルもあります。
が、足は濡れてしまいます。
また、専用のレインカバーがあるモデルもあります。
うちの雨対策は…専用雨蓋装着の上、大き目のザックカバーをガバッとかぶせてしまいます。
ま、あまり雨の日には行かないので出番は少ないですが…。
いずれにしても、雨対策は自分で工夫するしかないのが現状のようです。
今夏の木曽駒テント泊のとき。
80リットルのザックに装備全部を詰め、WTに嫁さんと次男の水、行動食、雨具、防寒具…といった配分でした。
エーグルにはどう考えても入りきらなかったからです。
各メーカーから、いくつかのキッズキャリアが出ています。
重量キャパなどの問題はありますが、経験から言えば、自立式が便利です。
少ない選択肢ではありますが、少しずつ進化していくことでしょう。
まあ、うちはもう、買い換えたりすることはないでしょうが…。
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- 2006/09/16(土) 11:57:36|
- 道具を語る
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【日々是好日82】中高年、遭難確率は2倍?の続きです。
よく「未組織登山者の遭難が問題だ」と言われます。
未組織登山者とはどれぐらいいて、どの程度遭難しているのか?
それを探ってみます。
前回、登山者総数を600万人としました。
では組織は何人でしょう。
日山協約4万人、労山約2万人、都岳連約5000人、日本山岳会約6000人。
全部ひっくるめると、7万人と言う数字が浮かんできます。
いじょうから、登山者総数に占める組織登山者は、全体の1,2%に過ぎないことが分かります。
「組織:未組織 = 1:85」
ということです。
以前紹介した
2005年7月発表の日本山岳レスキュー協の資料から。
2004年の警察庁データと重ね合わせて、組織登山者が遭難者数の27%を占めると出ています。
さて、ここからわかるのは以下のこと。
・組織登山者は全体の1.2%
・未組織登山者は組織登山者の80倍以上いる
・1.2%の組織登山者が、全遭難者のうち3割り近くを占める
・組織:未組織 = (人数)1:85 = (遭難者数)1:2.7
未組織登山者の遭難問題で、組織加入を勧めるコメント、識者からよく出てきます。
が、この数字を見て、組織に入ろうと思えるのでしょうか?
組織登山者の方が未組織よりもよく山に行く。
一概にそうとは言い切れません。
また、「組織」の看板はあるものの、自助能力や新人教育能力がない組織もかなりあると思います。
すでに「山岳会組織」の体をなしていない組織すらあると聞きました。
よい組織、見つけるほうが難しいのが現状ではないかと思います。
未組織登山者の問題。
まずは組織登山者の問題を解決してからの話のような気がしますが…。
組織に入るか入らないか。
仲間ができる魅力はあるものの、遭難に関して言えばどっちもどっちだと思いますがね…。
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- 2006/09/14(木) 10:58:11|
- 日々是好日
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【概要】
10日午前7時ごろ、北海道八雲町遊楽部(ゆうらっぷ)岳(1277メートル)で、見市(けんいち)川の沢登りをしていた札幌市豊平区の無職女性(63)が、増水した川に流された。女性は
札幌中央勤労者山岳会の仲間7人と共に前日入山。登山口となる国道277号の「雲石橋」から約7キロ上流で1泊し、10日早朝から下山を始めた。約2キロ下った場所で、幅5(or6)メートルの川を2人ずつロープを伝って左岸から右岸に渡っていた際、10分ほどの間に腰の高さから胸まで増水。女性は命綱につながったまま、足元をすくわれた。仲間が助け出した時には、既に息が無かったという。 一行は、リーダー(45)を現場に残し、6人が下山、約7時間後に通報。道警ヘリが11日朝、町内の病院に搬送したが、死亡が確認された。仲間の女性(34)は「朝方から雨だったが、それほど増水していなかった。支流の沢が崩れ鉄砲水になったようだ」と話している。 女性は、ヒマラヤなど、海外を含め登山歴は豊富だった。
(毎日新聞、北海道新聞よりデータ引用・抜粋。死亡者のみ実名)
【考察】
前日も雨だったという情報もあります。
が、「鉄砲水」の脅威、今回はまざまざと見せ付けられたようです。
「何がおきるかわからない。それもリスクのうち」とはいえ、これを予測するのは至難の技かと思います。
通報が7時間後というのも、谷筋であることを考えれば、やむを得ないことでしょう。
また、現場に人を残しておいたのも、事後の処置としては妥当なものかと思います。
札幌中央勤労者山岳会、多数の山行を積極的に重ねていたようです。
ですが、8人パーティーというのは少々規模が大きいように思います。
これはあくまで私見で、この点については賛否が分かれることと思います。
当然、訓練合宿的ものなら人数も多くなるはずですから。
亡くなった女性、経験は豊富だったと報じられています。
が、急激な増水に対し、63歳の女性の筋力では耐えられなかったのでしょうか。
増水が始まった時点で一時渡渉を中断し、水が引くのを待つ…。
あくまで結果論ですが、回避するにはそれしかなかったのかもしれません。
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- 2006/09/12(火) 20:07:42|
- 遭難カルテ
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日本の登山人口っていったい何人?
というわけで、またもや数字モノ。
2005年の社会経済生産性本部の「レジャー白書」によると600万人強らしいです。
大体これがいい線ではないでしょうか。
民間の中には500万人から1000万人というのがありました。
そもそもどうやって登山人口を割り出したのか、その根拠は見つかりませんでした。
一般に言われている500万~1000万の間、ということにはなりそうです。
で、この「レジャー白書」。
面白いのは、50代以上が過半数を占める「シニア化種目」という分類があります。
この中で登山は、観光・行楽部門12種目中、60.7%で堂々の一位。
全91種目中ではゲートボール、おどり、囲碁、園芸、邦楽民謡、社交ダンス、演芸鑑賞に続いての8位。
以下、日曜大工、ゴルフ、観劇…と続きます。
ピクニック・ハイキングは31位の45.4%でした。
「中高年(40歳以上)が登山人口の8割以上を占める」
あちこちで目にするフレーズです。
中高年登山者の大半は50代と60代で、40代は少数派です。
で、50代以上が6割とすると、40歳以上で8割になる、なんてことにはなるとは考えにくいのです。
この「白書」を信用するとしたら、せいぜい中高年は7割程度といったとこでしょうか。
ところが、2005年分の警察庁データによると遭難者の8割、死者の9割が中高年。
遭難する確率が年齢に関わりなく同じとしたら・・・
遭難者のうち中高年7割、死者も同じく7割、となるはずです。
ですが中高年の遭難確率は若干高く、死亡確率はさらに高まっている、ということになります。
細かく計算して見ます。
2005年の登山者600万人のうち遭難者は1684人で0.028%。
3571人に1人ということになります。
中高年を7割の420万人とすれば、遭難者1372人で確率は0.033%。
3割に当たる180万人の40歳未満は312人で0.017%。
中高年の遭難確率は40歳未満のほぼ2倍ということになります。
死者・不明者でも比較してみます。
全体、273人÷600万人=0.0046%。
中高年、244人÷420万人=0.0058%。
40歳未満、29人÷180万人=0.0016%。
死者・不明者に至っては3.6倍ということになります。
登山者の多くを中高年が占める以上、遭難者の内訳も同様であることは単純な話です。
これだけをもって中高年批判をするのはちょっと違うかな…と。
ですが、登山人口内での割合を比較すると、「中高年の方が遭難しやすい」ということになってしまいます。
「遭難者の8割が中高年⇒だから中高年の遭難が多い」
ではなく、
「中高年の登山者は7割⇒でも遭難者の8割を占める⇒死者・不明者は9割に」
「40歳未満に比べて、中高年の遭難確率は2倍、死亡・行方不明は3.6倍」
という構図が見えてくるわけです。
計算してみて、我ながら驚きました。
40歳というところで線が引かれているのですが、これが50歳以上となったら…。
考えるだけでも、オソロシイものがあります。。。
数字の読み方、人それぞれかもしれません。
「なぁんだ、1万人中3人しか遭難しないのか」とも言えるかもしれません。
ですが、自分がその3人にならない保障はありません。
「3人しか」と読むか「3人も」と読むかで、ずいぶん違う気がします。
もちろん、結果論の数字で山に登るわけではありません。
ですが、山の現状を考える上で、統計モノを並べてみると、その一断面が見えてくると思います。
40歳目前の自分にとっては、今回の「数字」はなかなか興味深いものでした。
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- 2006/09/09(土) 20:51:33|
- 日々是好日
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登山、山登り、山歩き、トレッキング、ハイキング、ピクニック…。
これらの言葉の違い、正確に説明できますか?
・登山⇒山に登ること。山登り。
・山登り⇒山に登ること。登山。
・山歩き⇒(名)スル 山を歩き楽しむこと。
・トレッキング⇒高山の山麓を徒歩で旅行すること。山歩き。
・ハイキング⇒山野・海辺などを自然を楽しみながら歩くこと。ハイク。
・ピクニック⇒野山などに出かけて遊ぶこと。遠足。
goo辞書によると、以上のように説明されています。
ですが、現状ではごちゃごちゃに使われていて、明確に違いを説明できる人は少ないと思います。
北アの山頂を目指す「トレッキングツアー」なんてのもあるぐらいですから…。
語感の問題かもしれませんが、カタカナのほうが緩くて漢字のほうが厳しい印象をうけます。
【登山=山登り>山歩き=トレッキング=ハイキング>ピクニック】
こんな感じでしょうか…。
が、無雪期の歩きオンリーの場合、やっていることはほとんど同じなのですが。
山の中を歩くことについては全く同じことで、転・滑落、転倒、道迷いのリスクも同じようにふりかかってきます。
紅葉の季節、白山の頂上で「○○ハイキングクラブ」の旗を持った中高年の団体さんに遭遇したとき。
リーダーと思しき男性が、「ハイキングは登山のような危険なことはしない」なんて仰っていました。
「具体的にどう違うのですか?」と突っ込んで聞いとけばよかったかな…。
最近、「ハイグレードハイキング」なる言葉があると知りました。
まったく「何じゃそれ?」の世界です。
ハイグレードとそうでないハイキングの違いって、全く分かりません。
またぞろ出てきた意味不明の言葉…などと思っています。
この違和感って何だろう?
何とも思わずに使っている人がほとんどだろうなぁ。
まあ、好き嫌いの世界で、使っているならとやかく言う話でもないんですが。。。
汗水たらして山に登ることは同じ。
安易な言葉に踊らされないよう、気をつけましょう。
あ、自分自身は、「山ヤ」って言葉、好きです。
言葉の意味、説明できませんけどね(笑)。
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- 2006/09/08(金) 14:52:26|
- 日々是好日
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この夏の足跡。
7月31日 北八ツ・縞枯山
8月7日 北八ツ・横岳
8月21日 中国山地・氷ノ山(氷ノ山越えピストン)
8月28・29日 中ア・木曽駒(テント泊)
8月31日 北八ツ・高見石
9月1日 中国山地・氷ノ山
今年の夏山、6発7日テント1泊。
全行程、家族登山隊でした。
2歳児と4歳児をつれてでした。
子連れ山行5回目の夏は、たいした山には行けていないのですが、なかなかに濃い夏でした。
今から思えば、長男も次男も、0歳の夏から担がれて山に行っているわけで、さすがにこちらも慣れてきました。
出産・育児でブランクのある山オンナの嫁さんも、いいリハビリになったのではないでしょうか。
こちらもGWが開けてからどこにも行けず、たまっていたフラストレーションを一気に開放?みたいな感じで、山ばかり。
そろそろ自分の山に…と思ってはいますが、なかなか休みが取れない現状。
家庭サービスはたっぷりとしたつもりではあります。
と、いうわけで、秋~春は自分自身のための山へ。
そうなればいいのですが…。
遊びまくっていた分、仕事もどっさりたまっていて…考えるだけで気が重くなります。
独身の頃が懐かしい…などと、よく思うものです。。。
しばらくは体を休めてゆったりと過ごすことにします。
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- 2006/09/07(木) 20:27:42|
- 日々是好日
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9月最初の月曜日、再び氷ノ山へ。
山日記13日目以来、2週間ぶりです。
前回は出発が遅いこと、氷ノ山越えまで行ったところで下山しました。
案の定、車に帰り着いたとたん、土砂降りに。。。
長男の希望もあり、今度こそ頂上へ、ということで、作戦を少々。
コースタイム約5時間、標高差600メートル。
我が家のファミリー登山隊においては、未知の領域です。
出発を早めること、背負子2発で行くこと、天候に配慮…課題はどっさりでした。
前回同様、前日からわかさ氷ノ山キャンプ場泊。
早めに起き出して、午前8時半過ぎ出発。
10時半ごろ、氷ノ山越えに。
ここまではチビ2人とも前回よりも快調に歩く。
避難小屋前のベンチで大休止。
ここから次男は15分ほど担がれるも、「歩く」と言い出す。
結局歩かせることにしたが、ペースはゆっくりめ。
仙谷分岐、コシキ岩と通過し、笹原の道へ。

長男は順調に進むが、次男はかなり遅れる。
1時半ごろ、長男とともに山頂に。
次男と嫁さんは15分遅れで山頂到着。
親にとってはほぼ10年ぶりの氷ノ山山頂。
裸地だったところがロープで囲われ、笹がかなり復活していた。
また、尼工ヒュッテが撤去され、トイレつき休憩舎が立っていた。
山頂避難小屋は、相変わらずのたたずまい。
ゆっくりと昼食をとり、下山へ。
次男は最初から背負子の人に。
長男は仙谷分岐でダウン。
ここからは背負子2発が威力を発揮、嫁さんと1人ずつ子供を背負う。
大背負子に長男、小背負子に次男。
背負子自体が重い大、荷物も多く入っており、子供も大きい方が…。
かなり重いので、汗をかいた…。
チビたちは、背負子であっというまに熟睡。

荷物は暴れない方がラクです。
親の足だと、これまでがウソのように速い!
コースタイムの8割ペースで進む。
避難小屋からは次男が目覚めるもご機嫌。
下山完了目前で長男もお目覚め。
午後5時前、無事下山。
5時間のコースを、2歳児ペースで登り、下りは担いで8時間。
全体としてはまずまずでした。
チビ2人も登りはほぼ自力。
なによりお天気が良かったのが幸いでした。
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- 2006/09/07(木) 18:54:19|
- 山日記
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木曽駒から降りた翌々日の8月最終日。
お天気もいいことだし、だらだらと白駒池にでも散歩に行くかぁ…と、麦草峠方面へ。
前日、おニューのザックを買ってもらった長男が
「お池なんか行かん。お山登りがいい!」
嫁さんと地図をにらめっこ。
今からでも日帰りでいけるところは…。
というわけで、麦草峠直下の白駒池駐車場から高見石ピストンに。
登りは幅の広い登山道を行く。

快調に進む長男。
次男もゆっくりながら、進むことは進んでいる。。。
が、やたらと休憩が多い…。
2時間少々かけて、高見石小屋へ。
歩いている時間はほぼコースタイム並み。
休憩の多さで時間を食った形に。
小屋で昼食をとり、いよいよ大岩ゴロゴロの高見石へ。
さすがに次男は背負子に乗せたが、長男はやる気満々。
嫁さんの介助を受けつつ、最高点へ。

下りは、登りと違う、細くて傾斜のきつい道。
次男は段差のたびに「ジャンプ!」。
少々あぶなっかしいので、飛ばないようにさせねば…。
午後に入り、昼寝タイムで長男は段々不機嫌に。
白駒池に着いたときには機嫌も直っており、一安心。
駐車場で車に乗せ、走り出したとたん、2人とも熟睡。
お気楽なもんですなぁ…。
子供は2人ともほぼ全行程を自力歩行。
場数を踏むと、どんどん歩けるようになるもんです。
しかし、「お山登りがいい!」とは…意欲が芽生えてきたようです。
持続時間はそう長くないものの、長男の歩行ペースは大人とそう変わりません。
次男が成長し歩くペースが上がったら…。
親も負けずにトレーニングせねば…。
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- 2006/09/06(水) 17:57:51|
- 山日記
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【概要】
2日午後8時10分ごろ、岐阜県揖斐川町の三国岳(1209メートル)から下山中だった京都市左京区、無職女性(70)が、登山道から約70メートル下の岩場に滑落した。3日午前8時半ごろ、県防災ヘリが女性を発見、病院へ搬送したが、頭の骨を折っており、死亡が確認された。女性は所属する日本山岳会京都支部の男女会員8人と、2日朝から日帰りの予定で同岳南の左千方(させんほう)(1197メートル)へ登山していた。途中で道に迷って行程が予定よりも大幅に遅れたため、三国岳の北東にある夜叉ヶ池に向けて下山していた。事故後、グループは付近で夜を明かし、3日午前7時5分ごろ、揖斐川町の川上集会所から、京都市内の男性(64)が通報した。
(毎日新聞、読売新聞よりデータ引用・抜粋、死亡者のみ実名報道)
【考察】
山岳会名が報じられないケースが多々ある中、「日本山岳会」の看板は、マスコミにとって重いもののようです。
以前にも書いたのですが、「日本山岳会員」と「山のベテラン」。
必ずしもイコールではないということを考えれば、この「日本山岳会員」という言葉の重み、疑問に思うところです。
会の歴史自体は日本で最も古いものです。
が、実力は普通の山岳会並みと考えてもいいのではないでしょうか。
死亡者が70歳、通報者が64歳。
2005年12月の資料によると、日本山岳会の会員平均年齢は64歳だとか。
すでにりっぱな「高齢者団体」に近い存在だと思います。
その「日本山岳会員」の起こした事故です。
日帰りで道に迷い、ビバーク。
しかも滑落による高齢者死亡事故。
マスコミにとっては、格好のネタかもしれません。
今回の事故、発生は午後8時過ぎ。
すでに真っ暗になってからの発生です。
行動すべき時間は過ぎているはずで、夜間強行軍の意図は何だったのでしょうか。
行程遅れによる焦りがあったことは予想の範囲内です。
が、暗闇の中を行動するに当たり、全員がヘッドランプなどを装備していたかどうか…。
報道内容からはうかがい知れません。
また、ベテランが9人もいて、地図読みとルートファインディングをしていれば道に迷うことも考えられません。
この9人の詳細が不明なので、これ以上なんとも言えませんが…。
日本の登山界をリードしてきた日本山岳会の歴史と功績。
それを否定するつもりはありません。
その貢献は、他の追随を許さないもので、大いに尊敬しています。
ですが、「日本山岳会=スゴい山ヤの集まり」という図式。
すでに崩壊していることに気づくべきではないでしょうか。
今回の事故は「中高年パーティーの70歳滑落死。道に迷い、行程遅れ」とすべきだったと思います。
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- 2006/09/05(火) 20:16:35|
- 遭難カルテ
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【概要】
北アルプス針ノ木岳に向かったまま行方不明になっていた横浜市の会社員男性(58)は2日午前9時40分ごろ、下山予定日から5日ぶりに大沢小屋に自力で下山した。衰弱しているため、同県安曇野市内の病院に入院したが、けがはないという。男性は単独で大町市扇沢から8月26日に入山、2泊3日で下山する予定だった。家族から29日夜に「予定を過ぎても帰らない」と届け出があった。その後の捜索で26日に宿泊する予定の山小屋にも到着していないことがわかり、登山口に残されていた男性のバイクが発見された。男性は尾根近くの針ノ木雪渓を目指したが、入山して間もなく道に迷い、岩場で動けなくなってビバーク。持っていたパンや菓子などを小分けにして食べつなぎ、雨水を飲んで渇きを癒やしたという。
【考察】
よくぞ5日も食いつないだ、と言うべきでしょうか。
ビバーク後の食糧に関する処置は、ほぼ正解だったと言って良いでしょう。
2泊3日行程の初日に迷ったようです。
食糧がすべて自前ならほぼ8食。
1日の消費を1食分として1週間をしのぎきった計算になります。
1日1食で1週間山にいるとなると、かなりの飢えに襲われたはずです。
また、計画上、小屋の食事を当てにしていたとすれば、さらに少ない食糧となります。
入山から下山に至るまでの詳細な行動記録があれば、参考になる部分は多いかと思います。
そもそもは道に迷ったところがはじまりです。
それほど迷うようなところだとは聞いたことがありませんが…。
==========追記(06.09.05)==========
以下、中日新聞からの引用です。
■食料小分け、雨水でしのぎ
(略)
●●さんは最初、尾根を目指して登ったが行き止まり。遭難から四日目の二十九日、山を下り始めたが百メートルほど下りて力尽きたという。これ以上の下山は無理と判断し、開けた場所に野宿して救助を待つことに。手持ちの食料や水でしのいだが、三十日には水が尽きた。 それ以後は雨水を三十ミリリットルほど飲んだだけだった。 今月二日朝、再び下山を開始。午前七時ごろ登山道にたどり着き、雪を集めて約一リットル飲んだ。インスタントのラーメンを食べると元気が戻ったという。
■『体力は限界、イチかバチか』
「体力的に今日が限界だった。でもそろそろ捜索が打ち切られるころだと思い、イチかバチかで下りていった」。二日午前、遭難から七日ぶりに自力で下山した●●さんは同日午後、本紙に、極限状況の中で下山を決断した心情を語った。「遭難中は、動かずにじっと救助を待っていた。ヘリが飛んでいて、捜してくれていることに気付いていた」。●●さんは横浜市南区の自宅で待つ母(81)に電話した後、取材に応じた。疲労から声は弱々しかったが、言葉はしっかりしていた。●●さんは登山歴三十年のベテラン。「慌てることはなかった。救助を待つ間、家族のこと、仕事のことを考えて過ごした。パンや塩ようかん、メープルシロップなど行動食をチビチビ食べながら、しのいだ」一方、「水が少なかったのが痛かった。雨が降ったけどほとんど集められなかった」。日ごとに体力が消耗していく中、捜索打ち切りのタイムリミットが迫っていたことから、二日朝、下山を決意したという。「結果的にはもっと早く下りるべきだった」と後悔を口にしつつ、「たくさんの人に迷惑と心配をかけてしまった。申し訳ない」と関係者を気遣い、おわびの言葉を何度も繰り返した。
(以下略)なかなか壮絶な内容です。
また、遭難後も落ち着いていた様子が分かりますし、自分の体力なども冷静に分析していたようです。
かえって、これほどの人が道に迷ったことがよけい不思議に思えてなりません。
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- 2006/09/05(火) 17:04:10|
- 遭難カルテ
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テント泊明け、朝飯はお茶漬け。
ゆっくりと支度をして、木曽駒へ。
歩き始めはガスの中でした。

長男は快調に飛ばしますが、次男はマイペース。
途中から泣きながらの登り。
それでも足が止まらないあたり、慣れてきたのでしょうか?
すれ違う人が「ボク、アメあげようか?」といわれたとき、泣きながら手を出して笑いを誘っていました。
小休止を挟みつつ、何とか頂上へ。
次男も機嫌が直り、兄弟で抱き合って登頂を喜びました。

長男は元気いっぱい。
その辺のものに手当たり次第によじ登りまくりで…。

撤収を済ませ、下山へ。
次男は中岳への登り返しは自力で歩いたものの、中岳からは背負子の人に。
長男は終日快調。
ロープウェーの駅近くまで来たときに、雨がポツリ…。
そこから走る長男についていくのが精一杯でした。
子連れテント山行、トラブルもなく無事終了。
2歳児と4歳児を何とか上まで登らせることも出来ました。
長男は全行程を自力で歩ききり、次男も登りはほぼすべて歩いたことになります。
今年最大の宿題(?)が終わり、ほっとしています。
来年は…2泊3日などと勝手に考えていますが…。
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- 2006/09/02(土) 19:27:48|
- 山日記
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8月最後の月曜日、チビ2人の1泊2日テントデビュー戦へ。
前々から作戦を練っていた、中ア・木曽駒へ。
未明に大阪を出て、駒ヶ根に。
バス&ロープウェーで千畳敷へ。
ロープウェーは順番待ちの行列で、3本ほどやり過ごす状態でした。
相変わらず人の多いところです。
10時半過ぎ、千畳敷から、長男・次男とも歩きでスタート。
嫁さんは背負子に次男の着替えと少々の装備。
残りは全部こちら持ち…夏とはいえ、結構な重量に…。
長男はタッタカタッタカ進むが、次男はゆっくりペース。
親は大して汗もかかずに登ることになりました。

写真は浄土乗越への途中。
登るほどに傾斜がきつくなりますが、あまりペースは変わらず。
少し寒くなってきたので、防寒具着用。
なんと浄土乗越(稜線)まで、2歳の次男が機嫌よく歩いたのには驚きました。
稜線はガス&少しの風。
次男はここから背負子に乗り、嫁さんの背中へ。
このあたりから不機嫌モードの長男をなだめつつ進む。
中岳を越え、サイト地へ。
13時半着。
テントを張っていると、ポツリポツリと雨が少々。
すぐにやみ、たいしたことがなく安心しました。
テン場代、大人2人で1200円。
子供は普段のお昼寝タイム。
1時間ほど寝かしつけました。
夕食は子供のリクエストでスパゲッティ。

食べっぷりもまあまあで、初日は上々の出来。
行動時間は、休憩を除くと、ほぼコースタイムどおり。
やるなぁ!
とはいえ、かなり休憩をとっていたので、時間はかかりましたが…。
親は軽量化のため薄いシュラフだったため、夜中は少し寒かった…。
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- 2006/09/02(土) 18:00:43|
- 山日記
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【概要】
27日午前11時15分ごろ、北アルプス白馬岳(2、932メートル)の白馬大雪渓中腹で、直径約1メートルの落石が登山中の女性2人を直撃した。この事故で、登山ツアーに参加していた東京都西東京市の主婦(63)が頭部に落石を受け、脳挫滅で即死。同行していた同市の女性(58)も足に軽傷を負った。今回の登山ツアーは、西東京市が出資する
西東京市文化スポーツ振興財団が主催。「季節のハイキング」の名称で、山歩きの経験を問わずに参加者を募集していた。ガイド、ツアー責任者を含む計22人がパーティーを組み、北安曇郡小谷村の宿泊先から日帰りで白馬大雪渓を散策する計画で入山していた。落石は、目的地標高約1900メートルの地点に達し、ガイドを先頭に縦一列になって休憩していた時に発生。正面から直径約1メートルの石が落ち、列から約1メートル離れた場所にいた2人に当たった。当時、天候は薄曇りで、視界は約30メートルと悪かった。
(毎日新聞、時事通信、信濃毎日新聞よりデータ引用・抜粋。死亡女性のみ実名報道)
【考察】
またもやツアー・雪渓上の落石・60歳以上の死者。
7月29日、針ノ木雪渓⇒
遭難カルテ928月4日、白馬・鑓沢⇒
遭難カルテ95今夏、後立山だけで3件目の事故になります。
以下、信濃毎日新聞の記事です
これまでにもたびたび落石による死亡事故が発生している北アルプス・白馬大雪渓。しかし、ツアーを主催した西東京市文化スポーツ振興財団は取材に対し「過去に死亡事故があったとは全く知らなかった」と述べ、認識の甘さを浮き彫りにした。登山の専門家は「計画段階から危険をはらむ『入山前遭難』の典型だ」と厳しく指摘している。
==========中略==========
これに対し、県山岳遭難防止対策協会講師の丸山晴弘さん(65)=長野市=は「今年は残雪が多く、雪解けで落石が起きやすいにもかかわらず、主催者側に危険の自覚がなさ過ぎる」と嘆く。ツアー登山の遭難事故が増加傾向にある現状に触れ、「ツアー主催者は人件費を抑えるためガイドを少なくする傾向がある。参加者の体力や経験を不問とする集め方も問題だ」と訴える。
白馬大雪渓では今回を含め、過去10年で少なくとも5件の死亡事故が発生。北アルプス北部では夏山シーズンに入って、土砂崩落や落石が相次ぎ、落石事故で登山ツアーの参加者計3人が死亡、2人が負傷している。
==========以下略==========過去に事故があったかどうか、主催者が全く知らない…オソマツな限りです。
自治体出資の財団主催、安心して参加する気持ちは分かりますが、これも安全とは言えないことがはっきりしました。
次元は全く違うのですが、国主催で死者の出た大日岳訴訟を連想してしまいました。
何が安全なのか、ツアーに参加する側の判断する力が問われることになるかもしれません。
そもそもガイド1人で、21人もの面倒をどう見るのか、はなはだ疑問です。
過去の遭難事例も調べずに企画すること自体、危うさを感じます。
私自身、どちらかといえばツアーには否定的な立場です。
すべてのツアーがダメというつもりはありません。
ですが、今回の事故は今時のツアーのひとつの側面がはっきり現れたケースと言えそうです。
山の危険認識の薄い、観光色の強いツアー。
その存在自体が問題ではないでしょうか。
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- 2006/09/01(金) 19:59:14|
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【概要】
26日午前10時10分ごろ、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂の北アルプス・北穂高岳(3、106メートル)直下の滝谷A沢で、登山中の女性が約100メートル下に滑落したのを同行者が目撃し、北穂高小屋を通じ高山署に通報した。滑落したのは、栃木県上三川町の無職女性(56)で、仲間3人と槍ケ岳から北穂高岳へ縦走中、尾根から滑落した。現場は岩場で、登山道からは女性の姿が見えるが、動かないという。27日午前8時15分ごろ、岐阜県警のヘリが発見・収容したが、女性はすでに死亡していた。
(毎日新聞、読売新聞、中日新聞よりデータ引用・抜粋。死亡女性のみ実名報道)
【考察】
遭難カルテ100で触れた事故と、ほぼ同じ場所での発生です。
特別に岩登りの訓練が必要なコースではありませんが、やはり岩稜。
なめてかかっては痛い目にあいます。
報道によると、事故当日はヘリが接近できないほどの天候。
当日の捜索は打ち切られ、27日朝から再開されたようです。
この悪天候も、事故の要因のひとつではあります。
が、転落・滑落はヒューマンエラーの要素が大である部分は変わりありません。
年齢に関わらず、転・滑落のリスクは存在します。
が年齢が上がるにつれて、そのリスクは大きくなることも事実です。
初心者向けの歩くだけのルートとは違う場所です。
それなりの準備・心構え、忘れないようにしたいものです。
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- 2006/09/01(金) 17:23:23|
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【概要】
26日午前11時ごろ、さいたま市浦和区の会社員男性(38)の妻(42)から、南アルプス署に「北岳に登った夫が、下山予定の25日をすぎても帰らない」と電話で通報があった。男性は1人で、22日から25日までの日程で、広河原登山口から入山、北岳(標高3193メートル)などに登る予定だった。22日、北岳の山小屋「肩の小屋」に宿泊し、23日午前6時半ごろ、山小屋から自宅に「今から北岳山頂を目指す」と連絡があったのを最後に連絡が途絶えた。27日午前10時ごろ、男性から家族に衛星携帯電話で「北岳山荘にいる」と連絡があった。けがはなく、28日に山荘の従業員が同行して下山。23日に水場を探しているうち道に迷いテントを張って野宿をしながら27日、北岳山頂から約300メートル下の北岳山荘にたどり着いた。
(毎日新聞、読売新聞、NHKよりデータ引用・抜粋。男性は実名報道)
【考察】
日程から考えれば、間ノ岳を経て農鳥岳方面への縦走を計画していたのでしょうか。
水場を探して道に迷ったとの事。
縦走だった場合、水の確保は優先順位の高いものです。
場合によったら、丸一日、補給できない場所もあります。
多少重量はかさみますが、2~3リットルは持って移動せざるを得ません。
肩の小屋を出て北岳山荘に自力で移動して来たことから、北岳周辺で迷ったと考えられます。
考えられる水場といえば、旧北岳小屋跡。
地図上では行き止まりになっており、あえて踏み込んだとしてもその先がありません。
ムリにここで水を補給しなくても、北岳山荘で補給すれば問題なかったと思われます。
いったいどこへ行こうとしていたのでしょう?
あえて水場を探さざるを得ない状況、ちょっと想像できません。
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- 2006/09/01(金) 15:42:37|
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