薮山で、沢登りのつめで…ササ薮漕ぎ、きつかった思い出しかありません。
密集したところなど、よく滑るんですよね。。。
一方で笹っ原の稜線、気持ちのいいものです。
今回はそんな笹の話。
勘違いが2つ。
最初に断っておきますが、植物については全然詳しくありません。
高山植物や花についても、知らないものの方がはるかに多い状態です。
ですので、以下の文章中にも間違いがあるかもしれません。
以下、その前提でお読みください。
勘違いその1。
クマザサはこれまでずっと「熊笹」だと思ってました。
実は「隈笹」が正解でした。。。。
クマザサの葉は越冬すると周囲が白っぽくなるそうです。
その白っぽい縁取りが「隈取り」に見えるので「隈笹」というのだとか。。。
確か漢方薬の材料にもなっているようで、パッケージにデカデカと「熊」の絵が…というのを見た記憶があります。
それも「勘違い」から来てるんだろうか。。。。
勘違いその2。
四国のササは、全部「シコクザサ」だと思ってました。
じつはほとんどが「ミヤマクマザサ」らしい。。。。
屋久島にはヤクザル、ヤクシカ、ヤクスギ→→→全部がヤク○○。
北海道にはエゾシカ、エゾマツ→→→全部がエゾ○○。
いずれも短絡的ですね。。。
同様に、四国のササは、シコクザサ。。。。。。
ずっとそうだと思ってました。。
シコクザサは
愛媛県のレッドデータブックと
香川県のレッドデータブックに載っていました。
香川県はともかく、瓶ケ森周辺や笹ヶ峰周辺などの広大な笹っ原を持つ愛媛県が絶滅危惧2類(VU)に分類するなんて、やっぱり私の勘違い以外の何でもありません。。。
四国にしかないというのは間違いないのですが、希少種だったのですね。
ちなみにミヤマクマザサ北限地の
栃木県のレッドデータブックでは準絶滅危惧(Cランク)になっています。
また、徳島・高知県境の三嶺(みうね・さんれい)周辺の「コメツツジとミヤマクマザサの群落」は国の天然記念物です。(
徳島県HPより)
国定公園特別保護地区になっている氷ノ山山頂(兵庫・鳥取県境)でもササ(チシマザサだったと思う)の植生復元が進んでいました。
ササとはいえ、むやみにむしってもいいものではないようです。
以上、とある方からの指摘で、表面をなぞる程度に調べた結果です。
余談ですが、ササといえば西村寿行の小説「滅びの笛」を思い出します。
ササの一斉開花からネズミの大量繁殖が引き起こされ、パニックに至る…という内容でした。
随分前に読んだので、記憶もかなり曖昧ですが。。。。
そういえば、ササの開花、いまだにお目にかかったことがありません。
一度は見てみたいものです。。。
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- 2007/05/31(木) 20:15:09|
- 日々是好日
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エベレスト遭難の話があったついでのようなものですが。。。
日本人の8000メートル峰登頂者、何人いるか知っていますか?
日本山岳会のHPから
最新版のリストが見られます。
以外に多いんじゃないかと思います。
もう、数えるのもしんどいほどです。
先週ぐらいまでは、2004年1月までのバージョンが掲載されていました。
「最新版」には今年の3月1日までのデータが掲載されています。
「旧版」にあった、氏名の日本語表記、生年月日、死亡年月日などが「最新版」にはありません。
個人情報保護の観点からなんでしょうか?
手元に「旧版」から、登頂年と登頂時年齢をプロットした表があります。
素人がヒマに任せてポチポチやったものなので、転記ミスや計算間違いなどはあるかもしれませんが、どうしてもみたい方は
こちらを。
厳密に正確さを問われると困ってしまうのですが、大体の傾向はつかめるかと思います。
登頂者数はほぼ増加の一途。
人数的に多いのは20代後半から30代。
年とともにこの中心部の年齢も、若干上昇気味。
1970年代は20代と30代のみ。
それが80年代に入ると、40代が少しずつ増えていきます。
90年代前半になると、40代後半よりも50代後半の方が多くなります。
90年代全体で見ても、50代がひとつの核を形成する勢い。
90年代後半に入ると、60代も増え始めます。
2000年代に入ると、70代も現れます。
年代を経るに従い、年齢別の登頂者数も薄く広くなっていきます。
2003年にいたっては20歳から70歳まで、ほぼまんべんなく広がるようになっています。
特定年齢層への集中がなくなっていきつつある、という状態です。
計算・集計をしたわけではないのですが、間違いなく平均年齢は右肩上がり。
高年齢化が如実に進んでいると言えます。
日本にいて「山に行けば中高年ばかり」。
8000メートル峰も段々それに近づいているということでしょうか。
装備や技術の進化は当然あると思います。
ただ、やはり商業登山の影響、大きいんじゃないかな…。
そんなものが透けて見える気がしてなりません。
どこかで、ちゃんとした集計と分析、やってくれたら面白いんですけどねぇ。。。
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- 2007/05/26(土) 20:39:39|
- 日々是好日
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7月1日の山開きを待たず、富士山が登山客でにぎわっている。季節はずれの滑りを楽しむスキーヤーやスノーボーダーだ。晴天となった20日、静岡県富士宮市の登山口からスキーなどを担いだ人たちが列をなし、残雪の急斜面を登っていた。同日正午の山頂の気温は氷点下7度。登山装備を身につけた人たちは、白い息を吐きながら、眼下に広がる雲を背に山頂を目指した。神戸市東灘区の会社員(43)は「この時期は登りやすく、滑りやすい。20歳ぐらいから通っているが、この数年、滑る人が急に増えた」と声を弾ませ、スキーを楽しんだ。実は登山口には、安全のため、「スキー、スノーボード等は全面禁止」と警告する看板が立っている。ただ、禁止する条例などはなく、にぎわいはしばらく続きそうだ。(読売新聞より)バックカントリーブームを反映した記事。
「全面禁止」看板があるとは知りませんでした。
もちろん、法的レベルの拘束力はないんでしょうが。。。
「禁止」「条例」とくれば、「登山条例」を思い出してしまいました。。。。
「富士山山スキー禁止条例」なんてものができたら。。。。。。。あんまり考えたくないですね。
さて、この類の看板、あちこちで目にするようになりました。
「スキー・ボード」よりも、「自転車」「ペット」禁止に類するもののほうが多いように思います。
誰が何のために誰の許可を得て…と考えると、不思議な気がします。
まあ、「スキー・ボード」と「自転車」は、下降の際に使用する道具という部分では同じです。
「ペット」は…ちょっと違いますね。。。
一般的に抵抗の大きさで言えば
「ペット」>「自転車」>「スキー・ボード」
となるんでしょうかね。。。
まあ、それはさておき。
本題に戻ります。
安全のため禁止。
これが一人歩きを始めると、山自体に行けなくなってしまうのではないか…。
スキー・ボードに限らず、危険は付きまとうものですから。
この看板、注意喚起程度の内容でいいんじゃないか?とも思います。
「全面禁止」とは穏やかではないのでは。。。。。
その看板、誰がどういった理由でどういう手続きを経てできたのか。
そのあたりが知りたいところです。
一方でこんな記事もありました。
20日午後4時5分ごろ、富士山の本8合目(標高約3200メートル)付近で、スキーをしていた東京都町田市、●さん(69)から「仲間1人が滑落して動けない。救助してほしい」と富士吉田署に通報があった。2人は同7時半ごろ、自力で下山したが、同都国分寺市、○さん(69)が顔などに軽傷。○さんはアイスバーンで転倒して負傷したという。2人は「この時期、近くでスキーができるのは富士山くらいしかなく、以前にも何度か富士山で滑ったことがある」と話しているが「もう二度としません」と反省しているという。同署は「富士山はゲレンデではない」として、スキーやスノーボードをしないよう呼び掛けている。(毎日新聞より、住所の一部・職業・氏名は伏せました)
夏山シーズンの到来を前に21日、富士吉田市上吉田の「富士山遭難者慰霊碑」前で、夏山登山の安全祈願と富士山で死亡した遭難者の慰霊祭が行われた。県警地域課によると、富士山では昨年6-8月に28件の遭難事故が発生、6人が死亡している。20日には富士山でスキーをしていた登山客が滑落、けがをしたばかり。関係者は「自然は時として我々を拒む」と刻まれた石碑を見つめながら「富士山はゲレンデではない。むちゃな行動はやめて」と苦言も。(山梨日日新聞より)3本の記事から。
看板設置者→スキー、スノーボード等は全面禁止
富士吉田署→富士山はゲレンデではない。スキーやスノーボードをするな
慰霊祭関係者→富士山はゲレンデではない。
この3者がすべて警察かもしれません。
が、少なくとも地元では否定的な声が複数あることを示しているような印象を受けます。
こんな声が地元で高まってくると、「条例」というのも、案外ありうるかも…と、思ってしまいます。
条例なんてのは自治体の単位で決められるものですから。。。
世界遺産登録がらみでナーバスになっている部分でもあるんだろうか?
その辺はよく分かりませんが、ゼロではないように思います。
剣岳・谷川岳に続く、第3の登山条例となれば、ちょっと困った話です。
しかし、トホホな遭難が続けば、地元から「やめろ」の声が続々と出るかもしれません。
山スキーを含めた富士登山、命をかけるようなものかといえば、答えはノーでしょう。
(結果的にそういったシチュエーションに…は、あるかもしれません)
富士山に限らず、登山ということ自体、無事帰ってきてナンボのものですから。
100%の安全というのは、どだい無理な話です。
が、登山者としてできることは、少しでもそれに近づくよう気をつけるぐらいしかないのかな、と思いました。
飛躍しすぎかもしれませんし、杞憂かもしれません。
ですが、富士山という、いろいろな意味で特に注目を集める山だけに、ちょっと考えさせられる記事でした。
- 2007/05/25(金) 16:22:06|
- 日々是好日
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遭難カルテ21でふれた
みろく山の会の仙ノ倉山の事故。
昨年3月の発生ですが、1年2ヶ月後の20日に
仙ノ倉山北尾根遭難事故追悼山行を終えてという表題で、事故報告書が公表されました。
少々時間はかかりすぎたか…の感はありますが、内容的にはほぼ要件を満たしているかな。。。。
一方で、なんだかなあ…と思う点もいくつかありました。
気象判断。
可能な範囲でリアルタイムの情報を入手する努力が足りなかった点は、報告書で指摘されています。
初日(18日)の幕営が15時ごろ、とあります。
となると、16時の気象通報から18日正午の天気図作製、というのは可能なはず。
どうしてこの点には触れられていないのでしょう?
「17日の天気図では、18、19日の荒天が予測できなかったかもしれませんが、入山してからもラジオや携帯電話のiモードなどで慎重に天候を判断して、悪くなることが予測できたら撤退も検討すべきでした。」
とあります。
18日の天気図は入手可能なはずで、判断する上でのデータが積み重ねられたはずですが。。。
「19日「雨か雪」を承知で入山した」のですから、より天候には敏感でもあっていいのでは。。。
また、ラジオについては「個人的には持っていましたが、共同装備として位置づけておくべきです」とあります。
天気図用紙も!と思うのは、私だけでしょうか。。。。。。
ここには疑問が残ります。
「携帯電話は電池の消耗を少なくするためにスイッチを切っておく場合がありますが」とあります。
低温下では携帯電話などのリチウムイオン電池は著しく劣化します。
スイッチを切り冷やさないように注意していれば、ある程度は防げますが、やはり不安は消えません。
乾電池式の充電器もあわせてもって行くべきだと思いますが。。。
「CLやSLが過大に担ぐ傾向がみられます。パーティー全員が分担するようにすべきです」
「装備を分担する場合でもシュラフは個人のビバーク用具であり、万一のことを考えると他人が担ぐべきではありません」
う~ん。。。。。。こんな状態で今までやってきていたとは。。。。
最後に書かれている、ザックカバーの件。
「今回の事故は、ザックカバーをつけていたために起こったのではなく、ザックカバーをしまうために立ち止まり、隊列から離れてしまったことと荒天にあります。冬山でも、湿った雪やみぞれなどが降る場合があり、一概にザックカバーは不要とはいえません。強風のなかでも、飛ばされないような工夫をすべきです」
さて、湿った雪やみぞれへの対策とか、飛ばされない工夫自体はいいんですが。。。。
何度か飛ばされる光景を目にしましたし、私も飛ばされかかったことがあります。
「風が強いとヤバイなぁ…」と、私なんぞはぼんやり思ってしまいます。
さらに雪の斜面に、ザックカバーをつけて著しく摩擦係数が低くなったザックを置く…。
流されてしまう方が怖いのですが…。
「当時の湯沢の気温から推定すると現場の気温はマイナス10度くらいと考えられます」とあります。
となると、「湿った雪」や「みぞれ」は、考えられないのではないかと思います。
そういった状況では、ザックカバーは不必要、ということになります。
事故発生前のクレバス内での休憩中に外すという選択肢もあった、と思います。
「原因はザックカバーをつけていたから」という声が寄せられたのでしょう。
それに対して、いささか「そんなことはない」という、頑なさのようなものが垣間見えた気がします。
ザックカバー自体の必要・不必要ではなく、当時の状況下での必要・不必要についての言及がないのが残念です。
道具も状況に応じて使い分けることが必要ではないでしょうか。
そこの視点がほしかったなぁ…と、思います。
しかし、管理とかランク付けとかが好きな会だなぁ…と。
所帯が大きくなると、そっちに行くしかなくなるんでしょうか…。
その辺が、少々寂しい気がしました。
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- 2007/05/22(火) 20:27:01|
- 事故報告書
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【概要】
秋田・山形県境の鳥海山で19日午後4時半ごろ、山スキーをしていた盛岡市の無職男性(69)が、下山中に道に迷ったと連れのスキー仲間から110番があった。男性らは5人の(7人、という報も)グループで、18日に入山し五合目の山小屋に宿泊。男性は19日午後1時半ごろ、8合目七ツ釜避難小屋から他の4人に遅れて単独で下山し、途中で道に迷った。夕方になっても五合目の山小屋に戻らないため先に下山した友人が警察に届けた。通報後に男性から友人に(山小屋に、の報も)、携帯電話で「迷ってしまい、どこにいるのかわからない。けがはしていない」などと連絡があった。当時、現場付近は悪天候で視界が悪かったという。このため19日は捜索が断念された。20日は早朝から警察、消防など44人態勢で捜索していたところ、午後2時ごろ、七ツ釜避難小屋から約2・5キロ離れた尾根を男性が歩いているところを発見。けがはなく、意識もはっきりしているという。男性は道に迷い、ブナの根元の雪が解けてできた体の半分程の深さの穴で風雪を避けて一晩過ごしたという。
(毎日新聞、岩手日報、河北新報、IBCよりデータ引用・抜粋)
【考察】
統計上は「道迷い」に分類されるのでしょうか。
「はぐれ」→「道迷い」
他のメンバーが問題なく下山していたことを考えると、この構図のように考えられます。
報道によると、滑降開始時点で他のメンバーから遅れていた、ということのようです。
視界が悪いのであれば、それこそまとまって行動すべきではなかろうか。。。。
すでにこの時点では、パーティーとして機能していなかった、ということになります。
パーティー内で、体力差や体調などで、遅れがちになる人がいるのは、当然といえば当然です。
そこを上手くまとめて行動するのがパーティーではないかと思います。
若干距離があいても、視界の範囲にはとらえておくぐらいは、最低条件かと思いますが。。。。
パーティー内でのこの男性の位置づけというものは、よく分かりません。
が、まずはこの「はぐれ」が、原因の根底にあったのではないでしょうか。
積雪期の道迷い、しかも山スキー。
何度か書いたことがあるのですが、下降速度がワカンやツボ足に比べると、はるかに速い。
あれっ?と思ってから引き返すにも、かなりの距離を覚悟しなければなりません。
ルートファインディングに関して言えば、より一層の慎重さが求められるのではないかと考えます。
視界が悪い状況であれば、なおのことではないでしょうか。
以前頂いたコメントの中に、以下の文章がありました。
「視界がなくてもピークから下らねばならぬ時も、地図から方角を割り出し、恐る恐る下るのです」
やはり、ここに立ち返るほかはないんでしょうね。
69歳というご高齢から考えれば、よくぞ無事で…と思います。
ビバーク装備の有無は不明ですが、風をよける場所を見つけられたのは幸運だったかもしれません。
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- 2007/05/22(火) 17:30:15|
- 遭難カルテ
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「山高故不貴、以有樹為貴」
「山高きが故に貴からず、樹有るを以って貴しと為す」と読むのでしょうか。
弘法大師が記したとされる書物、実語経の中にある言葉です。
「山高きを以って…」などと、前半部分はことわざとしてよく引用されます。
山に行く人にも、いろいろな人がいます。
「樹有るを…」というところは、価値観が大いに分かれるところでしょう。
雪だったり、岩だったり、それこそ、なんでもありではないでしょうか。
「高きが故に貴し」とした場合、最後はエベレストに向かうほかはなくなってしまいます。
そのエベレストで、事故があり、東京都内の62歳の男性が亡くなりました。
8500メートルを超える世界での話…まるで想像もつきません。
亡くなった方に対しては、ただご冥福を祈るばかりです。
さて、今回の事故に関して。
公募登山隊、いわゆる商業ベースのガイド登山でした。
アドベンチャーガイズという会社が企画・運営。
同社の
大蔵喜福氏を隊長とする登山隊でした。
大蔵氏は
日本山岳ガイド協会の公認ガイドでもあり、高所登山の経験豊富な方です。
アドベンチャーガイズ社代表の
近藤謙司氏のブログには、少しずつ現地の様子の記述が始まっています。
このブログを読み返してみると、出発前からの様子が順を追って書かれています。
写真を拝見すると、いささか失礼ではありますが、年配の方ばかりのようでした。
また、事故に関する記事へのコメントに「本望だろう」みたいなのが多くあったのは少々気になりました。
事故当時、現場に
野口健氏が居合わせたようです。
野口氏のブログには、当時のレスキューの模様など、生々しい記述が並びます。
この野口氏のブログから、亡くなった男性に続いていた女性の話、少し抜粋します。
「女性はですね、山頂直下で、一生懸命、「上りたい上りたい」と
「女性も極めて歩ける状況ではなかったのですから
「「もうだめだ!」と怒鳴って無理やり下ろしました」
「サングラスもつけていないし、完全にヘロヘロだったので、「もう下りろ!」と言うと、彼女は「行く」っていうから、もう怒鳴って、「いいから下りるんだ!」ってとか、思いっきり怒鳴って、彼女も大蔵隊のメンバーなんですが、その彼女と、男性とうちのシェルパと下山を始めたわけです。」そこまで駆り立てるものって……。
とても想像できません。。。。
「そもそも僕はエベレストのツアー自体に無理があるのかなと。」
「山の世界と言うのは自己責任の世界ですから。そこにツアーって言うのがありえるのかなと。」この疑問を持たれる方も多いかと思います。
かつて8000メートルと言えば、30歳代後半から40歳代前半の世界かと思っていました。
現在では商業登山の流れから、そうではなくなっているようです。
商業登山の流行に伴って、「頂上までフィックスロープの手すりつき」なんて言葉も耳にするようになりました。
実際はそこまでなのかどうなのか、知る由もありませんが…。
アドベンチャーガイズ社は2004年、今回と同じくエベレスト公募登山で63歳の女性が死亡しています。
それを踏まえたうえで野口氏の「エベレストのツアー自体に無理がある」という指摘。
やはり重いように思います。
「郷に入れば郷に従え」と言います。
ヨーロッパアルプスに行ったら、ガイドを雇う。
ヒマラヤに行ったら、シェルパを雇う。
ここらへんまでは、私も理解できる範囲です。
が、公募ツアー。。。。。。
そこまでして8000メートルに。。。。。。
もう、そこは、私の理解の範囲を超えた世界です。
標高は高くなくてもいい。
自分の、もしくは自分たちの力で行ける山に行こう。
先輩や師匠に教わるのはいい。
でも、それはお金で何かを買うのではない。
お金を払って講習会に参加するのもいい。
でも、ただ頂に立つためだけにお金を払うのではない。
自分の力で行ける山のレベルを上げるために、だ。
すべては自分の、自分たちの力で行ける山のために、だ。
今回は改めてそう思いました。
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- 2007/05/17(木) 21:18:37|
- 日々是好日
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遭難カルテ133および
事故報告書8でふれた件、5月3日付で
大品山遭難事故報告書がHP上に掲載されました。
遭難事故発生から約1ヵ月半、比較的素早い対応だと思います。
興味深く拝読しました。
さて、その内容について。
L(リーダー)、SL(サブリーダー)、SP(サポーター)の3人が、パーティー内の指導的立場だったことがうかがえます。
原因・反省点の冒頭で挙げている「今度の山行目的が読図訓練であったにもかかわらず、読図がおろそかであった」。
まさにそこに集約されているようです。
「SLとSPの意見がわかれたとき、全員が地図を広げ、全員で地図と現在地の実際を検証すべきであった」
「リーダーに決定権があるということで説得」
ここがひとつのポイントではなかろうかと思います。
地図、コンパス、GPSと具体的根拠を挙げたSPに対し、SLのルートファインディングの根拠は何だったのか。
もうひとつは、SPの具体的根拠に対して、リーダーはどのように説得したのか。
「リーダーの決定権」のみではなく、ルートファインディングにおける具体的根拠がリーダーにあったのかどうか。
それぞれに根拠があった上での議論であれば、初心者にとって意義深いものだと思います。
そう考えると、ますます、リーダーとSLの根拠が記されていない点が気になります。
結果的に、SPの指摘が正解だったと思われます。
リーダーがそれを退けた根拠がはっきりしないことには、原因に迫りきれていないのではないか、と思うわけです。
また、リーダーやSLの判断の根拠が分からないと、どこにルート判断のミスがあったのかもはっきりしないからです。
以上から、やはり、リーダーとSLのコース判断の根拠が示される必要があったのではないか、と考えます。
今後の対策のⅡに「パーティのバラケが意思の疎通をやりにくくしてしまう」とあります。
これをもう少し大きいものとしてとらえるべきではなかったでしょうか。
「はぐれ」遭難の一歩手前のような気がしてなりません。
リーダーとSPが議論している間、SLはどんどん行ってしまった・・・。
経過報告からは、こんな情景が浮かびます。
固まって行動していれば「メンバー全員で協議でき」たかもしれません。
議論している間もどんどん先行するSLに対し、リーダーの中に「追いかけなきゃ」という焦りがあったようにも思えます。
この焦りが判断ミスを招いた一因かもしれません。
今回のケースで言えば、リーダー・SL・SPの3人は、常にパーティー全体を見渡しておく必要があったと思います。
もちろん、パーティー全員が注意すべき点でもあると思います。
その意識が徹底していれば「ばらけ」ることはなかったのではないでしょうか。
なぜリーダーはSLを止め、議論に参加させなかったのか。
なぜSLは、後続が来ないまま進んでいってしまったのか。
そのあたりの検証も、今後の糧となるのではないでしょうか。
いずれにしても、パーティーのあり方が問われる場面だと思います。
20日には会員対象に報告会が開かれるようです。
ここまでの比較的素早い対応を見れば、組織としての強い危機感の現われだと思います。
また、私自身、好感を持って受け止めています。
穴のない完全な報告書なんて、そうそうできるものではありません。
その穴をいかに埋めるか、というのもひとつのポイントではないでしょうか。
何らかの形で補完されていけば、より意義深いものになると思います。
そういえば、第2稿、第3稿と加筆修正が進められていく報告書、ほとんど見かけません。
そういうものも、あってもいいかな・・・と思います。
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- 2007/05/15(火) 16:21:15|
- 事故報告書
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やっと、連休の山の記録をアップできました。
やれやれ。。。。
その片付け、テント干しをしている間に、録画したままほったらかしの映画を見ました。
「運命を分けたザイル」(2003年)。
映画館で上映の際は見に行きそびれてしまい、ケーブルテレビで上映されていたものを録画していました。
原作の「死のクレバス アンデス氷壁の遭難」(岩波現代文庫、2000年)は読んだことがあるのですが、映画は見ていなかったのです。
ドキュメンタリータッチの作品で、最初は淡々と。
途中からは、最後まで目が離せませんでした。
ザイル切断と葛藤、生への執着・・・。
あの状況なら、切るほかはないだろうなぁ。。。
2人とも死ぬか、1人だけでも生還するかの2択状態だからなぁ。。。
多分、切られた方も「仕方ない」と納得するんだろうけど。。。
だけど、切ったほうにはモヤモヤしたものが一生残るんだろうなぁ。。。
なにより驚いたのは、生還したジョー・シンプソンの、帰ろうという執念。
自分なら、クレバスにはまった時点で、もういいや…みたいな感じになっているように思いました。
ザイルパートナーって何だろう?
ふとそういった疑問が出てきてしまいました。
山の映画、いくつか見たのですが、考えさせられるのは初めてかもしれません。
「クリフハンガー」(1993年)や「バーティカル・リミット」(2000年)は、娯楽作品としては楽しめるんだろうけど・・・。
確かに、突っ込みどころ満載ではありますが(笑)。
「K2/ハロルドとテイラー」(1991年)はまだマシだったか…。
これもビデオになったとたんに「K2/愛と友情のザイル」なんてヘンテコな題名に変わってましたが。。。
また山の映画があったら、とは思いますが、なかなかありませんねぇ。。。。
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- 2007/05/12(土) 20:27:25|
- 日々是好日
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権現越→権現山→エビラ山→二ツ岳→峨蔵越→肉淵
4日目(5月6日)の予定は以上。
前夜、ラジオで西日本の大雨の天気予報。
果たして、夕方から雨になり、朝起きたときにはザザ降りの雨。
テント周りに溝を切っていたのだが、その上を越えて水が流れている状態。
幸い、浸水はなかった。。。。
稜線はかなり風もきつい感じ。
権現山から二ツ岳までが、本日の核心で、ヤブ漕ぎがあったり岩があったりするらしい。
食欲はイマイチながら、朝飯を作りながら考える。。。。。。
下山後のバスは1日3便。
予備日を1日持っているので、何とかなろうかとは思う。
が、やはり、そのまま床鍋への下山、とする。
朝から雨だと、テンションが一気に下がる。。。。。
さて、下山と決まると、ゆっくり時間を使える。
テントからなかなか出たくもないし・・・。
のんびりお茶を沸かしたりして過ごし、雨の中の撤収。
バスは8時半。
15年ほど前の自分の行動記録からすると、バス停まで1時間半少々。
2時間あれば大丈夫だろう。。。ということで、6時半出発。
樹林帯に入るまでの下り道は、さながら川のよう。
ドバドバ水が流れている。
樹林帯を進むうちに、だんだん道がしっかりとしてきて、スギだったりヒノキだったりの植林帯に入る。
1時間ほど下りて休憩。
送電線鉄塔の保線路と登山道の分岐には、四国電力の標識が立っている。

「お気をつけて」だそうだ。
植林帯の中は、道がしっかりしており、随分歩きやすい。

出発から1時間半たっても、道路が見えない。
また、向かいの山などを見ても、とてもとても・・・。
なんだかやばいなぁ…。
8時半のバスを外すと、次は14時半。
6時間はちょっとなぁ…。
ということで、走るように下り始める。
なかなか道路に出ない。。。結構焦る。。。
結局、バス停には8時25分着。。。。
危ないところだった。。。。
かつての記録は、サブ行動時のものだったと後で気づき、見通しが甘かったことを反省。
旧別子山村から伊予三島駅へバスで1時間少々。
こんな所を!みたいな感じでバスが進む。
最後に山を越えて瀬戸内海が見えたときには、「うへ~、この傾斜を今から下りるんかい!」みたいな感じだった。
岡山行きの特急ではさすがに座れなかったが、新大阪までの新幹線は岡山始発で座れた。
JRを乗り継いで帰宅。
予定を全部消化できたわけではないけれど、なかなか楽しい山でした。
よく歩いたもんだ。。。
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- 2007/05/12(土) 19:10:32|
- 山日記
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丸山荘→ちち山→つなくり山→西山→銅山越→西赤石山→物住頭→八巻山→東赤石山→赤石山荘
3日目(5月5日)の予定は以上。
長丁場になるので、朝は早めの4時半出発。
今回初のヘッチン行動でスタート。
雨は降っていないものの、ガス&風。
小屋の水場脇から紅葉谷方面へルートを取る。
1時間弱で稜線に。
大型のテントが2張りあって、少々驚いた。
近くに水場はなかったと思うが。。。。
そのままちち山へ。
ピークをスルーする巻き道もあるが、迷わず尾根を選ぶ。
丸山荘出発から1時間少々で頂上へ。
もともとは「乳山」と言われていたらしい。
尾根を下り、ちち山の別れへ。
ここから冠山・平家平方面への道もある。
冠山は一度行ったが、平家平は未踏。
いつか行ってみたい。。。
土山越までひたすら下る。
樹林帯に入ると、大きな笹原はこれで終わり。

7時半過ぎに土山越着。
銅山越から来るパーティーと、何度かすれ違う。
年齢は若干高めといったところか。
つなくり山への登り。
傾斜もきつめで、ちょっとつらい。
つなくり山頂の看板は完全にさびていて、釘かなんかでひっかいたような「ツナクリ」との文字。
西山との鞍部からは、トラバースで銅山越に出る道がある。
今まではそちらばかり通っていたが、今回初めて西山に登る。
銅山越の西側にあるから西山と言うらしい。
東側には東山もあって・・・考え方は京都と同じか。。。
10時ごろ銅山越に。
ここは旧別子銅山の跡地。
当時の病院などの石垣などが残っていて、周辺の散策だけで1日がつぶれる。
少し休んで西赤石へ。
かなりの距離と標高があり、2時間近くかかって頂上へ。
銅山越からのピストンの人が多い。
とはいえ、渋滞やら混雑やらとは違って、静かといえば静か。
次のピーク、物住頭へ。
先行するパーティーがかすかに見える。
30分少々で頂上へ。
少し休んで、前赤石のトラバース道へ。
赤石山系の縦走路で、前赤石岳は大きく頂上をまく。

迫力の岩峰で、ピークに至る踏み後はない。
ここの写真を撮りに来る人も多いようだ。
1時間ばかり歩いて、石室越へ。
ここから「難路」と看板の出ている八巻山へ。
このコースに入るのは初めてだ。
樹林帯を抜けると、ガスったゴヨウマツの岩稜に。
ハイマツでないあたりが、四国らしい。

年配の団体さんとすれ違う。
岩場なのに全員が邪魔そうにストックを。。。ザックにつけて歩けばいいのに。。。
ここの稜線、赤テープもちらほらあるのだが、多いのは青テープ。
意外と視認性はいい。
途中で今にも落っこちてきそうな大岩があった。

マンションの1室ぐらいの大きさはありそう。。。。
15時少し前、八巻山頂上へ。
ここまでの稜線、雪がついたらなかなか面白そうだ。
赤石越まで下り、東赤石へピストン。
その後、トラバース道へ降りる。
この道はかなり傾斜がきつい。
トラバース道に下りて、ひと思案。
予定ではそこから10分ぐらいの赤石小屋のサイト地で幕営。
水場は小屋の裏。
現在時刻が16時少し前。
権現越までいくなら、そこから1時間ぐらい。
権現の水場が涸れていたら、かなり下まで水汲みに・・・。
思案の結果、赤石小屋で水汲みをして、権現越まで行くことに。
ポリタンだけもって、赤石小屋へ。
小屋はなんと。。。。。。。。。。

こんなおめでたい山小屋、いままで見たことがない。。。。。。
小屋の中からは、にぎやかな宴会の様子が伝わってくる。
さらに、明らかに肉の焼けるにおい。。。。
要予約・素泊まりのみの小屋だが、なかなかにぎわっているようだ。
ザックまでもどり、再び歩き出す。
トラバース道、なかなか稜線からの道に合流しない。。。。。。
結構疲れてきたなぁ…。
下りがきつくなってきた頃、権現越が見え始める。
見え始めると、たいした時間もかからずにたどり着ける。
サイト地は、鞍部から南に少し下りた右側。
四角く整地された地面、送電線鉄塔工事の飯場跡だろうか。

17時半すこしまえに着く。
曇り空の下、13時間行動。。。疲れて当たり前か。。。
テントを張っていると、ポツリポツリと、雨が降り始めてきた。
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- 2007/05/12(土) 17:56:37|
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瓶ケ森→西黒森→自念子の頭→東黒森→伊予富士→桑瀬峠→寒風山→笹ヶ峰→丸山荘
2日目(5月4日)の予定は以上。
前半は瓶ケ森林道とくっついたり離れたり。
前日同様、登山道のみを進む。
あたりが明るくなり始めた5時半ごろ出発。
曇天微風の中、約30分で瓶ケ森(女山)頂上。
尾根伝いに15分ほどでもうひとつのピーク、男山に至る。
女山ピークから少し行ったところで、西黒森への分岐。
鞍部めがけて急な道を下る。
最低鞍部手前で、草刈機で笹を刈っている男性に会う。
これから進む先については、まだあんまり笹が刈られていないとか。
最低鞍部では直下に林道と吉野川源流のモニュメントが見える。

西黒森への登り、随分長く感じたが、瓶ケ森から約1時間。
30分ほどで神鳴池の鞍部で林道と近接し、再び山道を進む。
自念子の頭(黒森山とも言うらしい)まで、1時間近く登りにかかる。
東西の両黒森の中央に位置しながら、一番標高が低い。
このあたりはきちんと笹が刈られていて、歩きやすい。
主谷分岐までの下りは、あっという間。
東黒森への登りは30分弱。
結構笹が茂り始めてはいるが、別段歩きにくいわけでもない。
次の伊予富士への道。

鞍部まで下ると、林道からの登山道と合流する。
ここまでは比較的人が少なかったのだが、やや人が増える。
やがて伊予富士頂上へ。
「富士」というには・・・円錐形でもないし。。。
ただ、やはり人気の山なのか、頂上はにぎやかだ。
このあたりからは林道とほぼ完全に分かれる。
桑瀬峠へはやや急な下りの後、アップダウン。
1時間近くかけて、正午ごろ着。
ここは水さえ持っていれば、幕営適地。
旧寒風山トンネルからの登山道はここで合流。
ここから寒風山や笹ヶ峰へのピストンの人も多い。
寒風山への登り、ハシゴやワイヤがあり、なかなか急。
1時間以上かけて、13時ごろ頂上へ。
笹ヶ峰………遠い。。。。。。

朝から曇りだったが、ポツポツと小雨が降り始める。
途中で本降りになり、雨具を装着。
1時間以上かけて笹ヶ峰へ。
疲れて足がガクガク。
頂上はガスと雨と風で、結構寒い。
写真だけ撮って、丸山荘へ移動開始。

笹の斜面を下り始めると、雨が上がった。
はるか下に、赤い屋根が見える。

足がガクガクで下りがつらい。
15時半少し前、なんとか丸山荘へ。
この日は約10時間の行動。
さすがに疲れた。
テン場の手続きをしに小屋へ行く。
一泊400円なり。
昨夜は4張りのテントがあったそうだ。
小屋に泊まる人は結構多いようだった。
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- 2007/05/11(金) 21:01:28|
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石鎚ロープウェー→石鎚山→土小屋→よさこい峠→伊吹山→シラサ峠→子持権現山→瓶ケ森キャンプ場
初日(5月3日)の予定は以上。
前夜、大阪発。
JR、バス、ジャンボフェリー、バス、JR、タクシーと乗り継いで、西之川のロープウェー乗り場へ。
ジャンボフェリーは大混雑で、あやうく高松駅への連絡バス第一便に乗り損ねるところだった。
乗り遅れたら、始発の特急にも乗り遅れてしまうので、かなりヤバかった。
JRの伊予西条駅からのバスは、もう一本あとの特急にしか対応していなくて、タクシー代は高くついた。
ロープウェー始発、時間には間に合ったが、客が多すぎて乗れず、折り返しの臨時便に乗る。
成就駅で降り、8時過ぎに、まずは石鎚山へ。
20分ほどダラダラ登ると成就社へ。
そこから今度は下って八丁。
前社が森へ登り返し、試し鎖へ。
若干渋滞気味だったが、まずまずのペースで抜ける。
夜明峠に下るあたりから、展望が開ける。

一ノ鎖を経て、二ノ鎖下へ。
ザックを置いて、ウエストポーチで頂上ピストン。
11時前に弥山着。

最高点(1982)の天狗岳、南尖峰にピストンし、二ノ鎖下へ。
下りは巻き道を使う。
三ノ鎖の巻き道は、半分以上、鉄板と鉄階段の上を歩いている感じ。
二ノ鎖下でザックを回収、土小屋へ。
石鎚の登山道は随分と整備がなされており、歩きやすい。
快調に進む。
また、土小屋からの道は若い人や親子連れが多く、意外な感じがした。
12時半ごろ、土小屋着。
好天の連休初日、石鎚神社遥拝殿の前は車とバイクでいっぱい。
少し長めに休んだ後、出発。
ここから瓶が森までは、瓶が森林道と平行する山道を進む。
時折エンジン音が聞こえるのが興ざめだが、仕方ない。
まずは岩黒山を巻くトラバース道をよさこい峠まで。
笹に隠された踏み跡、倒木にさえぎられる行く先、崩れ始めている路肩…この道は結構荒れ始めていた。
近々、廃道になってしまうんだろうか。。。
途中、良い水場が2カ所もあって、なかなか貴重だと思うが・・・。
名野川越で道路を横切り、再び山道へ。
しばらく行くとよさこい峠。
以前は名野川越から岩黒山に至るルートがあったと記憶しているが、廃道になったようだ。
14時少し前、よさこい峠。
道路を渡り、伊吹山へ。
30分もしないうちに頂上へ。
なだらかに広がる笹原の真ん中に三角点と標識が立っている。

個人的には日本一気持ちのいい頂上だと思う。
毎回、ここにテントを張ろうか・・・という誘惑に駆られる・・・。
15時少し前、シラサ峠へ。
宿泊できる山荘、その裏にはキャンプ場、さらに奥には避難小屋。
何でもそろっているのだ。
疲れてもきたのでキャンプ場か避難小屋へ…とも思ったけれど、進むことにする。
1時間ほど進んで、子持権現山の基部へ。
ここの鎖、かなり・・・。。。

石鎚山の鎖場は、鎖がなければⅢ級以下だけれども、ここは桁違い。。。
物の本には「ロープや鎖には頼り過ぎない」と書いてあるが、ここではそれは通用しない。
ほとんど鎖にしがみつくようにして頂上へ。
頂上は、あっけに取られるほど平和な世界。
来た道を戻りつつ、ザイルがあったら懸垂した方が早いし楽だし…と、しょうがないことを考えてしまう。
基部からの空荷でのピストンに40分もかかってしまった。。。
つづら折の林道を山道でショートカットし、瓶ケ森駐車場へ。
笹原の中の水平道を進み、第1キャンプ場へ。

第2キャンプ場のほうが若干手前にあるのだが、見晴らしのいい第1キャンプ場のほうが好きだ。
キャンプ場についたのは17時過ぎ。
瓶ケ森ヒュッテに届けに行くと・・・小屋の戸に張り紙。
何でも、経営者が足を悪くしたとかで、営業していないとか。。。
物静かなおばあちゃんに合えるかと楽しみにしていたのだが、残念。。。
第2キャンプ場へ移動するのも面倒なので、小屋近くの沢で水を補給し、設営。
好天の中、行動時間約9時間。
寝不足&風邪気味にしては、まずまずか。。。
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- 2007/05/10(木) 20:16:11|
- 山日記
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GW、3泊4日でたっぷりと山浸り。
快晴の日アリ、ザザ降りの雨の日あり…。
久々の四国の稜線を、ほぼ満足するまで歩いて歩いて。
自分の山、「原点」の足跡をたどってきました。
そこには、懐かしさと新しい発見とが、いっぱいに詰まっていました。
持って帰ったのは、濡れまくりの装備と筋肉痛と風邪。。。
しんどくもあり、楽しくもあり、思い出深いものでした。
行きたいなあと思いつつ、なかなか機会に恵まれず、ずっとほったらかしに。
どうしても3連休以上になると、信州方面へ足が向いてしまうのが常でしたから。。。
なかなか踏ん切りがつかないまま、ずるずると今日まで。。。。。
不惑を迎えて最初の山らしい山。
まずは…と、やっと思い切ることができました。
靴底から伝わる感覚、風の臭いや音、鳥の声。
時折すれ違う人の、言葉の訛り。
上手く説明できないのですが、やはり他にはない世界で、居心地のいいものでした。
大型連休とはいえ、比較的静かな山でした。
予備日を使わずに下山したため、昨日は1日かけて後始末。
テントはビニール袋から出したとたんに水がボタボタと。。。
ベランダを占領して、濡れ物干しの一日でした。
記録はおいおいアップしていこうと思います。
気持ち的にはお腹いっぱい、カラダ的にはぐったり。
自分にとっては、かなり内容が濃かったんでしょう。
ゆっくりと休養したいなぁ。。。
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- 2007/05/08(火) 16:50:09|
- 日々是好日
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ポンポン山の頂上でのこと。
ウチのチビどもを見て、年配の男性が「子供が小さいうちから山につれてくるのは、いい教育だ。最近あまり見かけないけど」というようなことをおっしゃっていました。
こちらとしては、家族サービスと兼用で親の趣味につき合わせているだけなので、教育と言われても…。
「そんなことはありません」とも言えず、「そうなんですかねぇ」と、お茶を濁しておきましたが・・・。
今の登山者自体、50代や60代が中心です。
小さな子供を持つ親の世代、主に20代後半から30代になると思いますが、山では少数派です。
学生時代の仲間も、就職、結婚、子供ができた…と、山から足が遠のいていきました。
忙しすぎるのか、今では完全に足を洗った方が多いぐらいです。
中高年と呼ばれる世代が、自分の子供たちを山につれていかなかったんだろうか?
ふと、そんなことを考えてしまいました。
30年前、自分が小学生の頃、親に連れられて毎月のように山に行きました。
その頃の記憶からすると、山で子供に会ったことはあんまりありませんでした。
仕事や子育てが一段落してから山を再開・・・よく聞く話です。
子育て世代が仕事や家事に忙しいのは、今も昔も変わりないのかもしれません。
また、再開ではなく、余裕ができてから始めた人も多いのでしょう。
細々と、ではあるけれど、続けていられる自分。
恵まれているんでしょう、きっと。
仕事や家事がいい加減に・・・なんてことは、思わないようにしよう!
確かに、学ぶべきことや学べることは多い。
ですが、突き詰めていくと教育じゃなく、好きでやってるだけなんですよね。
好きだから続けていられるし、続けるために学ぶ、そんな繰り返しになります。
さて、今夜から、「自分の山」へ。
しっかり歩いてこよう。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2007/05/02(水) 19:48:12|
- 日々是好日
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GW前半の30日。
一家で日帰りのポンポン山になりました。
朝思い立って、ふらっと行ける山がある…まあ、恵まれている方でしょうか。
家を出たのが昼前だったので、最短の出灰コースへ。
他のコースに比べて距離は短いものの、傾斜はやや急。
長男(5歳)は、危なげない足取りのうえ…速い…。
テントを担いだら、ついていけないような気がした。
子の成長と自分の衰え、その両方なんだろうなぁ。。。
2つ下の次男は、半分ほど登ったところで家に帰るといって大泣き。
なだめすかし背中を押し、なんとか頂上まで。
力はあるのだけれど、根性が…。
頂上では2人ともバタバタと走り回る。
元気いっぱいで、こちらがついていけない。
下山をはじめると、次男が豹変。
斜面を駆け下り、転んでは大笑い。。。。。。末恐ろしい。。。。。。
慎重派の長男は、足場を選んで確実に。
兄弟でも全く違うのが不思議だった。
キッズキャリア、念のため担いでいったのですが、今回は用なしでした。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2007/05/02(水) 12:01:57|
- 山日記
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