国内最高齢での7大陸最高峰登頂。
先日のニュースに出ていました。
愛知県の石川富康さん(71)が、7峰目となる南極大陸最高峰のビンソンマシフ(4897メートル)の登頂に成功したということです。
日山協によると、「世界最高齢ではないか」との報道もありました。
この石川さんという人。
少年時代に見たヒマラヤの映画に刺激を受け、以来、どっぷりと山の世界に浸ってきた人のようです。
29歳の時に登山用具店
穂高を開業。
現在はこの店の代表からは退いているようですが、この店は
日本プロガイド協会の事務局も兼ねているようです。
また、石川さんは
愛知県山岳連盟の会長でもあります。
20年前から本格的に高所登山に取り組み、1994年に当時の日本人最高齢(57歳)でエベレストに登頂。
2002年にはチベット側から同峰に挑み、65歳で当時の世界最高齢での登頂に成功。
その後、各大陸の5峰を次々と登頂し、ビンソンマシフに挑んでいました。
この間に8000メートル峰14座の内、6座にも登頂。
1996年には「五十歳からのヒマラヤ 四つの8000m峰登頂」という本も出版しています。
50代や60代から山を始め、100名山だヒマラヤだという人もいれば、こんな人もいるんだなぁ。。。
結構当たり前のことかもしれないのですが、個人的には新鮮な感じがしました。
山の世界の「最年長記録」。
いずれは日本人が独占する日が来るような気がします。
「最年長」って、マスコミも大好きですからね。。。。
「石川さんは情熱を持った本物の登山家だ。
体力の衰えに打ち勝ち、今でも難関の山を登ることが素晴らしい。
今回の成功は、高齢者だけでなく、すべての人に勇気と元気とやる気を与える。
(75歳の)私も今春チョモランマ(エベレスト)に再挑戦するが、励みになった。」2003年に石川さんのエベレスト登頂最年長記録を塗り替えた、三浦雄一郎氏が毎日新聞に寄せたコメントです。
確かにそうだろうと思います。
「オレだってがんばれば…」と、励みになることでしょう。
自分も少しだけそう思いました。
が、一方で。。。。。
「今60歳が若いと言われている。
自分は55歳で、まだやれると思っていた。
しかし、体力は確実に落ちている。」先日、吾妻連峰で遭難した方の言葉です。(
遭難カルテ147参照)
こちらも忘れてはならないのでしょう。
夢を持つことは大事だけれど、同時に現実も忘れてはならないということでしょうか。
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- 2008/01/29(火) 22:29:02|
- 日々是好日
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山と渓谷2月号、読んだ方も多いかと思います。
2004「すぐそこにある山岳遭難」
2005「山の常識・非常識」
2006「道迷い遭難を防ぐ」
2007「遭難する人しない人」
そして今年は「山のリスクマネジメント」
近年のヤマケイ2月号というのは、遭難関係の特集を組むことになっている(?)ようです。
大きく言えば、「一読の価値アリ」・・・と、珍しくほめることに(笑)。
「初心者向け」「入門編」としては、よくできたものだと思います。
で、以下は個人的な(恐らく些細な)不満とぼやきを。。。。
「有害植物・動物に備える」。
警察庁の資料によると、平成18年中の遭難者1853人のうち、「野生生物襲撃」というのは、65人。
全体に占める割合で言えば、3.5%にすぎません。
そのことに、あれだけの紙幅を裂くなんて。。。。
それよりも、冬のさなかの2月号なら、「雪崩」や「低体温症」などにもっと紙幅を裂いてほしかった。。。。
特に低体温症については、表面をなでただけみたいな印象を受けました。
夏の号ならそれほど違和感を覚えなかったと思うのですが。。。。。
それぞれに対策のようなものが挙げられていました。
ただ、「おっ!」と思うような目新しいものはなく、従来から言われているものがほとんどでした。
これはヤマケイの記事が悪いわけではないのでしょう。
昔から言われ続けている「対策」、もしくは現在あちこちで言われている「対策」。
それを取っていれば、起きなかった事故。。。。
それが今に至っても繰り返されているという現状を憂うべきだと思います。
(ホントは「こんな手があったか!」ってのが載ってればいいんですけどね)
そういう意味では、昔から言われていたものや今や常識になったものを、ほぼ網羅しているように思いました。
自分の中で、一度整理してみるにはいいかもしれません。
「病気・ケガ その予防と対策」。
ケガはともかく、病気について。
先ほどの警察庁資料のなかでも157人での8.5%を占め4位。
確かに少なくない数字だと思います。
その中で、脳卒中・心筋梗塞に項が立てられていました。
いわゆる生活習慣病(成人病)でしょうか。。。。。
登山者の高齢化を反映した結果だとは思いますが、なんだかため息が出ました。
よくできた企画だとは思います。
でもなんだかモヤモヤしたものが。。。。。
それがうまく表現できないのが、もどかしい。。。。
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- 2008/01/25(金) 23:55:22|
- 日々是好日
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【概要】
20日午後3時20分ごろ、中央アルプス宝剣岳(2931メートル)に登山中の3人パーティーのうち2人が滑落したと、ホテル千畳敷を通じて長野県警に通報があった。滑落したのは松本市の無職男性(32)と上田市の会社員女性(29)。2人と男性の妻(29)は、日帰りの予定で午前9時に千畳敷から入山。極楽平をへて宝剣岳に登り、午後2時半ごろ下山を開始した直後に頂上の北側の稜線から西側の谷へ滑落した。会社員女性が初心者だったため、男性がザイルをつないでいた。女性が滑落しかかったときに男性も止められず、2人とも木曽側の谷へ落ちていった。もう1人の女性はザイルをつないでいなかったため巻き込まれず、単独で約1時間かけてホテル千畳敷へ下山し通報した。事故発生当時、現場は雪が降っており、視界も悪かった。稜線付近は20-30センチの積雪があり凍っているという。長野県警は天候の回復を待ち、21日に県防災ヘリなどで現場付近を捜索したが、2人を発見できなかった。滑落した2人は冬山装備で、1日分の予備食を持っているという。
(読売新聞、毎日新聞、時事通信、信濃毎日新聞よりデータ引用・抜粋)
【考察】
この文章を書いている時点で、2人の安否は不明です。
少しでも早く見つかればいいのですが。。。。
夫と同行者が目の前で落ちていく。。。
助けを求めて、一人で走る。。。
通報した女性の気持ち、察するにあまりあるものです。。。
さて、事故現場について。
難しいルートというわけではありませんが、バリエーションルートの雰囲気を味わえるルートだと思います。
おそらく、千畳敷から極楽平へ出て、宝剣岳を越えて、浄土乗越から千畳敷へ戻るルートだったのでしょう。
何度か行った事のあるルートなので、記憶を頼りに考えて見ます。
宝剣超えをする場合、南下するよりも北上する方が幾分易しいと思います。
難場は南側の方が多いので、そちらを上りに使うほうが、やや簡単だという印象です。
このあたりは、凍った雪と岩のミックスで、アイゼンワークに気を使うところです。
もし落ちたら・・・と考えると、結構ゾっとしましたが。。。。
今回は北上のルート取りで、登頂直後の発生。
頂上から岩の左側を巻いて、稜線の木曽側をトラバース気味に下るところに出ます。
雪のつき方にもよるのですが、ここが一番いやらしいところでした。
おそらく、ここで滑落したのではないかと思います。
概要に「初心者」と書きましたが、報じていたのは1社のみでした。
「初心者」の程度が不明なのですが、比較的しっかりとしたアイゼンの歩行技術が必要なルートだと思います。
ちょっとこのルートは、初心者にはキツイかな。。。というのが正直な印象です。
ザイルをつないでいたこと。
固定支点は取っていなかったんだろうか?
固定支点なしで落ちる人を止めるのは、状況にもよりますが、かなり難しいと思います。
しかも、相手が初心者であれば、余計に慎重にならざるを得ません。
確か、あのあたりには鎖があったと思うのですが。。。。
私が行ったときには、鎖を支点にしてショートフィックスを繰り返しました。
アンザイレンのみでは怖くて怖くて。。。
ガイドが2~3人の客を1人でアンザイレンしている光景、よく目にします。
1人落ちたら次々・・・それを止められるのか?という疑問、今回の事故でも同じことだと思いました。
遭難カルテ130もザイルをつないでいて、引きずられて落ちたケースとしては同様です。
確かにザイルをつないでいることによって「安心感」が生まれ、動きから硬さがとれるという効能はあると思います。
今回の事故でもそうだったのかもしれません。
ただ、それは、落ちないという保障にはならないし、落ちたとしても確実に止められるという前提がなければ、ただの「一蓮托生」にすぎません。
初心者を連れて行くのなら、何も宝剣でなく木曽駒でもよかったんじゃないか・・・なんて思ったりもします。
今回の3人は、県内の人。
そして、ロープウェーで一気に2600メートルまで上がれてしまう。。。。
地元の人にとっては、日帰りで3000メートル級の山が楽しめる場所だと思います。
そこに「お手軽」感による気の緩みはなかったのだろうか?
これは心理的なものなので、事故に会われた方がどうだったか、最後まで分からないことだと思います。
遠方の人間にとっては、猛烈に羨ましい「お手軽」感ではありますが。。。。
==========追記(2008.01.24)==========
22日、2人は現場から焼く500メートル下で遺体で発見された。
死因は脳挫傷。
警察などの調べによると、塩発生当時2人はヘルメットは装着しておらず、固定支点を取った確保もなされていなかった。
男性の妻と亡くなった女性は、ネットを通じて知り合った。
この夫婦と女性が一緒に山に行くのは今回が初めて。
夫婦には雪山の経験があったが、女性はほとんど経験がなかったらしい。
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- 2008/01/22(火) 02:10:00|
- 遭難カルテ
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遭難カルテ144でふれた、北海道・十勝山系の雪崩事故。
六つの報告書(含む:のようなもの)を見つけました。
①
上ホロカメットク山化物岩雪崩調査②
071123上ホロカメトック雪崩現地調査レポート③
上ホロカメットク山化物岩雪崩レポート④
上ホロカメットク山雪崩遭難事故 ~備忘録として~⑤
2007/11/23 カミホロ 雪崩調査報告⑥
07年11月上ホロで発生した雪崩事故二事例の教訓①はTakuさまに教えていただいたもので、日本雪氷学会北海道支部の調査によるもの。
②は①の現地調査に同行した日本雪崩ネットワークのレポート。
③は②同様、①の調査に同行した地元の三段山クラブHPから。
④は実際に事故に遭われた方がまとめたもの。
⑤は北海道の万計山荘友の会のメンバーによるもの。
⑥は北海道雪崩研究会(労山関係)によるもの。
一つの事故について、これほどの数の報告書が出るのも珍しいと思います。
私の知らないものもこのほかにあるのかもしれません。
順に読んでみた感想を。
①については、正直なところ、よく分かりません。
私の理解力が不足しているのかもしれませんが。。。。。
実際に、教訓をこれから引き出すのは、きわめて難しいような気がします。
11月20日に同会から出された
2007冬:十勝連峰の雪は不安定 入山者は注意を!というのは読んで理解できたのですが。。。。
内容については、調査結果を基に「積雪の底に近い層が破断し雪崩が起こったと考えられる。」「全層雪崩の可能性も低い。」としている。
その上で、「今回の雪崩は面発生乾雪表層雪崩とみられる。」「積雪の底に近い層がこしもざらめ雪や霜ざらめ雪などの霜系の弱層を形成し、その層が破壊して雪崩に至ったと考える事ができる。」などと推論を重ねている。
今後注意すべき点としては、「上ホロカメットク山周辺のエリアでは、まだしばらくは引き続き雪崩に対して警戒をする必要があるだろう。」。。。
②は①の調査に同行して得られたデータなどに基づいたもの。
「V字谷の底という大きな『地形の罠』の中での出来事。」と、地形への留意点を示唆していました。
発生区や破断面の観察ができなかったため、「原因となった弱層等は不明」としてありました。
原因について推論を積み重ねていった①とは、同じ調査をしていても違っている点が印象的でした。
③は1の要約といったところでしょうか。
ただ、このクラブの真価は、このページですべて現れているわけではありません。
十勝山系の雪崩マップ作成や事故のデータベース化など、地道で興味深い活動を続けています。
④は、事故の状況や、救助・捜索活動に至るまでの経緯を、当事者の目からみたものです。
感情の流れのような記述があるのも、当事者ならではのことでしょう。
生々しい現場の状況が記されています。
⑤はちょっと出色ではないかと思います。
まず、本文中で人為的な原因で雪崩が誘発されたという記述があります。
この記述は、ほかの報告書にはありません。
また、証言と写真から「全層雪崩」と推測しており、①とは異なった見解が示されています。
雪崩について、私自身、専門的・学術的知識はありません。
ですが、実際のところはどうなんだろう?とも思います。
⑥は報告書とはちょっと毛色が違う内容です。
分析よりも、教訓に重点が置かれているように感じました。
「自分たちのパーティの雪崩リスクを管理するだけでなく、雪崩を誘発した場合の他パーティへのリスクを考えて行動すべきであること、また、上部に別パーティが存在していることも予想し、急峻な雪面の下部を歩くときは、地形や積雪を良く見て、新しいデブリや上部の吹きだまり、破断面の確認等とともに、上部に別パーティが居るかどうかも観察することが大切である。」
この下りには、改めて考えなければならないことがあると思いました。
冒頭にも書いたのですが、これだけのものが出るというのは、多くの人が関心を持ち、「なぜ?」を追いかけた結果だと思います。
(これだけ全部読むと、結構な時間がかかりました。。。。。)
学術的な調査の意義を否定するつもりは全くないのですが、もう少し、教訓のようなものが多くあればいいのに。。。。
一方では、そうも思ってしまいます。
残念なことがひとつ。
日本山岳会北海道支部のHPが、いつの間にかアクセスできなくなっていました。
報告書が出るのではないか・・・・・・少し期待していたのですが。。。。。。
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- 2008/01/20(日) 23:44:11|
- 事故報告書
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一昨年2月、中アで、両手指5本が凍傷にかかってしまいました。
その後、比較的程度の軽かった3本は、ほぼ元の通りに戻りました。
2度まで進んでしまった、右手の中指と薬指。
2年たった今でも寒さが厳しいと、ジンジンと痛みます。
治療中のまま、3月に南ア、5月に北ア。
これが悪かったのかもしれません。
5月はそれほどでもなかったのですが、これはお天気に恵まれたせいでしょう。
3月は激しく痛んで、撤退。
そして去年も2月に中ア、3月に南ア。。。。。。
3月は痛みで再びの撤退でした。
冷えると痛む。
明らかにほかの指よりも温度が低いことが、ままある。
今はそんな状態です。
きっと血管が、以前の状態にまで復旧していないのでしょう。
その時その時の状態を確認するため、山に行ったときには冷気にさらしたりもします。
先日のポンポン山ですら、いまだに鈍い痛みが少し。。。。。
ちゃんと直るまで、おとなしくしておかないと。。。。。。
毎年、そう思っていることは事実です。
が、雪が降ったと聞くと、ソワソワしてしまいます。
先日のNHKのテレビで、山野井氏も凍傷のあとが痛むシーンがありました。
彼のモノと比べれば、私の凍傷など、カスみたいな程度です。
それでも「あー、やっぱりそうなんだー」と、勝手に親近感を覚えました。
指を失いたくない。
でも雪山には。。。。。。
この葛藤は、当分続くことになると思います。
もしかすると、山をやめるまでかもしれません。
知人の医者にこの話をしました。
まず、手の神経節だかなんだかをどうにかする手術で、解消するようです。
ただ、真夏などに、対象の指がカッカすることになるとか。。。。。
もう一つの方法は、普段から指先を使って、血管を再び発達させる。
これは時間もかかるし、やりすぎても毛細血管が切れることになるとか。。。。
2月の勤務表を見ると、連休のようなものが。。。。。。
おしりのあたりが落ち着かなくなってきました。
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- 2008/01/19(土) 18:50:45|
- 日々是好日
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成人の日。
今年の登り初めは、ポンポン山(大阪・京都府境、678.9メートル)。
何度も登った山なのですが、なんと冬は初めて。
嫁さんは何かと忙しいもので留守番、父子3人で行ってきました。
入山前にチビどもに。
「ええか。お山で誰かに会ったら、元気いっぱいに『こんにちわ』って言うんやぞ」
「うん。わかった」
本山寺下の駐車場まで車で行く。
すでに5~6台止まっている。
ザックなどの準備をしているうちに、チビどもは走り回る。
「ほな、行くか」
・・・・・・・よく見ると、2人ともズボンも靴も、出発前にして、すでにドロドロ。。。。。。
やれやれ。。。。。
結構寒いのだが、登り始めると少しずつあったまる。
2人とも快調なペースでどんどん進む。
路肩にはうっすらと雪がついていた。
向こうから人がやってきた。
まだ10メートル以上先。
いきなり次男が、とてつもなく大きな声で
「こんにちわぁっ!」
・・・・・・・・・・こだまが返ってきた。。。。。。。。
声をかけられた年配のご夫婦、一瞬固まったあと、吹き出していました。。。
恥ずかしい。。。。
長男と苦笑する他はありませんでした。。。
「あのなぁ、もっと近くに来てから言わんと、向こうの人びっくりするやろ。。。」
「エヘヘヘヘ」
何度も言い聞かせたのですが、ハイテンションだった次男は下山するまでそのまんま。
いつもなら2時間少々かけて、4~5ピッチで上まで抜けるコース。
止まると寒いせいか、なんと3ピッチ計1時間半で頂上へ。
ところどころ凍ったところもあったものの、次男が一回コケて泣いた他は問題なし。
頂上には20~30人の人。
飯を食っていると、小雪がちらほら。
たいして風はないものの、やっぱり寒い。
後で調べたら、大阪の最高気温は6.3度、京都は5.6度。
下界は晴れだけど、山は小雪・・・・そりゃ、寒いわな。。。。
チビどもも「寒い寒い」というので、飯もそこそこに下山開始。
特に長男はかなり寒そう。。。。
一回つまずいた後、とうとう泣きが入った。。。。
べそをかきかき歩く長男。
一歩の次男は・・・・・能天気丸出しで、嬉々として下っている。
相変わらず「こんにちわぁっ!」なのだ。
あまりに対照的過ぎて、すれ違う人にも笑われた。。。。
しばらく下って体があったまったのか、長男の機嫌も直り、ほっとする。

まあ、そこからはにぎやかな下山道中となる。
走らないように言っても、なかなか聞いてくれない。
コケてもゲラゲラ笑っている始末だし、「こんにちわぁっ!」は2人になるし。。。。
下りは2ピッチで車にたどり着く。
2人とも、ズボンと靴に加え、手袋とジャンパーがドロドロに。。。。
車に乗って、5分ほどで2人とも熟睡モード。
やれやれ。。。
家に帰ると、言い含めておいた通り、笑顔で
「お母さん、ズボンと靴と・・・汚れちゃった。お洗濯してね!」
嫁さん、しげしげと眺めたあとで
「どなんしたら、こなんドロドロになるんな。。。」とため息。
そりゃあそうだよなぁ。。。。
小さい子供と山に行くのは、何かと気をつけることも多いものです。
でも、成長のあともうかがえるし、なにより面白いものです。
ま、一緒に行ってくれるうちが華なのかもしれません。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2008/01/16(水) 00:51:26|
- 山日記
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【概要】
5日午前8時30分ごろ、福島・山形県境の吾妻連峰・西吾妻山に12月30日に入った埼玉県羽生市の会社員男性(55)の行方が分からないと、登山後宿泊予定だった福島県側の吾妻小屋の管理人から福島県警に通報があった。男性は先月30日午前9時45分ごろ、山形県側の天元台高原スキー場最上部のリフトから降りて入山するところを、スキー場職員が目撃。約30キロのリュックを背負い、ワカンを持っていたという。登山道入り口には提出されていた登山届けには、30日に入山し途中2日間テントに宿泊、尾根を縦走し、1日には吾妻小屋へ宿泊するという予定が記されていた。2日に下山し、猪苗代町の温泉へ向かうと知人に話していたという。知人が中村さんと連絡が取れなくなったため4日夜、管理人に電話で連絡。翌5日朝、管理人が福島署に通報した。5日から山形、福島両県警がヘリなどで捜索していたが発見できなかった。
男性は11日午後3時ごろ、福島県側のスキー場グランデコスノーリゾート近くまで下山、スキー場職員を手を振って呼び止め「遭難している者です。警察に連絡してください」と救助を求めた。男性は病院に収容されたが、生命に別状はない。入山後に大雪に遭って迷い、持参した食料は今月2日で底を突いた。翌日からは雪や沢の水、持参した塩や「ほんだし」などの調味料や風邪薬で飢えをしのいでいたという。昼間は歩き回って下山ルートを探し、日が暮れると早めにテントを張りビバークしていた。1日約7時間の行動と決めていたという。救急隊員によると、男性はラジオを持っており、「自身が捜索されているのは分かっていた。ヘリの音も聞こえたがやぶの中を歩いていて合図を送れなかった」と話したという。携帯電話等の通信機器は持っていなかった。燃料が無くなった4日以降、凍傷を防ぐため、ぬれた手袋と靴下を上着の中で体温で暖めて乾かし、頻繁に交換していたほか、身軽になるためいらなくなった荷物を捨てながら移動したという。発見された時点で持っていた荷物はテントと銀マットだけだった。吾妻小屋の管理人によると、男性は十数年前から冬の吾妻に入っており、山の地形や状態は十分理解しているはずという。12月末から今月初めは、大荒れの天候だった。男性はこれまで、吾妻連峰に到着後は同小屋に宿泊していたが、いつもは2人で登ることが多く、単独で入山したのは初めてではないかとみられる。男性は入院先の病院内で「間違いなくダメだと思った。自分の甘さだった。登山はやめるつもり」。事前に吹雪が予想されていたにもかかわらず、登山計画を改めなかったことに、「初めから失敗だった。正月だけで5回も登山したルートで、生意気になっていた」と認識の甘さを認めた。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、時事通信、NHK、山形新聞、福島民友新聞よりデータ引用・抜粋)
【考察】
いやはや、奇跡の生還と言っていいんだろうか。。。。
少なからず驚きました。
無事、自力下山、何よりでした。
ご本人は「恥さらし」と会見でおっしゃっているのがテレビに出ていましたが。。。。
通い慣れた山だけど、初めての単独入山に悪天候。
迷った原因はそのあたりにあるのかもしれません。
年末年始の悪天候は、早い段階でキャッチできたはずです。
が、毎年行っているから、よく知っているところだから…という気持ちはあったかもしれません。
それが「行ける」という決断に作用した部分はあると思います。
地図、コンパス、GPSなどの装備状況が不明ですので、どのように行動したかは見えてきません。
また、携帯や無線機などの通信機器を持っていて、それを活用できていれば、もう少し早い段階での生還もあったかもしれません。
電波の不感地帯にいたのであれば、それも使えなくなります。
が、現地の電波状況次第では有効なものだったのではないでしょうか。
前項の
遭難カルテ146との大きな相違点。
迷ったと分かってからの、早めのビバーク判断にあったと思います。
ある程度の長期戦を覚悟して、体力の温存を図る。。。。
ここが生死を分けた一つのポイントだと思います。
年末年始は荒れた天候も、その後は若干落ち着いたこと、幸運だったと思います。
また、雪を溶かさなくても水を手に入れられる沢に行き当たったことも、幸運の一つでしょう。
それらの幸運をつかめたのも、早めのビバーク判断があったからではないでしょうか。
さて、気になったのはザックの中身。
入山時30キロと報じられていました。
単独、積雪期、テントあり、3泊4日(うち1泊は小屋)…。
装備はざっと見積もって20キロ前後で収まるように思います。
ただ、ここに生還のカギとなったものが入っていた可能性があります。
ザックの中身、非常に興味深い点です。
どういった食料がどれだけ入っていたのか、燃料は。。。。。
テレビの会見では、カチコチで食べられずに捨てた「肉や野菜」があったとおっしゃっていましたが。。。。
「○○の判断は間違っていなかった」「遭難したとは思っていない」
これまで見たことのある会見では、こんな感じの言い訳めいた言葉が次から次へと。。。。。。
個人的には、特に年配の方ほどこういう傾向が強いように思います。
今回の方の会見の様子、テレビ数社のニュースで見ました。
背筋を伸ばし、しっかりと前をみて、しゃべる姿。。。。。
出てくるのは、言い訳めいた言葉ではなく、事実関係と反省と謝罪の言葉ばかり。
なんだか胸に響いてくるモノがありました。。。。
「親を残して死ねない」という思いが、原動力になったとか。
家族の意味、改めて思いました。
ご本人は「山をやめる」とのこと。
「やめる」かどうかは、ご本人の決断次第。
家族でも友人でもない、赤の他人がどうこう言うべきものでないことは百も承知です。
ですが、このままやめてしまわれるのは、何とも惜しい気がしました。
NHKのニュースの最後の方で。
今60歳が若いと言われている。
自分は55歳で、まだやれると思っていた。
しかし、体力は確実に落ちている。
そのあたりの認識も甘かった。そのようなことをおっしゃっていました。
体力低下が気になっている私としては、とても印象的でした。
世の中高年の登山者、とりわけ高齢の登山者の皆さんは、この言葉をどう受け取ったのだろうか。。。。
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- 2008/01/12(土) 23:41:25|
- 遭難カルテ
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ヒラリー卿が亡くなったようです。
今朝、NHKに三浦雄一郎氏が出演していて、ヒラリー卿の話題も出ていたので、ちょっとびっくりしました。
一緒にエベレストに初登頂したシェルパのテンジン・ノルゲイ氏もすでに亡くなっています。
初登頂競争時代の名残が、一つ消えたような感じです。
ヒラリー卿といえばマロリー登頂のミステリー。
「そこに山があるから」との言葉を残しました。
誤解されがちですが、山があれば何でもいいわけではありません。
「世界最高峰で未踏峰のエベレストという山」があるから挑む、という意味だと思います。
1999年にマロリーの遺体が発見されました。
そのとき、ヒラリー卿の言葉、うろ覚えなのですが。。。。
「いかなる事実でも受け入れる」
マロリーが世界初登頂者であってもかまわない、という趣旨だと思います。
「だが、自分が頂から生還した最初の人間であることには変わりがない」
彼の強烈なまでのプライドを垣間見た気がしました。
たしかマロリーの遺族も
「生きて還らなければ、初登頂とは言えない」
という趣旨のコメントを出していたように思います。
世界最高峰も、商業登山によって登頂者数はうなぎ登り。
日本人だけで毎年50人前後になります。
広がるビジネス、高齢の登山者、事故、環境・・・。
ヒラリー卿はどう思っていたんだろう。。。。。
マスコミに出る言葉以外に、思うことは多々あったという気がします。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2008/01/11(金) 18:41:56|
- 日々是好日
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先日、NHKで
山野井泰史夫妻のグリーンランド「オルカ」登攀、食い入るように見てしまいました。
録画しときゃ、何回でも見れたのに。。。。。
すごいなぁ。。。。
ガイドなんかではない、「プロの登山家」の姿の一端を見たように思います。
自分が高校2年のとき。
進路指導の面談で、担任の先生が開口一番。
「君はプロの登山家になるつもりか?」
忘れえぬ一言です。
そのときは、一瞬の間の後、否定しました。
(普通は成績や進学の話をするはずなのに。。。)
きっと先生には、山にばかり向かってギラギラしたものが見えたのでしょう。
山に行っていない日には、これもか!というほど、走りこんでいました。
大学に入り、本格的に垂直系の山に取り組み始めました。
1年もしないうちに、「プロの登山家」のようなものを目指そうか・・・なんて気が、ひょっこり芽生えました。
「やったら、案外できるかも。。。。」
なんとなくそう思ったのです。
山にのめりこんでいくうちに、いろいろな人とめぐり合いました。
そのなかには、言葉を失ってしまうような、とてつもなく「スゴイ」人が何人もいました。
このあたりで、鼻っ柱をたたき折られたように思いました。
それでも、「いつかは。。。。」という思いを捨て切れませんでした。
そのころ、この番組を見ていたら、「オレだって。。。」と思ったかもしれません。
今から考えると、「身の程知らずもええ加減にせい!なにを考えてるンや!!」となりますが(笑)。
縁あって、ヒマラヤに行くことができました。
8000メートルの山並みからすると、小さな小さなピークです。
そこの頂に立ったとき。
「これ以上は、ムリだ。。。。」
自ら限界を決めてしまった時点で、その夢は終わりです。
卒業後、一般に言われるところの「安定した生活」を選びました。
就職後、厳しい山から離れた生活を何年か送りました。
正直なところ、すっぱり足を洗おうと思っていたのでした。
ただ、人のつながりだけは切れずに残りました。
そうこうするうちに、やっぱり山へ行きたい。。。。
そんな気持ちが抑えられなくなってきました。
ギラギラしてなくてもできる山。
少しずつそれを考えるようになりました。
今、それはそれでいいと思えるようになりました。
「プロの登山家」
本当の夢だったのか、浮かれた夢だったのかはわかりません。
なんだかすごい昔のことを思い出してしまいました。
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- 2008/01/10(木) 13:45:10|
- 日々是好日
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年末年始。
天気予報通り、山は荒れました。
遭難も何件かあり、亡くなった方もいました。
信濃毎日新聞によると、長野県の登山者は昨年の6割程度だったとか。
計3900人(40.0%減)。八ケ岳2200人(43.6%減)、北ア1000人(23.1%減)、南ア400人(33.3%減)、中ア100人(66.7%減)など。
遭難者8人で2人けが、6人「無事」。
クリスマスあたりから年末年始の悪天候の予報が出ていたため、入山を控えた人も多かったのでしょう。
ま、それは置いといて。
自分自身、ここ何年も山で正月を迎えていません。
というのも、年末と年明けに、所属する会の年次総会のようなものがあるからです。
年末は北八ツ方面で、スキーをしつつ。
年明けは帰省して、挨拶回りをかねつつ。
いずれも年に一度のことで、久しぶりに見る顔も多いのです。
年末の方は学生時代に立ち上げた会。
もうすぐ20年になるのですが、設立当初は全員が20代。
かなり鼻息の荒いころで、それこそ取り憑かれたように山に行く状態でした。
気づけば、40をすぎたメンバーも。
辛うじて平均年齢は30代半ばをキープしていますが、これも毎年1歳ずつ上がっていくような気がします。
丸くなったというのか、落ち着いたというのか、勢いがなくなったというのか…。
最近は子連れでの参加が多く、大人の数に拮抗しつつあります。
元気のいい仲間の、親としての一面を見ることができたりします。
昔のこと、去年行った山、今年行こうと思う山…。
なかなか話題が尽きません。
年明けの方は、100人近い人が出席。
設立からほぼ半世紀を迎える会だけに、人も多い。。。。
そして「山の師匠」と仰ぐ人たちが何人も。。。。
いささか、人の多さに疲れましたが、「帰ってきたなぁ」と。
病気をされたようで、去年より一回り背中が小さく見えた大先輩。
少し寂しく思いました。
定例会があったり会報の編集や行事があったり、いろいろとしなければならないことの多い会もあります。
が、私の所属組織は、かなりゆる~いものです。
私にはゆる~いほうが居心地がいいのです。
いくらゆるいとはいえ、仕切ったり世話をする役の人には、頭が上がりませんが。。。。
懐かしい人と、たまに顔を合わせるのもいいなあと。
毎度ながら、なかなかゆったりとした年末年始でした。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
拙い文が続くと思われますが、今年もよろしくお願いします。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2008/01/07(月) 14:01:53|
- 日々是好日
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【概要】
3日午後7時ごろ、群馬、栃木県境の日光白根山(2577メートル)に4人のパーティーで登った横浜市泉区の派遣社員男性Bさん(29)から、「仲間の1人が体調を崩し、下山できなくなった」と群馬県警沼田署に110番で救助要請があった。この男性と神奈川県藤沢市の会社員男性Cさん(31)、同県大和市の会社員男性Dさん(30)は3日夜、自力で下山したが、群馬県警谷川岳警備隊員が4日朝から、行方不明になった横浜市泉区和泉町の会社員男性Aさん(31)の捜索を開始。4日午前11時55分ごろ、群馬県警沼田署員が栃木県日光市の五色沼付近の雪の中で男性の遺体を発見。同日は悪天候で、遺体は5日に栃木県警ヘリに収容された。4人は幼なじみで、日光白根山の山頂で初日の出を見ようと入山。12月30日に車で栃木県内から国道120号を通って片品村東小川に入り、菅沼キャンプ場近くから登山を始め、1月2日に下山する予定だった。しかし、金精峠付近の道路は年末から冬季閉鎖中で、徒歩で片品村の登山口を目指した。入山は1日遅れの31日で、登頂は1日午後。猛吹雪で視界はほとんどなく、4人は道に迷った。五色沼付近に2日午前1時ごろ着いた時、死亡したAさんが「気分が悪い」と訴えた。雪洞を掘って4人で入ったが、同4時ごろ、Aさんの意識がなくなり、ほかの3人は助けを求めようと下山を開始。3日午前11時ごろ、五色沼と登山口の中間地点に到着した。当初は3人で下山していたが、途中でCさんが体調が悪くなり、グループから離れた。さらにそこからは、歩くペースがバラバラになり、Bさんは同日午後7時ごろ、金精峠トンネルに着き、トンネル内の非常電話から110番通報。Dさんは同9時55分ごろ、日光市湯元の山荘に助けを求めた。一番後ろを歩いたCさんは、同10時半ごろ、登山口に下山し、除雪車両に救出された。3人は、いずれも手足に軽い凍傷を負った。白根山方面には1日に大雪・雪崩注意報が発令されていた。登山中、死亡したAさんは先頭で雪をかき分けながら進んでいたという。遺体は仲間と一時ビバークした雪洞の中であおむけに倒れ、Aさん名義の運転免許証を所持していた。付近の積雪量は1~2メートルで体の上にもやや雪が積もっていたという(遺体周辺に雪洞は確認できなかったとする報道も)。死因は凍死。現場周辺は標高2170メートルで、1~2メートルの積雪があった。 Aさんの登山歴は約10年で、他の3人は5~1年だという。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、時事通信、上毛新聞よりデータ引用、抜粋)
【考察】
丸沼スキー場に行ったことはあるのですが、そのほかは個人的には全くなじみのない山域なので、地理的条件は地形図を眺めることでしかつかめません。
が、まずは何より、計画段階から疑問が残るケースです。
まず、国道120号が一部区間冬季閉鎖になっていたことは、事前にキャッチできるはずです。
日本道路交通情報センターのHPの
冬の閉鎖道路のページに、一般国道などに関して予告されています。
これによると、栃木県側の日光市湯元から、県境の金精峠を経て、群馬県側の丸沼スキー場までの区間が12月25日から閉鎖。
車を使ってのアプローチであれば、これは事前に調べておかなければならない点だと思います。
まず、そこから準備不足によるつまずきがあったと考えてしまいます。
行ってみたら土砂崩れや雪崩で道路が通れなくなっていた…というのとは次元が違うのではないでしょうか。
30日に登山口から入山のはずが、31日に登山口を出発。
3泊4日の予定のうち、1日を余分に消費してしまったことになります。
さらに事前に繰り返し報じられていたように、年末年始の天候は大荒れの予報。
ここで踏みとどまれるかどうかがひとつの分かれ道だったのではないでしょうか。
遭難形態からすると、悪天候による道迷いが引き金になっていると思います。
五色沼の南にある避難小屋にたどり着けていれば…と思えてなりません。
吹雪の中で現在位置と進むべき方向を失った。。。。
読図、コンパス、GPS。。。。装備といくらかの訓練があれば。。。。と、思わざるを得ません。
報道は大量にあるのですが、この辺の装備や行程に関しては全く情報がありませんでした。
31日にどこに泊まったのかは不明ですが、あるいは避難小屋に泊まっていたのかもしれません。
元旦に避難小屋まで戻り、2日に下山、というスケジュールだったのでしょうか。
ただ、2日の行程はかなり長いものになり、無理があるという指摘もあるかもしれません。
救助要請について。
トンネル内の非常電話からの通報ということでした。
ことここに至っては、これが最善の道だったのでしょう。
ですが、携帯電話や無線機などの通信手段はなかったのでしょうか?
あれば現場からの通報ができた可能性があり、違う展開もあったと思われます。
通信機器については報道が全くなかったので、この辺の詳細は不明ですが。。。。
携帯も無線も不感地帯だとしても、もう少し早い段階での通報もあり得たと思います。
通信機器の意味、再度考えてみる必要がありそうです。
気になったのは1月1日の行動。
登頂は「午後」とか「昼過ぎ」などと報じられていました。
避難小屋までは頂上から直線距離で約1キロ。
ここを目指していたのではないかと推測します。
ただ、道に迷い、雪洞を掘らざるを得なくなった。。。。。
その時間が、2日午前1時頃。
すでに深夜になるまでの行動というのが、解せない点です。
体力の消耗を考えても、真っ暗になる前に、そして体力にまだ余裕が残っているうちに、しっかりとした雪洞を掘るべきではなかったか。。。。
「午前1時」というのに引っかかりが残るのです。
登頂が「午後」「昼過ぎ」ということなので、「午後1時」の間違いではないと思います。
リーダー格だったAさんが主にラッセルをしていたように報じられていましたが、実際のところは不明です。
ただ、ラッセルを全くしていない人でも、この行動時間なら「気分が悪」くなってもおかしくないのではないでしょうか。
Aさんは疲労に加え低体温症に至り、凍死したと思われます。
早めのビバーク判断をしていれば、消耗を最小限に抑えることができたかもしれません。
どの時点でビバーク判断をするか、そこにも分かれ道があったと思います。
3人で下山を開始したことについて。
Aさんに生還の可能性が残っている状態であれば、1人を付き添わせ、2人が下山すべきでした。
逆にAさんの生還可能性がゼロであったら、3人で下山すべきだったと思います。
2日午前4時、下山を開始した時の状況については「Aさんの意識がなくな」ったとしかないので、詳細は不明です。
当初は3人別々に行動していたかのように報じられていましたが、一緒に行動を開始したようです。
途中から1人遅れ、さらに1人遅れという状況から、いかに消耗が激しかったということが伺えます。
午前1時まで行動し、その3時間後に下山開始となると、当然、厳しいものになるでしょう。
結果的に3人は生還したのですが、2人目、3人目の犠牲が出てもおかしくない状況だったのかもしれません。
最後まで3人一緒の行動をすべきだったかどうかは、この情報だけでは是非が分かれると思います。
死者が出てしまったことは、残念だと言うほかはありません。
ただ、事前の情報収集不足や判断の分かれ目。。。。。。
途中で打てる手だてが、いくつかあったのではないか。。。と思ってしまいます。。。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2008/01/07(月) 04:35:00|
- 遭難カルテ
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【概要】
31日午後11時半ごろ、北アルプス・槍ケ岳(3180メートル)の岐阜県側中腹にある槍平小屋付近で雪崩が発生。1日午前0時15分頃、登山者から数人が埋まっていると119番通報があった。雪崩に巻き込まれたのは小屋の5~10メートル南側に並ぶようにテントを張って就寝していた、徳島岳人クラブ(4人)と東京の
三峰山岳会(3人)の2パーティー。周辺にはこの2つのテントを含め、7、8張りのテントがあり、少なくとも25人がいたという。小屋に宿泊していた登山者が助けを求める声に気づき、周囲にいた登山者らが7人を救出。徳島岳人クラブの団体職員(51)=松茂町、大学職員(31)=徳島市と、三峰山岳会の内装業(60)=神奈川県海老名市、会社員(45)=東京都目黒区の男性4人が意識不明。男性(47)=徳島市、女性(30)=同、男性(38)=東京都文京区の3人は無事だった。2日朝、3人は岐阜県警の救助隊とともに下山。県警ヘリが意識不明の4人を搬送、全員の死亡が確認された。いずれも窒息死だった。3人は「突風でテントが吹き飛ばされ、どさっと雪の下敷きになった」と雪崩の瞬間を説明した。現場は比較的なだらかな地形で、北側に「冬季小屋」、10~20メートル南側に「夏季小屋」がある。登山者の話や高山署の調べでは、雪崩発生時、夏季小屋の東側に5、6張り、南側に3張りのテントが設営され、両パーティーは夏季小屋南側に別々に張ったテントで就寝中だった。小屋には雪崩の痕跡がなく、2組の東側にテントを張っていた別のグループが巻き込まれていないことなどから、雪崩は西側の急斜面で発生し、沢を越えて二つのテントを直撃したとみられる。亡くなった4人は、それぞれテントの端で寝ており、真ん中にいた3人が助かった格好になった。登山計画によると、両パーティーとも12月30日に入山し、徳島岳人クラブは1月2日、三峰山岳会は4日に下山予定だった。現場では事故当時、約3メートルの積雪があった。岐阜地方気象台は31日朝から飛騨北部に大雪警報と雪崩注意報を出していた。槍ケ岳では1973年11月にも、槍平小屋北側で起きた雪崩で、テントにいた京都大山岳部のパーティー22人のうち5人が死亡し、17人が凍傷などのけがをしている。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、中日新聞、徳島新聞、時事通信よりデータ引用・抜粋)
【考察】
元旦からマスコミが大きく取り上げていました。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。
報道内容にも微妙な食い違いがあったのですが、それは毎度のことです。
それを取捨選択したため、一部、概要と違うものもあるかもしれません。
まず、最初に思ったのが、「まさかあんな場所で」というものでした。
冬季の槍ヶ岳に行くには、槍平小屋は幕営適地だと認識していました。
現場で幕営していたパーティーも、そう考えていたと思います。
要するに自分も含めて多くの人が「安全地帯」と考えていた、ということでしょうか。
極端な例ではありますが、たとえば…。
「赤岳鉱泉に幕営」となると、「無条件で安心」だと思っているのに近いのかもしれません。
「安心」の根拠は「幕営適地と言われているから」。
それ以上ではなく、そこで思考がストップしているとも言えます。
念のため、地形図を見てみました。
奥丸山(2439.5)から伸びてくる沢が、小屋の南側をかすめています。
この沢で比較的大きめの雪崩が起きたら…ということを考えれば。。。。。。
年末年始の天候が荒れ模様との予報、かなり前から出ていました。
クリスマスあけから暖かい日が続き、30日と31日は雪。
新しい雪が降り積んだ直後というのは、雪崩が起きやすい。。。。
地形・積雪状況をよく見ると、雪崩の条件はそろっていた。。。。と言えるかもしれません。
結果論かもしれませんが、小屋の南側よりは東or北側にテントを張るべきだったのではないかということです。
何メートルかテントの場所がずれていれば。。。。。と、思わざるを得ません。
いっぱんに「幕営適地」と言われる場所であっても、必ずしも安全地帯ではない。
今回の事故から、それを強く思いました。
最終的には地形や気象、積雪状況などを、もう一度見つめ直す必要があるのではないかと思いました。
30年ほど前に雪崩が相次ぎ、槍平小屋は東に移動した現在地に再建されたようです。
そのような経緯は、今回に至るまで知りませんでした。
知っていれば、また、異なる対応があったかもしれません。
また、昨季、岳沢小屋が雪崩でつぶされています。
当然、槍平と立地などの条件は異なりますが、「小屋でも危ない」ということも忘れてはならないでしょう。
あと気になったことがひとつ。
雪崩の直前に突風があったとのこと。
泡雪崩だったんだろうか?
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- 2008/01/05(土) 13:16:13|
- 遭難カルテ
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