【概要】
27日午後3時5分ごろ、埼玉県小鹿野町の両神山(標高1723メートル)の七滝沢で、東京都大田区の会社員男性(30)が座り込んでいるのを、捜索していた県警山岳救助隊が発見、同県秩父市の病院に搬送した。男性は左足首を骨折し衰弱も激しいが、命に別状はないという。男性は13日夜、家族に「日帰りで秩父の百名山に行ってくる」と言って、自宅を出発。14日朝、母親(63)の携帯電話に「天候が悪いけど、これから登ります」とメールしたのを最後に連絡がとれなくなった。家族が15日に県警へ届け出て、山岳救助隊が捜索を続けていた。発見までの2週間、あめ玉7個と沢の水を飲んで過ごしたという。「あめ玉7個を少しずつなめていたが、1、2日で尽きてしまった」と話したという。男性は発見時、沢と岩の間に横たわるように腰を下ろし、雨傘をかぶっていた。隊員に声をかけられると「手を握ってほしい」と求め、隊員が応じると涙を流したという。当時は強い雨が降っていた。現場は渓流に近く、隊員が男性を安全な場所に移動させた後、倒れていた場所は増水で水没したという。捜査関係者は「間一髪の救出だった」と話している。男性は今年山登りを始めたばかりで、両神山への登山は初めてだったという。熊谷地方気象台によると、同山のある秩父地方では23日以降、連日、雷と大雨洪水注意報が発令されていた。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、東京新聞、時事通信などからデータ引用・抜粋)
【考察】
アメ玉7個で2週間・・・・なかなか衝撃的でした。
怪我をしたとはいえ、生還できて何よりでした。
さて、多くの幸運が重なったケースだと思います。
倒れていた沢筋、救助直後に水没。。。。。
発見が1日遅れていたら・・・・。
天候の面からすれば、完全にラッキーだと思います。
秩父の百名山って、2つか3つあったように思います。
ですので、どこで遭難したのか、分からないまま捜索が始まったことになります。
捜索のスタート時点から、混乱があったんではなかろうか。。。。
きちんとした計画書を警察署や家族に渡していれば捜索範囲が絞られてくるので、もう少し早い救助に至ったのではないかと思います。
よく言われている計画書の提出。
やっぱり重要なことです。
また、通報を受けてからの救助隊が、これほど長期にわたって捜索を続けたことには頭が下がります。
日帰り装備の弱点として、食料の貧弱さがあると思います。
軽量の荷物でパッパと行って帰ってくるわけですから、弁当と行動食程度でしょう。
アクシデントで2日以上にわたるハメになったら。。。。
やはり少し多めに食料を持っておくべきかも。
どれだけ?というのは、なかなか難しいですが。。。。
日帰り装備の内容、少し考えてみてもいいかもしれません。
事故様態、骨折をしていたことから、おそらくは転落か滑落であろうと思われます。
アメ玉7個で2週間→生還!という事実が大きすぎて、事故様態がほとんど報じられていませんでした。
なんとも不思議な感じでした。
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- 2010/08/30(月) 22:32:51|
- 遭難カルテ
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雷鳥沢。
徒歩1時間足らずとはいえ、いちおう山のテン場。
夕方には静かになったし、朝は早めでした。
テン場では比較的若い人の姿が目立っていたと思います。
とはいっても30~40代かな。
夫婦?や少人数のグループが中心でした。
もうひとつ目を引いたのが、ファミリー。
祖父母・親・子という、3世代の人たちもいました。
テントを担いで移動する距離が短い雷鳥沢ならではの光景かもしれない。
これが剣沢や真砂沢あたりだと、まったく趣が違うんだろうなぁ。。。。
山を歩いてすれ違った人たち。
全体的に見て、やはり年配の人が多かった。
2ケタ以上の人数のパーティーは、すべて年配の人。
これ、何でだろうかね?
いわゆるバリバリの山ガールファッションの人はごく少数。
「こんにちは」にたいして「アンニョンハセヨ」と、何度か返ってきた。
韓国人や中国人の登山者が増加しているようでした。
彼らの目に日本の山や登山者はどのように写っただろうか。。。。
交通機関。
お盆ということで、混雑を覚悟していたけれど・・・。
結果はほとんどスイスイと。
かつては乗り物のたびに整理券を渡され、1~2時間待たされて。。。。
天気が良くなかったせいかもしれません。
装備がだいぶボロボロになっていた。
カッパは新調しなけりゃならんようだ。。。。
細かい傷は多いし、小さな穴も・・・・。
すでに防水性能は死んでいる状態でした。
テントも老朽化。
エアマットも内部でスポンジがめりめりと剥離。
剥離したところはぷっくりとふくれて。。。。。
ランタンのガラスは割れるし。。。。
金がかかるなぁ。。。。
子供たち。
毎回のように成長が見える。。。。親としては感慨深いものがあります。
特に長男の落ち着きぶりには、今もって感心しています。
本文にも書いたのだけれど、改めて。
「山の子」として育ってほしいという思いはあります。
自分が山に登ることで得たものが、とても大きかったからです。
それ抜きには、自分を考えられないほどに。。。
それを子供たちにも・・・と思うのです。
一方で、親としてはいろいろな経験をさせてやりたいとも思うし、やりたいと思うことを伸ばしてやりたいとも思います。
今、2人とも野球にハマっています。
雷鳥沢までグローブを持っていくほどに。。。。
団体での球技とパーティーを組んでの登山。
似ているところと全然違うところがあります。
自分自身は山以外に団体スポーツをやった経験がほとんどありません。
また、パーティーにはその良さもあるのですが、煩わしさもあって、単独行が多かったりもします。
そういう親の趣向に合わせていると、身につけられないものもあるんじゃないか・・・。
そう思うと、「山以外はダメ」なんてことは、とっても言えません。
グラウンドで連係プレーが決まったときの笑顔、やっぱりいい表情なのです。
とても親が教えられるものではありません。
チームの指導者がいて、チームメイトがいて、初めてできることだと思いました。
家庭以外の世界、やはり重要な要素なのでしょう。
自分自身は親が山に登るのについていくうちに、自分も山に向かうようになっていました。
親父はすでに後期高齢者ですが、未だに山に向かっています。
そういう中で育ったためか、自分の子供にも・・・・と思うのかも。。。。。
少しずつですが、子供たち自身が自分の進みたい道を見つけ始めているのかもしれません。
自分のことを考えてみると、同じ山でも、親父とはまったくスタイルが違っています。
親の手を離れた世界で、自分なりの山への向き合い方を見つけてきた結果なんでしょう。
子供たちの成長に寄り添い、見守り、支える。
親としての役割は、そんなところなのでしょう。
喜びと寂しさとが、一緒になっているような、そんな感じでした。
我が家のファミリー登山も、少し方向を変えるときが来つつあるのかもしれません。
自分がどっちに向かっていくべきなのか、そろそろ考える時期に来たように思いました。
その存在自体がありがたいものだし、励みにもなる。。。。。
育てることではじめて分かることや感じられることがある。
子供たちがいたからこそ、そういうことを考えられるのでしょう。
家庭の意味を考えるきっかけになったと思いました。
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- 2010/08/26(木) 23:01:55|
- 日々是好日
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前夜、午前4時半に目覚ましをセットして就寝。
目覚ましが鳴って目が覚めると・・・・・雨&ガス。
チビどもは熟睡したまま。
嫁さんと、こりゃダメだ・・・・という結論に達し、親も二度寝に。
2時間ほど眠ったあと、全員起床。
天気は・・・・雨&ガスのまま。
風はあるが、それほどでもない。
テントから出てみると、昨夜の間に結構降ったらしく、川と池。
ウチのサイトは、昨日の力作の溝が功を奏して、水が避けられたようだ。
少しテン場をうろついてみると、水溜りの真ん中に立つテントもいくつかあった。
ラジオの天気予報を聞きつつ、ゆっくりと朝飯。
野営管理所に張り出してある天気図も見に行く。
下山予定日は明日。
さて、どうする?・・・・と嫁さんと談合。
今日の天気は1日中、断続的に雨っぽい感じ。
おまけに明日も同じような感じ。
台風一過の快晴は望むべくなし、と同意見。
雨の中で1日沈殿して、翌日に雨の中を下山、渋滞ピーク時に大阪へ・・・・・意味なし!
というわけで、1日早いけれど下山してしまおうということになった。
カッパを着て、撤収。
帰りは地獄谷経由ということになった。
硫黄のにおいがする中、お湯がボコボコ沸いているのを見て、チビどもは大喜び。
ま、楽しいとは思うけど。。。。。
実は、雷鳥→室堂、地獄谷経由はあんまり好きではないのだ。。。
というのは、通常ルートだとアップダウンを繰り返しながら室堂に至る。
登り傾斜がけっこうあるので、しんどくなったころに下りがやってくる、という感じ。
それが地獄谷経由となると、前半はダラダラ、後半に一気に登りに。。。。。
最後の登りが、結構つらい。。。。。
温泉地帯が終わると、次男はヘロヘロ。
コイツ、天候と機嫌が一致するんだよなぁ。。。。
長男は平気でニコニコしている。

最近、この2人、モロに雨男らしい。。。。
無事、室堂へ到着。
立山駅までの乗り継ぎもスムーズ。
お盆休みなんてバスやケーブルカーの2時間待ちなんてのがしょっちゅうあったが、最近はないんだろうか?
千寿ケ原の旅館でお風呂に入り、大阪へ。
北陸道に出る前に、猛烈な夕立になった。
高速も多少の渋滞はあったけれど、ピーク前日なためか、それほどでもなかった。
後片付けは、物干しがメーンか。。。。。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2010/08/25(水) 19:47:39|
- 山日記
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さて、千寿ケ原の駐車場、以外に快適でした。
他にも駐車場ビバークの人が結構いたようです。
ケーブルカーがすいているようだったので、朝はのんびりと。
前日同様に乗り継いで室堂へ。
天候は曇り。
昨日とは打って変わって風も穏やか。
雷鳥沢への道のりも、天候がいいとあっさりでした。
テン場に着き、場所の選定。
昨日の雨による川や池の痕跡がくっきりと残っていて、場所選びの参考にする。
テントを設営し、昼飯。
夕方までの時間、ちょっと散歩に行くことにしよう、と。
剱岳を見てこようと、剱御前小屋を目指す。
ま、何もしないと晩飯時に腹が減ってないなんてことになりかねないから。。。。
雷鳥沢を渡って、ひたすら登る。
学生時代に、毎夏通っていた道。
50キロを越す背負子を担いで登っていた時には、地獄の道だった。
初日にそのまま真砂沢のテン場まで行っていたなんて、今思うとようやってたな・・・・と。
登攀用具なしのサブ行動だと、気持ちのいい道。
条件が変わると、全然違うもんだなぁ。。。。。
次男が恐ろしいほどの絶好調で登り切る。
長男があきれてついて行けないほどだった。
何があった?
2時間ほどで小屋に到着。

なんとか剱岳を拝むことができた。
親としてはかなり感慨深いんだけれど、子供にとっては「ふ~ん」ってな程度。
ま、そんなもんだろうけどね。。。。。
下りは2人とも快調に飛ばす。
怪我をしないよう、注意しているけれど、分かっているのかな?
テントに戻って、あとはダラダラしたら晩飯だなぁ・・・と思っていたら、長男が
「父ちゃん、キャッチボールやろう!」
なんとまあ、グローブ2つと硬式の練習球が出てきた・・・。

どんだけ野球好っきゃねん!!
テントでごろごろしていた次男が出てきて、
「ボクもやるぅ!」
こいつも左手にはしっかりとグローブが・・・。
やれやれ、標高2300メートルで野球をやらされるとは・・・・。
周りからは結構注目されてしまった。。。。
親としては、正直なところ、「山の子」に育ってほしい。
でも、一方でやりたいことを一生懸命やらせてやりたいとも思う。
今では2人とも、すっかり「野球少年」になってしまった。
そのうち「野球のほうがいい」と、一緒に登ってくれなくなるんだろうなぁ・・・と。
寂しくもあり、うれしくもあり・・・・である。
嫁さんが晩飯を作っている間、テント周りに溝掘り。
子供たちが面白がってどんどん掘ってくれる。
隣のテントの人が「ウチのほうも掘ってくれていいよ!」というほどだった。
面倒な作業なので、やってくれると助かりますな!
小型のガスランタンが故障したため、キャンドルランタンをともす。
穏やかに就寝。
明日は、立山へ行くぞ!!
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2010/08/24(火) 18:55:34|
- 山日記
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そろそろチビどもに3000メートルの空気を吸わそうか。。。。
そう思って、嫁さんと計画。
候補はいくつかあったけれど、結局、雷鳥沢ベース3泊4日で立山と奥大日岳と決定。
8月11日深夜、名神→北陸道をかっ飛ばして富山方面へ。
台風の影響で、石川県あたりから雨&風。
12日明け方、千寿ガ原の駐車場へ到着。
立山駅からケーブルカー&高原バスを乗り継いで、室堂へ。
意外なほどにすいていた。
室堂往復でファミリー切符、¥4190×2。
立山駅・美女平は曇りだったけれど、室堂は風雨。
どうするかなぁ・・・・とは思ったけれど、ま、とりあえず行ってみようか。。。
雨具装着の上、室堂を出発。

まあ、これでもか!というほどの風と雨。
ガスで視界も×。
雷鳥沢へ下りる最後のほう。
コンクリで固めた石畳の道に、下のチビがよくスリップしていた。
それでもなんとか雷鳥沢へ。
風雨の中、嫁さんとバタバタしながらテント設営。
雷鳥のテン場は半ば池と川状態。
おまけに風が結構あって、なかなかヘビーな状況。
いろいろとテントの防水に不都合があって、浸水&雨漏り!
まいったなぁ。。。。
しばらく様子を見た上で、さてどうする?と嫁さんと相談。
ラジオで天気予報を聞いたら、回復の見込みはないようで。。。。
子供もいることだし、ムリはやめよう、ということで、撤退。
上のチビは「おなかすいたぁ」。
適当におやつを食わせると、それでオッケーだそうだ。
下のチビは、バタつくテントの中で、「寒いぃ。怖いぃ」と半べそ。
お兄ちゃんは成長したなぁ!
さて、撤収にかかると意外に早い。
撤収決定から15分で出発。
上のチビは良く手伝ってくれた。
さて、室堂への登り返しは、結構つらい。
上のチビは風雨の状況を楽しんでいるようで、ニコニコしている。
下のチビは、嫁さんに手を引かれつつ半べそ・・・・でも何とか歩いている。
こっちはずぶぬれで、荷物が重い。。。。。
途中、小屋が点在しているので、いよいよヤバい・・・となったら逃げ込むつもりだったけれど、なんとか室堂へ。
肉まんを買って食わせると、チビどもはニコニコ。
ま、そんなもんかな。
一旦千寿ケ原へ下山すると、小雨。
富山市内へ出て用足しをして、再び千寿ケ原へ。
途中、ものすごい夕立にあった。
あのまま上にいたら、どうなってただろう???
千寿ケ原駐車場でテントの不具合に手当てをし、濡れ物を全部干して晩飯。
駐車場の隅っこでテントを張って、翌日に期すことにする。
山には雲がかかっていたけれど、中天は星空に変わっていた。
風雨の中で、長男の成長ぶりだけはしっかりと見えた1日。
動じた様子もなく、平然と撤収を手伝ってくれたのは、以外に頼もしかった。
もっと装備持ってくれればいいんだけど、まあ、まだ何年かかかるかな。。。。
テントの不具合。
古い装備には、いろいろなことがある。。。。
メンテナンスをサボっていたのが良くなかった・・・・反省。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2010/08/23(月) 17:58:07|
- 山日記
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【概要】
16日午後4時ごろ、北アルプス・剱岳(2999メートル)へ出かけた男女8人のパーティーが下山予定日を過ぎても下山せず、連絡が取れないと同じ山岳グループの関係者から、富山県警に連絡があった。8人は兵庫県芦屋市を拠点とする山岳会アルペン芦山所属で、59~67歳の男性2人と女性6人。17日午前6時ごろ、剱岳の北方稜線上2850メートル付近で三つの簡易テントにわかれてビバークしていた8人を県警ヘリが発見、救助し室堂まで搬送した。一行には疲労が見られるものの、けが人はいないという。一行は12日に室堂から入山。3泊4日の予定で15日に下山予定、16日は予備日だった。15日朝に剱岳中腹にある山荘を出発したあと、山頂を目指していたが、メンバーの一人が15日午前、知人に「いま北方稜線にいる。雨で難儀している」と電話をかけて以降、連絡が途絶えた。剱岳周辺の15日の天候は雨、16日は小雨が降るうえ強風が吹いていたという。一行のリーダーの男性(63)の話では、15日午後4時ごろにガスが立ちこめて視界が悪くなったうえ、足元の岩も雨でぬれていたため、登山の続行を断念。三つの簡易テントにわかれて2晩を過ごし、天候の回復を待っていたという。救助後、上市署を訪れた一行によると、予備の食料は1日分あり、カイロも持っていた。メンバーの女性は「装備は十分だったと思う」と話したが、携帯電話の電波が通じず、無線を携行しなかった点を反省していた。8人が立ち寄った剱岳南東側にある「真砂沢ロッジ」関係者によると、一行はヘルメットやピッケルなど基本的な登山装備は所持していたが、装備は比較的軽く、一般登山者のように見えたという。同ロッジの関係者は「もっと雨が強ければ、体温が奪われて命にかかわる事故になっていた恐れがある」と指摘した。30年以上にわたって富山県警山岳警備隊に在籍し、現在は「剱岳早月小屋」の管理人を務める佐伯謙一さん(60)は「服や装備は立派になったが、山に対する知識に乏しい登山者が目立つようになった。遭難を避けるためには、体力に応じた登山をすべきだ」と警鐘を鳴らす。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信などからデータ引用・抜粋)
【考察】
2007年9月に、同じく剱北方稜線で、57~69歳の8人が救助されています(
こちら)。
今回は59~67歳ということで、年齢層はほぼ同じ。
警察庁の統計に関する
記事で触れた、遭難者が集中する年齢層にも合致しています。
年齢的な問題とパーティーの規模・力量の問題。
年齢が高いといろいろな力が落ちていきますが、今回のパーティーの力量はどうだったんだろう?
難場を抜けるルートの場合には、人数が少ない方がスピードが速くなります。
ちょっと人数が多いんじゃないかと思いますが。。。。
パーティーを構成する際に、問題にならなかったんだろうか?
「人数が多い方が安心」という考えはあるかと思いますが、今回のようなルートだとそうではないように思います。
また、天候が良ければすんなりと日程を消化できたことでしょう。
ただ、天候が崩れたときに自力での対処ができないのであれば、力量が不足している、ということになります。
本人たちからの救助要請ではなかった点を考えると、ちょっと判断しかねますが。。。。
「装備は十分だったと思う」と話したが、無線を携行しなかった点を反省。。。。
明らかに矛盾してると思うけど。。。。。
ま、それはさておき。
ちなみに12日から14日まで、室堂周辺にいました。
12日は台風の影響で荒天、13日は雨もなく曇りで風も落ち着いていました。
14日は午前中は断続的に雨、稜線は風が強そうでした。
12~15日の予定(予備1日)で、15日にアタックなら、15日中に下山してしまうつもりだったんだろうか?
真砂に立ち寄ったのであれば、千人池方面からのアタックだったのだろうか?
そのあたりは、詳細な計画が分からないので何とも。。。
いずれにしても、ちょっとキツいルートになります。
で、行動断念が15日午後4時ごろ。
日程から考えると、遅きに失した感があります。
15日の天候は雨。
当然、「視界が悪」く「足元の岩も雨でぬれ」ているわけで、この2点を行動断念の理由とするならば、朝の時点で断念できるはず。
そして、結果として16日も悪天候。
このパーティーの天候の判断はどうだったんだろう?
この日の行動内容の詳細が分かれば、朝出発する時点で、どういった判断がなされたのかが分かるのではないかと思います。
下山時に予備の食料が1日分あったことから考えると、17日に自力で下山できた、とも考えられます。
全員が怪我もなくヘリで搬送されたことと併せて「タクシー代わりに使った」という批判も出てくると思います。
一方で、何らかの形で下界と連絡が取れていれば、17日に自力下山し、遭難事故には至らなかったかもしれません。
ですが、15日に突っ込んでしまった時点から歯車が狂ったのではないでしょうか。
ですので、15日に「行く」と決めたところがポイントになるように思います。
朝、「天気悪いから、そのまんま下りようか」とする選択肢もあったと思います。
個人的には、ヘタレなもので、たぶんそっちへ行ったと思います。
また、15日午前中には携帯で連絡が取れていたわけです。
その際に17日まで日程を延長する可能性があることを伝えていれば、違った展開になったのではないかと思います。
無線機のなかったことが指摘されています。
はたして無線機が使えたかどうかは、多少疑問が残ります。
が、持っていたけれど通じなかったというのとは全然違うと思います。
また、8人のメンバーがいれば8台の携帯があるはずで、全滅だったのでしょうか?
少し移動して電波の通じる場所を見つければ、連絡をとることはできたかもしれません。
そのあたり、どのような努力がはらわれたのかは、報告書が出ない限りは不明のままです。
通報が会の関係者からなされたことを考えると、「タクシー代わり」だったのかどうかは、もう少し詳細が見えてきてから、というところだと思います。
さて、この
アルペン芦山という会。
労山に加盟しています。
「今月の山歩案内」のページに、計画の概要などが掲載されていたと思われるのですが、現在はアクセスできなくなっています。
掲示板には、厳しい批判が並んでいます。
HPの管理人と思われる方1人が、ほぼ防戦一方という状態。
「今後この問題を総括して安全登山をしっかりと進めて行きたいと考えています。」
と書き込まれています。
この「総括」が公開され、意味のある内容であることを願うのみです。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2010/08/19(木) 22:02:14|
- 遭難カルテ
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今夜から、久々の山らしい山へ。
わくわくしますね!
でも、心配事がいくつかあります。
夜中の高速。。。。台風が、渋滞が、混雑が・・・・・。
山の本筋とは違う話ですが、やっぱり気になります。
毎度ながら、計画は楽しく、準備はうんざり。。。。
家族4人で3泊4日のテント泊・・・ザックがどんどんデカく、重くなっていきます。
子供たちにそれほど持たせるわけにはいかないので、仕方ないんですけどね。
今回は準備がバタバタでした。
仕事と少年野球でスケジュールはびっしり。
家中ドタバタで、夏休みの宿題がごっそり手つかずで残っていることも発覚し・・・・。
やれやれな感じです。
で、今回一番あわてたのは、子供の身につけるもの。
山に行く前の「衣装合わせ」で、長男。
Tシャツは・・・な、なんとか今年いっぱいは大丈夫か。。。。
長そでシャツは、こないだかったばかりだから、大丈夫そうだ。
靴は・・・・・・・「キツイ!」。
ズボンを合わせたら「キツイ!!」。
靴下をはかせたら「父ちゃん、穴あいとる。。。。」
あかんがなぁ!
こんなんでは、山なんか行けんぞう!
あわてて長男を連れて、近所の山道具屋へ。
店に入ってびっくり。
ちょっと前までは、子供用の山道具が置いてあったのに、全くなし!
いかん!
次!
次の店・・・・・なし!
結構焦り始めた。
この日を逃すと、長男を連れて買い物に行くことができない。。。。
3軒目。。。。
助かったぁ~。
なんとかすべて入手。
やれやれ。。。
ちなみに、長男が使えなくなったものはすべて次男の物になります。
これが姉弟や兄妹だったときには、せめて最初から中性色のものを買う、ということになりますか。
子供の体格、日々少しずつ成長しています。
前回はけた靴や服が、もう、小さくなっていたりします。
登山口で「足が痛い!」なんて言われたら、どうしようもありませんから。
準備段階で、必ず「衣装合わせ」をした方がいいようです。
あまりに直前すぎると、買いに行く暇もなくて、困ったことになります。
また、店の品ぞろえが、知らない間にゴソっと変わっていたりします。
普段から時々チェックしておいた方がよさそうです。
さあ、あとひと仕事したら帰るぞ!
(って、仕事中だったか。。。。)
ちなみに、大人の「衣装合わせ」は・・・・・身に覚えがあるなら、やっときましょう!
特にズボンですね!
私自身は・・・・セーフ!
嫁さんは・・・・聞かないことにしとこう。。。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2010/08/11(水) 21:51:15|
- 子連れに挑戦
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前項の続き。
知人から言われて、山と渓谷の8月号を読みました。
トムラウシの事故で、生還したガイドのインタビューが掲載されていました。
ざっと読んでみた感想を。
3人のガイドの意思疎通がなかったこと。
これには少なからず驚いてしまいました。
それぞれが大した面識もないまま、ツアーに入ってしまったようです。
ツアー山行ですから、客は当然寄せ集めですが、スタッフまでもが寄せ集めだったとは。。。。。
16人もの客を引率するのに、スタッフ間で意思疎通が図れていないなんて、ちょっと信じられません。
報道などではあまりはっきりとしていなかった点です。
パーティーがバラケていった原因の一端がここにあると思いました。
アミューズ社の
安全登山への取り組みの中には、スタッフ間の意思疎通については全く触れられていません。
ということは、この点への改善はなされないままなんだろうか。。。。。
ガイドのリーダーに、トムラウシの経験がなかったことについて。
今回の事故と、現地を訪れた経験があったかどうかは、あまり関係がないように思います。
あくまでも結果論ですが、事故との関連は薄いわけですから。
また、事前の情報収集でコースの様子をつかむことは十分可能です。
アミューズのツアー自体もこのコースに何度も行っている以上、社内に情報があるはずですし。
さらに読図ができれば、よっぽど特殊なケースを除いて、コースをトレースすることに問題はないはず。
それができないとなると、むしろガイドの資質に問題があるような気もします。
これは結果論ではないと思います。
低体温症に関することも、コース経験とはあまり関係がないと思います。
コース経験があった方がモアベターであることには違いないけれど、絶対条件ではない。
むしろそんな気がします。
報道などでは、結構重視されてはいましたが。。。。
重い口を開くにいたったいきさつにも触れられていました。
いろいろなことが述べられています。
謝罪だけでなく、その一部でも、遺族の前で話せなかったんだろうか。。。。
確かに言いにくい雰囲気だったろうことは想像に難くないのだけれど。。。。
遺族がこのインタビューを見たらどう思うだろうか?
以下、些細なことかもしれませんが。。。。
ガイドの名前が「Aさん」になっていました。
プロがその業で行ったことに関する話だから、実名でもいいのでは?とも思います。
むしろ実名であったら、何も思わなかったでしょう。
一方で、心身ともにダメージを受けているうえ、サブガイドという弱い立場であったことなどへの配慮でしょうか?
事故後の処理に、まだまだゴタゴタが続きそうです。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2010/08/09(月) 21:32:14|
- 日々是好日
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【概要】
2日午前8時45分ごろ、北海道・日高山脈ヌカビラ岳(1808メートル)で、中高年のツアー登山客とガイドの計12人が増水と疲労で身動きが取れない、と道警に救助要請があった。参加者の男女8人がヘリコプターで救助され、ガイドとスタッフの4人は自力で下山した。一行は札幌市の登山ツアー会社
ムーンフラワーのツアーに参加した北海道と東京の50代と60代の男女8人と、ガイドやスタッフのあわせて12人。30日から2泊3日の予定で日高山脈を縦走する予定だった。下山予定の1日夕、ガイドから会社に「増水がひどく、様子をみる」と連絡があった。尾根から少し下がった沢沿いでテントを張っていた。2日朝に「川の増水と疲労などのため、身動きできなくなった」「ヘリを呼んでほしい」と救助要請があり、会社が110番した。8人は医師の診察を受け、疲れが見られるものの、いずれも大きなけがはないという。男性客(63)がひざの痛みを訴えているが、全員が自力で歩けるという。1日は北海道を前線が通過したため、大気の状態が不安定で、ヌカビラ岳周辺も荒れもようの天気になったとみられる。このため札幌管区気象台は、大雨に注意を呼びかけるとともに、1日午後3時半すぎから午後8時前にかけて、ヌカビラ岳に近い平取町と日高町に大雨警報を出していた。一行は登山届の提出をしていなかった。
参加者の談話。
63歳男性「とにかく雨と風が強かった。降りる途中で右足を痛めてしまい、それ以上は降りられなかったので、ガイドと話をして救助を呼ぶことになった」
68歳男性「きのうは風が強くて、20メートルくらい飛ばされて転倒した。最終的に遭難した場所で、参加者の1人の足が痛くなって歩けない状態になり、沢の水も増水していたのでビバークした」
50歳女性「きのう、山を降りる途中の沢が濁流になっていた。渡れないほどではなかったが、疲れていて渡れない人もいた。最近、山の事故が増えていることもあって、みんなで話し合って、無理をせず、昨夜はテントを張ってビバークした。カイロはいらないかと思っていたが、寒さが厳しく、持っていてよかった」
52歳男性「ビバークして、ぬれたテントにみんなで入ったので、なかなか寝られなかった。何時間もテントの中にいると予想外に足腰が疲れ、このまま降りるのは危険だと思った。救助を呼んだガイドの判断は適切だったと思う」
(朝日新聞、毎日新聞、NHK、北海道新聞、苫小牧民報などからデータ引用・抜粋)
【考察】
さて、また中高年ツアーの事故か・・・・という感じです。
頻度はそれほどでもないかもしれませんが、人数が多いことなどで、ことさら報道されるため目立っているだけかもしれません。
29日から2日までの天気図を見てみました。
1日に荒れることは予想できなかったんだろうか?
予想できていれば、別の行動をとる方法もあったはずです。
ツアーを企画した札幌市の会社は「3日目のおとといは天気が悪いと思ったが、雨量までは予測できなかった」と説明しています。札幌管区気象台では、天候の悪化を想定して、登山ツアーの1日目に当たる先月30日と翌31日にそれぞれ大雨に関する気象情報を発表し、局地的に1時間に40ミリの激しい雨が降るおそれがあるとして注意を呼びかけたほか、1日も3回にわたって気象情報を発表していました。NHKが上記のように報道していました。
入山後も気象情報を入手することは不可能だったんだろうか?
十分可能だとは思いますが。。。。
さらに、結果論かもしれませんが、2日には天候が回復しています。
となると、1日遅れで自力下山する道もあったのではなかろうか?
HPの募集のページには、「テント泊」と明記してありました。

風雨以外のトラブルは今のところキャッチできていません。
山に行って、(程度はともかく)風が強かったり雨が降ったりすること自体は想定しておかなくてはならないこと。
雨が降れば当然テントも濡れてしまいます。
で、参加者のコメントから
「ビバークして、ぬれたテントにみんなで入ったので、なかなか寝られなかった。何時間もテントの中にいると予想外に足腰が疲れ、このまま降りるのは危険だと思った。」
このような人が、はたしてテント山行をしてもいいものだろうか?
こちらの
サイトによると、「テントが狭く座ったまま肩を寄せ合って一夜を過ごした」そうです。
グループが2つに分かれ、一方では定員以上の人数がテント内にいたということでしょうか?
となると、ツアーを運営する側の割り振りにも問題があった、ということにもなります。
でもなぁ、ビバークなんてそんなもんだとも思いますがね。。。。
ついでにもう一つ。
「きのうは風が強くて、20メートルくらい飛ばされて転倒した」
20メートルも飛ばされたら、少なくとも大けがをしているような気がするんだけど。。。。
医師の診察では「疲れが見られるものの、いずれも大きなけがはないという」だそうです。
なんとも不思議な話で、状況が全く想像できません。。。。。
足を痛めている人を除く、他の客について。
疲労だけで全員がヘリで下山しました。
山に登って疲労があるのは当たり前の話。
「渡れないほどではなかったが、疲れていて渡れない人もいた」とは参加者の弁。
全員が全員、歩いて下山することはかなわなかったんだろうか?
ヘリに乗るスペースがあったとしても、せめて可能な人は自力下山すべきではなかっただろうか。。。。。
そういったところから「ヘリをタクシー代わりに使った」という批判も生まれてくるような気がしてなりません。
まずは客の側に問題があったんではないかと思います。
で、ガイド会社に問題がなかったといえば、ないとは言えません。
ムーンフラワー社長の
萩原豊氏は、今回のツアーを率いて山に入っていたようです。
萩原氏は
JMGAの上級登攀ガイド資格を持ち、山岳ガイド資格検定員でもあります。
公募型ツアーには、いろいろな人が参加してきます。
体力や経験などに差があって当然。
それを無事下山させるのがプロの務めだと思います。
「全員無事でしたよ。ヘリだけど」なんてのは論外だと。。。。
スタッフ4人というのは、どういう構成だったんだろう?
テントなどを運ぶポーターだったんだろうか?
そんな大名山行って、いい加減になくなればいいんですが。。。。
ムーンフラワーのHP、2日に確認した時点では閲覧できたのですが、3日には「メンテナンス中」とかで閉鎖されている状態でした。
2日にコピーをとっておいたので、その中から気になることをいくつか。

「山行に参加するにあたっての注意事項」というのがあり、その中から引用。
山行中の事故や行動に関しては各自が一切の責任を負うことをあらかじめご了承ください。さて。。。。
ガイドの判断ミスによる事故まで含めて客が一切の責任を負う、とも読めます。
料金はもらうけれど、責任は一切とりません・・・・・なんだかものすごく無責任な気がします。。。。
ガイドの客に対する責任、どう考えているんだろうか?
山行中のトラブルについては、無論、客が責めを負うべき部分もあります。
すべてがガイド側の責任ではありません。
が、ここまではっきりと書かれてしまうと。。。。
さらに、以下のように続きます。
尚、ツアーは国内旅行保険に加入して行われますが、その保険の限度額(死亡時100万円)を超える損害については責任を負いかねますのであらかじめご了承ください。こんなんでいいんだろうか?
この一文を見て、なおツアーに参加する人の心理も理解できませんが。。。。
サイトは閉鎖状態ですが
掲示板はまだ生きていました。
中には誹謗中傷や厳しい書き込みが多いですが、
「優先第一事項:全員無事なのは何よりです。あとは些細なことです。」
と、擁護するような書き込みも。
些細なことですかねぇ。。。。
また
萩原氏のブログも生きていましたが、批判的なコメントは削除されているようです。
コミュニケーションのツールとして、HPや掲示板、ブログは有効な手段です。
が、ひとたび事が起こってしまうと荒れてしまい、閉鎖・削除という、お約束ともいえるパターンに。
掲示板もブログもいつまで残っていることやら。。。。
この繰り返しで、WEB上は「なかったこと」になってしまいそうな感じです。
北海道新聞に以下の記事が出ていました。
日高山系ヌカビラ岳でツアー客8人が道警に救助された遭難事故で、一行が入山した日高管内日高町内の林道は悪天候のため、7月27日から入林禁止だったことが2日、日高北部森林管理署への取材で分かった。一行は30日にゲートを通過しており、ツアーを企画した「ムーンフラワー」(札幌)の萩原豊社長(55)は「入林禁止だったと知らなかった」と話している。
同管理署によると、一行が入山した日高町内のチロロ林道は、降雨による土砂崩れなどの恐れがあったため、7月27日に入林を禁止し、入り口の鉄製ゲートは施錠していた。
萩原社長は北海道新聞の取材に対し、「入林禁止の看板を見落とした。ゲートは、札幌市内で緊急用に購入して持っていた鍵で開けた」と説明した。
ゲートの鍵は同管理署が管理しており、通常は入林の申請があった際にガイドなどに貸し出しているが、遭難した一行からは申請はなかったという。
事前申請をしなかった理由について、萩原社長は「鍵があったので、申請しなくても入れると思った」と話した。北海道森林管理局は「ゲートの鍵が売買されているとは承知していない」としている。なんともオソマツな話です。
場合によっては違法行為ともなりかねません。
この鍵問題についてはどう推移していくのか、見守りたいと思います。
萩原氏のブログに、以下の文章がアップされていました。
今回の救助要請に対して道警の方々、防災ヘリの方々、消防の方々の各関係者にご迷惑をおかけしました。
本当にありがとうございました。
また、入林方法が適切でなくお騒がせしたことをお詫びいたします。萩原氏は地元・北海道のガイドです。
地元のガイドでありながら、適切な入林方法を「知りませんでした」ですむものだろうか?
営利目的でなくてもですが、営利目的であればより一層、下調べは重要になってくると思います。
林道通行のルールは守る、登山届を出す・・・・・基本的なことです。
そのあたりが、すっぽりと抜け落ちていたようです。
客もガイドもガイド会社も????な事故でした。
さて、去年のトムラウシの事故もJMGA会員ガイドがリーダーでした。
今回はJMGA上級登攀ガイドで、ガイド資格検定員。
ガイド絡みの、しかもガイドに問題がある事故が続いています。
で、今回も資格制度に触れるようなことは何もしない?
==========追記(2010.08.04)==========
4日付けの
萩原氏のブログによると、本文と違う事実があるようです。
最初にツアーに入った時点ではJMGA認定ガイドの
舟生大悟氏とサブガイド1人、客は男性6人女性2人だったとのこと。
1日に現地からの連絡で、足の不調を訴えた客1人とサブガイドが1日遅れで下山、舟生ガイドが客7人を連れてそのまま下山する予定だった。
夕方の連絡で舟生ガイドの一行8人も増水のため6~7人用テントでビバークすることに。
2日、萩原氏と山木氏(サブガイド?)が食料などを持って入山。
(このときのアプローチで例の鍵を使った?)
10人と合流すべく行動中に、沢が減衰を始めていることを確認。
合流後、萩原氏と舟生ガイドが相談の上、ヘリによる救助を要請。
以下、一部抜粋。
参加者と合流すると初対面の方が8名中6名いて、前日の長い行動時間と悪天候の中の慣れない寒いビバークで疲れきっているのでヘリを要請してほしいとの話になった。参加者全員の気力、体力、その時点での沢の難易度も考慮し、衛星携帯の電波の繋がる場所を探し救助要請をお願いしました。8人が救助されたのち、ガイド・スタッフは自力で下山。
大まかに言うと、以上のような内容でした。
今回の行動内容と反省点は後日報告されるとのこと。
また
ムーンフラワーのHP、閉鎖状態は変わらないのですが、3日付けでお詫びが掲載されていました。
テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2010/08/03(火) 23:13:49|
- 遭難カルテ
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