山道を行く

カラダとアタマと心。 すべて働かせるのが山の魅力でしょうかね。

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【日々是好日106】 論争のマトメ

ここのところの一連のコメント欄。
多くの方からいろいろなご意見が出ました。
自分も含めて、かなり感情が入り乱れ始めたので、整理してみることにします。
当然、内容がダブることもあります。
また、恐ろしく長い文章になりますので、読まれる方はそのつもりで。



●「遭難や事故はない方がいい」

ここは疑う余地はありません。
誰しも「バンバン遭難したらいいんだ」とは思っていないと読み取れました。
ななしさんですら「事故を起こしていいですよ、ばんばん起こしましょう、とは一度も言っていませんので」とのことです。



●「絶対はない」

山に行く以上、「絶対」に遭難しない、なんてことはありえない。
「絶対」になくす、というのも同じことで、ありえません。
ベテランであろうが初心者であろうが、そのリスクは必ずついて回るということです。
ではどうするのか?というところが、話の元々の部分だと思います。
ここまではみなさん、ほぼ共通認識だろうと思います。
ここからは見解の相違があるのですが、後述します。
ただ、ベテランの定義がはっきりしません。
年数や登った山の数だけで判断できるものでないことは、共通の理解かと思います。
「ベテランにこそ事故が多い」「いや、初心者に多い」…。
ベテランの「コレ」という定義がない以上、議論は空回りするばかりではないでしょうか。
すべての登山者に、(程度の差こそあれ)遭難や事故のリスクはある。
そういうことだと思います。



●「バカヤロウ」と「木っ端役人根性」

丸山氏の「ABS」の是非をめぐり、いろいろな声が出ましたが、ここもかみ合いませんでした。
山田さまの書き込みの中の「論理ではなく、感情として絶対に許せない」という部分で、すこし分かった気がしました。
「自由と迷惑」「事実経緯と検証」「事故の内容検証と責任問題」、これらを分けて考えようというななしさまの書き込みがありました。
ななしさまもおーのさまも、そのほかに書き込まれた方も、そして私も、「感情と論理」を分けぬまま話を進めたため、もつれたのではないかと思います。
と、いうことで、この2つに分けてそれぞれ考えてみます。

まずは感情から。

身ぢかな人が山で死んだ。
見ず知らずの人が「バカヤロウ」と、それを侮蔑した。
悪意があるわけではないかもしれない。
ほかに意図があるのかもしれない。
しかし、「バカヤロウ」と、それを侮蔑した。
許せない。人間性を疑う。

これ、心情的にはよくわかります。
ななしさまや山田さまの言いたいことはこういうことだと思います。
心情の部分では、ここまでなら私にも理解できますし、そういう意味でしたら同意します。

 死んだ人を侮蔑するなんて…。
 まるで、裁判官気取りの木っ端役人根性だ!

このあたりからは、わかるようなわからないような…。
侮蔑する人に対して侮蔑の言葉をつける、ということです。
感情的になった状態の言葉の応酬であればわかります。
しかし、ここから先は不毛以外の何者でもないと思います。

続いて論理。

丸山氏が、ともすれば一人歩きしかねない言葉をなぜ使ったか。
不用意に使った点は、責められる点が全くないとは言いません。
が、それよりも、その真意を汲み取ることが、重要になってきます。
例の本からは、遭難を減らす、という丸山氏の言いたいことが見えてきます。
となると、「言い方」はよくないかもしれないけど、「言わんとすること」はなるほど、となります。
おーのさまや私の立っている場所はこちらなのでしょう。


感情の部分を否定するつもりはありません。
が、そこで止まってしまうのはどうかと思います。
論理の目を曇らせる感情は、それこそななしさまのおっしゃる「ごっちゃ」にほかなりません。
私も含めて、ここを分けて考えていれば、もう少しまとまりのある議論になったのかもしれません。
ただ、どうするの?ということについて考えていくとすれば、感情よりも論理が優先されるべきではないでしょうか。
当然、感情を踏まえたうえで、ということにはなりますが。



●死と尊厳

山田さまと素人Aさまの書き込みで、この部分が触れられていました。
死の尊厳、これはそのまま生の尊厳ともいえます。
生きている人、亡くなった人、すべて人の死(生)は同じ重さのはずです。
そういう意味で言えば、山田さまの
「つまらない事故とか、まともな事故、などいうものは『ない』のですよ。死は死なのです。」
という言葉にうなずけます。
ただし、ここの尊厳や尊重という意味では、生死は関係ありません。
亡くなった人であれ生きている人であれ、侮蔑するのは、やはり違うと思います。
死者に「バカヤロウ」はダメだが、生きている人に「木っ端役人根性」はいい、となると矛盾しているとしか言えません。
これは一歩間違うと、遭難死の美化につながりかねません。

ななしさまの書き込みより。
「自分の死で、そのリスクの対価を支払った。
それで十分ではないかと思います。
それを侮蔑する言葉を吐く必要があるのでしょうか?」
侮蔑する言葉は必要ありません。
これは生きている人に対しても同じです。

遭難における死をどう捕らえるか、ここの軸足をはっきりさせておく必要があると思います。
確かにファクターとしては大きいものです。
報告書に何が必要か、という話を書きました。
 ①何があったのか(経過)
 ②なぜそうなったのか(検証)
 ③どうすればよかったのか&今後どうすればいいのか(教訓)
基本的にはこの3つの要素があればいいと思います。
遭難死は①の中に含まれる要素であり、それ以上でも以下でもありません。
死者が出た場合には、批難するとかしないとかではなく、死に至った原因やプロセスは何か、ということを考えようということでもあります。
死者、という部分をけが人とか遭難者(無事救出なども含む)と置き換えても結構です。
検証を重ね教訓を刻むことで、遭難が減ればいいなぁ、ということだけです。

死者が出ているかいないかと、検証や教訓とすること。
これは関係がない話です。
遭難すべてが死、というわけではありません。
なにより、そこから残されたものを、今生きている我々がどう生かすか。
そこに尽きるのではないでしょうか。

検証する過程で、批判は当然あろうかと思います。
この批判と侮蔑は別のものです。
「自分の死で、そのリスクの対価を支払った。それで十分ではないか」
とすることで、批判を押さえ込むとなれば、
「死者を批判してはならない」
となり、これも遭難死の美化につながります。

遭難死。
美化する必要も、侮蔑する必要もありません。
当然、素人Aさまのおっしゃるように、免罪符でもありません。
感情抜きでなされた検証の上での批判はあってもよいと考えます。
ただ批判するのではなく、いかに教訓として残すかが大事なことではないでしょうか。



●啓蒙について

啓蒙が必要であることは、皆さんも同じだと思います。
見解が分かれるのは、その程度について、だと思います。
程度の差を持って啓蒙か過保護か、というような話だったと思います。

見るからにヤバそうな人を見て。
ななしさまは「大丈夫ですか?」で、「大丈夫です」とくれば「行ってらっしゃい」。
おーのさまは「ヤバイですよ。やめときなさい」。
結局はこんな感じなのかと思います。
(思いっきり意訳していますので、多少の間違いはあるかもしれません)

お二方のどちらから声をかけられたとしても、そのまま行ってしまう人は行ってしまいます。
おーのさまも、力づくででも止める、というようなことはしないでしょう。
そういう意味では、個々の自由(尊重?)というのは、最低限守られているはずです。
ですから、「個々を尊重しよう」という議論は成り立たなくなります。

啓蒙というのは、誰がするんでしょう。
組織などの場合もあるでしょうが、たまたま近くに居合わせた人がする場合もあると思います。
明らかに自分より初心者であることが分かる人に対して、「大丈夫ですか?」だけで済ませるというのは、啓蒙が足りないと思います。
何が大丈夫で、何が大丈夫ではないか、それが分かっていない人に教えるのが啓蒙のひとつと考えます。

ヤバそうな人、見ただけで完全に分かるものではありません。
顔色、足取り、装備などから判断するほかはないのが事実ではあります。
ただ、明らかに分かるケースもあります。
声をかけるのはそういうケースに限っての話だと思います。
どうみても自分よりデキる人に声はかけないでしょうから。
微妙な人には「大丈夫ですか?」もアリでしょう。
すべての基準は、声をかける側にあるはずです。

周囲の言うことに耳を傾けず、遭難になったケースもありました。
登山における啓蒙以前の問題ではあります。
ですが、そういう人が増えれば、規制、という方向に進みかねません。
規制、という方向に向かわないために、というのであれば、「やめときなさい」というのもアリだと思います。
ななしさまのおっしゃる
「ベテランがベテランではないか、ではなく身の程を知る、ということのほうが重要でしょう。
経験が浅くても、身の程を知っていればそこそこで止めて、戻ってくるものです。」
はそのとおりかと思います。
ですが、そうでない人が増えている現状をどうすればいいのでしょうか。
「大丈夫ですか?」では解決しないように思います。

たとえば、こんなケースはどうでしょう。
見るからに危なっかしい人がいたとします
「大丈夫ですか?」と声をかけたら「大丈夫です」「ではいってらっしゃい」。
その人が、目の前で転落、不幸にも亡くなったとします。
「『やめときなさい』と言っていれば、あるいはやめてくれたかもしれない」
そういう後悔は残ると思います。
たとえ「善意という名のお節介」であったとしても、です。
そこで「自分の死で、そのリスクの対価を支払った。それで十分」などとはとても言えません。
「やめときなさい」の一言を発するだけで防げたかもしれない、と考えれば、それにも意味があると思います。



●チャレンジを認めるか

基本的には皆さん、認めているのだと思います。
ただ、そこに至るまでにどれだけのものを積み上げたか、ということではないでしょうか。

山のレベルや方向性は、それぞれ違うと思います。
ですから、チャレンジのレベルや方向性も当然違います。
日帰りの里山だって、人によってはチャレンジたりうるのです。

これまでよりも、少しだけ背伸びしたチャレンジを重ねることでレベルアップがなされるのだと思います。
一足飛びに、なんてことはありえないと思います。

ただこれも、各人の内なる基準によるものかもしれませんが「無謀な」チャレンジかどうか。
ここから先は、前項の啓蒙と深く関わる話だと思います。



●地元に迷惑?

ななしさまは「迷惑をかけるという考えをやめよう」。
おーのさまや素人Aさま、そして私は「そんなことはない」。

しなくてもいい遊びで、危険な場所で死に、捜索する人に生命の危険を犯させることを私は迷惑と思います。
仕事や病気で死ぬのとはワケが違います。
仕事ならしなければならないし、病気は逃れられないからです。
ましてや、二次遭難の危険の中、救助・捜索に向かう人になんといえばいいのでしょうか。

「ラッシュ時の首都高速での事故のほうが大きな影響を周囲に与えるのではないでしょうか?」
確かに影響を与える人数はこちらの方がはるかに多いでしょう。
ですが、事故後の処理で、それに携わる人の生命の危険は、山のほうが大きいと思います。
それに対して「深く感謝」するだけでいいのでしょうか…そうは思えませんが。

「自分の死で、そのリスクの対価を支払った。それで十分」
そこで完結するわけではないのです。
事故後にも別の人の生命が関係する以上、ここを「分けて考えること」は、私にはできません。

「レスキューのプロは迷惑とは言わない」
それが仕事でしたら、あるいはそうかもしれません。
ただ、そのプロが「こんなのは勘弁してくれ」というのがあれば、それには耳を傾ける必要があると思います。

「迷惑ということを言うのは、日本の民間救助隊関係者だけ」
ここを考えてみましょう。
日本では遭対協や消防団といった民間の関係者が、捜索に動員されるのが現実です。
一刻も早い発見・救助を望むなら「そんなものはいらん」とはならないでしょう。
そういう人たちに対して「ひとつの利権」などというのは、失礼かと思います。
生命の危険を冒して捜索に赴く人に対する言葉ではないと思います。
あの日当、以前が不当に安かっただけで、今でも高いものだとは思えません。

「登山という行為が、その村の経済に多大な恩恵を与えているのです」
そういう側面があるのは、そのとおりかもしれません。
ただ、そこに「遭難関連の費用も含まれている」と言えますか?
死に対する感情の部分で書き込みをされた方が、「経済に多大な恩恵」というのが理解できません。

白馬村の「山が無くなれば村が潰れる」の話。
その歴史については、山田さまの書き込みにありましたが、後述します。
ここではそのデータについて。
「白馬村のスキー依存度を調べていました。
そこでは依存度7割だそうですよ。
スキーと山がなくなれば、村は潰れますね」
確かにスキーがなくなれば、間違いなく潰れますね。
では登山への依存度は?
そのデータがなければ、意味をなさないと思います。
スキーも登山もひっくるめての「山」といいたかったのでしょうか。
「分けて考える」ななしさまの書き込みとは思えず、一瞬、目を疑いました。
「登山依存度」のデータを示した上で、「利権」「経済に多大な恩恵」とくればもう少し理解できたかもしれません。

とはいえ、登山への依存も多少はあるでしょうし、遭難があった場合にもいくばくかの金銭が動きます。
地元に対して「経済的影響がある」という言い方であれば、あながち、ななしさまの言うことも間違いではありません。

ですが、「いろんな人に迷惑がかかる」という思いが慎重さを呼ぶなど、結果的に遭難を減らす一因になれば、それはそれでいいと思います。


●海外や歴史

山田さまの白馬村への資本参入の経緯。
ななしさまの「ウィンパーの初登頂」「やっぱフレンチアルプスはいいな」。

歴史や海外を知ることは重要だと思います。
ですが、今のこの日本の山を考えるときに、それをどう反映させるかが重要だと思います。

いまや、ヨーロッパの初登頂時代でもなければ、フランスやカナダでもありません。
ましてや白馬村が資本導入した時代でもありません。

バスを連ねて中高年の団体が山に押しかける国、ほかにありますか?
そこでは何十年も前に指摘された遭難の原因、今でも繰り返されています。
「道迷い」「病死」といった形態も増加しています。

剣や谷川には登山条例もあります。
幕営指定地があったり、火器禁止の山だってあります。
かつてあった「自由」がそこにない場合が、往々にしてあります。
でも、それが現状でしょう。
その手の規制が、なぜ増えていったのか、その歴史も考えてみる必要があるはずです。

ただ、「あれがいい、これがいい」では前に進まないのではないでしょうか。

これ以上遭難が増え続けると、規制も増えるだろうし、それこそライセンス制などというわけの分からないものが出てきたりします。
ただでさえ失われていく「自由」に対して、まずできることはなんだろう。
遭難を減らしたり、環境のことだったりすると思います。



●最後に

皆さん、考えはいろいろでも、等しく山が大好きなのはよく分かります。

それでは「登山」って何ですか?

大半の人にとっては、趣味、ただの遊びなんですよ。
休日のレジャーという意味で言えば、スキーやテニスや、それこそゴルフとだって同じ程度のものなんです。
その意味のおいては、決して特別のものではないんですね。

ただ、そこには最悪、死ぬかもしれない、というリスクが内包されている、というのが特徴のひとつとしてあるのは事実です。

山で楽しく遊びたい、楽しく過ごしたい。
皆さん、そこは同じはずです。

でしたら、遭難して、家族を悲しませたり、他人に迷惑をかけたりしないようにしようと。

私を含めて山が好きな人にとっては「特別なモノ」なんです。
だから「事故のないように」という部分は、変わりないと思います。

不幸にして事故に遭った方もいます。
その人をけなしたり侮蔑するんではなく、そこから何が拾えるか、ということです。

最後は個人個人が考え、意見があればそこから積み上げていく。
そこには意味があるのではないかと思います。

考えよう、と思っていながら、感情に走っていた部分がありました。
反省すべき点だと思っています。





あんまりまとまりがないですが、ざっとまとめてみました。
議論の整理に役立てていただければ幸いです。



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テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

  1. 2006/11/28(火) 22:37:13|
  2. 日々是好日
  3. | トラックバック:2
  4. | コメント:18
<<【遭難カルテ122】 六甲で転落の女性死亡 | ホーム | 【道具を語る12】 ヤスリ>>

コメント

このところ仕事が忙しくこちらに訪問しておりませんでした。論争があったのですね。
私がこちらでのハンドルネームを「元山男」としたのは、やはり遭難に絡んでいるからです。
もう20年少々前に山へ行かなくなりました。最後の山行は、なんと丹沢山塊の「もみそ沢」という初心者レベルの小さな沢です。
それまで何ともなく手が伸びてつかむことができた小さなホールドに手がどうしても届かなくなり、下に見えるわずか5メートルの景色が、たとえようもない恐怖で目に入ったときでした。

それまで17年間、今では古いスタイルの山岳会に入り、山の経験を積んできました。あの当時の若い登山者の例にもれず「いつかはヒマラヤ」という野心も持っていました。
所属する山岳会同志の協力関係で、遭難救助や捜索にもかり出されていました。丹沢はマイゲレンデでいつもお世話になる山小屋も多く、登山者が遭難したとなると、「にわか救助隊」を小屋番と結成して救助にも当たりました。
ただそう言う経験を積んでいくと、だんだん山に行くということがやりきれない思いにとらわれるようになりました。春に捜索に行き、絶えられない腐敗臭に包まれた遭難者を発見し、警察の検視の後交代で背負って山を下りるつらさ。谷川で落ちた人を「拾い」に行くとき、火ばさみ片手で現場に行き、人がカマスに収まる大きさになる体験を重ねるにつれ、だんだん山に対して臆病になっていきました。

そして、今の仕事を始める準備をしているとき、ザイルパートナーの遺体を泣きながら担いだ後、その初心者レベルの小さな沢でわずか10メートルに満たない岩が上れなくなったのです。

それ以来「登山」はしなくなりました。今は仕事の関係で軽い山歩きのガイドをお客さんにしたりしますが・・・それも初心者のお客様が怪我をしないようにするためです。

遭難は結果でしょう。でも防ごうと思えば100%ではなくとも防げます。山には初心者もベテランもない。どれだけその山を調べ己を見つめて、遭難回避の思考を組み立てるかではないでしょうか。

今は、ニュースなどで遭難を報道されたとき、昔の経験で見てしまう自分がいます。こちらのページにたどり着いたのも、あの白馬での事故があまりにも?が多すぎたからです。

遭難は防ぐことができます。山行の前に遭難に遭うことを前提とした登山計画を組んでいくだけでも、人為的な遭難に遭わなくなるでしょう。
自然の脅威も天気図を描画する練習をすれば予測がつきます。(あの頃は衛星写真もないので、等圧線の僅かなへこみから予測を立てようと努力していました)
今は便利な世の中ですが、それでも山には入る前に入念な研究をしてもらいたいと願います。

とりとめもなく書いてしまいましたが、遭難に遭わないで楽しく山を満喫してもらいたいです。
  1. 2006/11/29(水) 08:57:35 |
  2. URL |
  3. 元山男 #-
  4. [ 編集]

特に何も

たかが山。されど山。
なんですね。

管理人さん、どうも整理していただきありがとうございます。私からは特に追加して言うことはありません。

昨日、ある山岳会の9月会誌を読んでいました。
あのサブガイドさんの所属する山岳会です。
会誌の中で彼女が2編の報告を載せています。ひとつが立山の研修所でのリーダー研修。もうひとつは8月末の始めての北アルプス単独山行。
登山技術を身につけたかったらしいですが、登山を始めたのが遅かったために技術研修場所がどこもなかったらしく、所属山岳会の推薦で、立山の山岳研修所のリーダー研修へ基礎技術研修の目的のために参加したらしいです。(そもそもリーダー研修なので本来の使い方ではないはずですが)
その次の初単独行の報告を読みながら、本人は本人なりにビビリながら、ルートを歩いた様子がわかります。
どうしてあのパーティで「サブリーダー」という名前が付いていたのかはわかりませんが、2つの報告を読んでリーダー研修を受けていたとしても登山のリーダーができるレベルではなかったように思えました。

ひとりのガイドに6人の参加者。
そんな構図が白馬岳の事故に垣間見えます。
「参加者全員ベテラン」いえ、そんなものではなさそうだ。

ヤマケイの記事の中の山小屋からの証言らしい箇所から、助かった2名も生死の境を彷徨ったらしいことが読み取れます。あと、30分遅ければ、ガイド以外全員が死亡していた可能性もあります。

「山の怖さを知っただろう」と’言う’のは簡単ですがそれ以上に、登山を続けるかどうかを不安にさせる心の傷を受けたのではないかと思います。

元山男さんのコメントを読みながら、登山っていうものはとても残酷な面があることをきちんと肝に銘じておくべきだと自戒をこめて思いました。

  1. 2006/11/29(水) 12:05:03 |
  2. URL |
  3. おーの #rmbFb8ac
  4. [ 編集]

元山男さまへ

元山男さまへ。
お久しぶりです。

頂いたコメントを読んでいて、どきどきしました。
とてつもなく重い経験をされていたんですね。。。。。。
私自身、知人の葬儀に出たことはあっても、同行者の死に直面したことはありません。
きっと、あなたほどの重い経験をしていないから、どきどきしたのでしょう。

私の体験と言えば、岩の練習中に、目の前で新人が落ちたことがあります。
幸いにも意識は数分で回復し、腕の骨折などの重傷でした。
救急車を呼びにふもとまで駆け下り、救急隊員を案内して現場へ。
けが人に付き添っていた仲間や救急隊員の皆さんと一緒に、簡易担架で下まで降ろしました。
自分たちの判断ミスを悔いるとともに、けがをさせてしまったことの申し訳なさ。。。。。。
病院に親御さんが駆けつけてきたときには、頭を下げるだけでした。
「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」
これ以外の言葉が出てきませんでした。
あのとき、他にどんな言葉を口にすればよかったのか、いまだに分からないままです。

多分、一生忘れることができないのでしょうね。



山に行っていて、突然、足がすくむ思いをするときがあります。
大して難しくないような場所でです。
「もう、山はやめたほうがいいんじゃないか」
そのたびにそう思ったりもします。

少しずつ恐れが積もり、いつかは完全に身を引くことになるのかなぁ…と考えつつ。
少しずつレベルを下げ、それでも続けている自分。
やっぱり好きなんですね、山。



>今は、ニュースなどで遭難を報道されたとき、昔の経験で見てしまう自分がいます

「登山」から身を引かれたあなたも、やっぱり根っこの部分では、山が好きなんだと思います。
好きだからこそ、身を引いても心は残っている。
勝手にそう思っています。



論争の中で出てきた、ななしさまのコメントの数々。
すべてに共感できるかどうかはともかく、強い思いがある、ということは伝わってきました。
また、ときに文脈の乱れが見受けられたように思います。
強い思いと乱れる文脈。
きっとあの方にも、どうしようもなくつらい記憶があるのではないか、と思います。
そして、あの方も、山が好きなんでしょうね。



>山を調べ己を見つめて、遭難回避の思考を組み立てるか
>山には入る前に入念な研究を

胸に刻んでおこうと思います。


  1. 2006/11/30(木) 18:03:00 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

Re:特に何も

おーのさまへ。

>たかが山。されど山。

ひとことで言えばそうなるかもしれませんね。
元山男さまへの返事にも書いたのですが、それでもみんな、山が好きなんでしょうね。
つらい思いをしていたとしても。。。。。




例のサブガイドさんの記録、目を通してきました。
記録を読むと、ほほえましいほどの、おっかなびっくりの単独行の様子が伺えます。
慎重であることはよいことでしょう。

ヤマケイの記事には、数年前に仕事をやめてガイドを目指していた、と言うふうに書いてあったと思います。
となると、40歳ぐらいからガイドを目指した、ということになります。
単独行の記録を額面どおりに受け取ると・・・。
言いようのない不安ばかりが残ります。

サブガイドって何?
いまだ、その答えを得るには至っていません。


参加者のレベルについては以前にも少し触れました。
ガイドの田上氏は「上級です」とのこと。

「上級」の登山者が、わざわざお金を払ってガイドを雇うのか?
また、そうせねねばならないほど難しいルートだったのか?
事故に至るまで、発生してから、その対応は「上級」らしいものだったか?

「ベテラン」や「上級」、その定義はなかなか難しいと思います。
田上氏は何を持って「上級」と言ったのか、そこが知りたいと思います。

>元山男さんのコメントを読みながら、登山っていうものはとても残酷な面があることをきちんと肝に銘じておくべきだと自戒をこめて思いました。

全く同感です。
  1. 2006/11/30(木) 19:04:55 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

山で死んではいけない(感情論かも)

「ヒマラヤを登った人でも日本の冬山で死ぬ」という言葉を聞いた事があります。

登山者とは「遭難する可能性が無くならない」ものなんでしょうね。実力を省みず計画段階から遭難している事も。疲労が溜まれば、冷静な判断が狂う時もあるし。

先鋭的・記録狙いの山行ならいざ知らず、一般登山上での遭難・事故はなくしたいですよね。

こちらのブログ・コメントを拝見すると本当に勉強になります。有難うございます。

体験談でしか話せなくて、おこがましいのですが、少しでも参考になれば(感情論かもしれません)。

身の程を知らずの山行で、死に損なったことがあります。

数十メートル滑落していく最中の心境

「なんてこんな馬鹿な事(登山)をしてしまったのだろう」
→「頭が下にならないようにしよう」

→「自業自得だ、自分は死ぬんだ」

→「残された家族・親が可哀想だな」。

家族のことが頭をよぎった時、樹にぶつかって止まったのです。下半身・背骨を骨折しましたが、滑落現場を目撃していた他の登山者が、助けに来てくれました。後はご想像の通り。

後日、遭難救助をとりしきっていた方から、「あの状況で助かるとは・・・・ご先祖様が助けてくれたんでしょう」と言われました。

体が回復した今、また私は山に入っています。でも、とても臆病・慎重になりました。

趣味の登山だったら、山中で死んじゃいけないんですよ。

今後も、こちらのブログでの、冷静な考察を期待して拝見させてもらいます。駄文、失礼しました。
  1. 2006/11/30(木) 23:41:06 |
  2. URL |
  3. テントミータカ #SVWlgnzY
  4. [ 編集]

感情的になってつい

私も横から口を挟んだものとしてかなり感情的になったくちですが、顔の見えないネットの悪い部分に引き込まれてしまったようです。
上級者の方々の話に口を突っ込み感謝の念がかけ
ていると言ったことはある意味大人気なかったよう
な気がしています。
まだはじめたばかりの初心者ハイカーとしては高山
で起こる事故の恐ろしさを実感できることは未だなく
救助の現場も見たことはありません。ただ、プロで
あれ現地の方であれ、事故の起こり方があまりにも
不用意だということを件の丸山氏の本は書かれて
いると思います。山に登り始める前に私もよみまし
たが書き方は激烈極まりない部分も含んでいます
がそれぐらいいっても無謀に入山し命を落とすまた
は大怪我をする、挙句の果ては救助したものを罵る
人もいると聞けば何様のつもりなの?って人間思う
だろうと思うのです。世間一般だったら考えられない
ことが山では日常なのかと。
そんなことはないと思いますが、計画の段階で遭難
しているような例もあると聞きます。
低山しか登っていないものが不遜な言葉を吐くかも
しれませんが自分をもっと見極めたうえで挑戦する
しかも計画を墨守するかどうかは別としてあまりにもリスクも考えない計画だけは立てるなと思うのです。
私は最高でも高槻のポンポン山までしか登ったことはありません。そしてあまりに太りすぎていて腕力が
ないため岩場がメインのところは言ったことがありま
せん。
ただし単独が多いせいかおよその予定を書いたものを家族に渡し、さらにはエスケープルートも設定し
疲労募れば途中下山もしています。
そしてつまらないとは思いますが段階を踏んでやっているつもりです。(これは山岳会を経験したことがないのでまさに自己満足だけだと思いますが)
一足飛びに日本百名山には向かわないですし、事前に地形図とガイドブックを熟読し、現地では常に開いてチェックしながら歩く。人に連れられ何も知らずに登るのがいやだからそして自分での行くのだという意思を捨てるがいやだから。
これくらい臆病に行動していいぐらいではないでしょうか?それでも足を滑らせたり、つまずいたりするのですから高山はもっと慎重そして臆病で無理をせずがよいと思っています。40前からはじめましたのでおそらくは2000mまでの中級山岳で私のキャリアは止まるとでしょう。山で死ぬことだけはしたくないと思っています。

長々と駄文を垂れ流しすみません。
  1. 2006/12/01(金) 20:56:42 |
  2. URL |
  3. kazuo #JJOmaDxA
  4. [ 編集]

Re:山で死んではいけない(感情論かも)

テントミータカさまへ。

ヒマラヤに登った人が、日本で大丈夫な保障はありません。
冬山や岩などの難しいところでなくても、実際に遭難しているケースはありますからね。

滑落の体験談、拝読しました。
生きて帰れたからこそ、その後をどうするか、なんでしょうね。

>趣味の登山だったら、山中で死んじゃいけないんですよ。

そう思うことから、何をすべきかを考えることが重要だと思います。

いろいろな人の意見が集まってくるようになりました。
中には自分と違う考えの人もいます。
ですが、そんな中からでも学ばせてもらっているのは私のほうで、皆さんのおかげかと。

もし役に立ててくれる人がいるとすれば、それはそれで、うれしいことです。
ヘンコツなブログではありますが、今後ともよろしくお願いします。
  1. 2006/12/01(金) 22:07:36 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

Re:感情的になってつい

kazuoさまへ。

あの論争(?)に顔を出した人。
自分も含めて、多かれ少なかれ、感情が先走った部分があったように思います。
お互い、反省すべき点なんでしょうね。

>上級者の方々の話に・・・

それは全然構いません。
ベテランには馴れから来る初歩的なミスがあることも事実です。
登った山の数や高低、季節に関わりなく、思ったことを書き込んでいただいて結構です。

里山や裏山ですら、人によってはチャレンジの場だと言うようなことを書いた記憶があります。
それぞれのレベルはいろいろでしょうが、自分のことと、行こうとする山のこと、どれだけわかっているかがすべてではないでしょうか。

>計画を墨守するかどうかは別としてあまりにもリスクも考えない計画だけは立てるなと思うのです。

これなど、すべてのレベルの登山者に当てはまることだと思います。
「百名山を制覇した」などという自慢げな言葉よりも、はるかに価値のある言葉だと思います。
初心者であること、低山専門であること・・・卑下する必要はありません。
好きな山のスタイルなんて、人それぞれだし、行ける山のレベルについても同じことですから。

気が向いたらいつでもコメントを残してください。
  1. 2006/12/01(金) 22:34:10 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

管理人さんへ

>それぞれのレベルはいろいろでしょうが、自分のことと、行こうとする山のこと、どれだけわかっているかがすべてではないでしょうか。

この言葉は最近実感していることです。行こうとする山をどれだけ知ることができるか。
私は若山にはつど5回ほど行きましたが最近本当に低いけれど落ち着けるいい山だって思うようになりました。
これからもこのことは大切にしてゆきたいですね。

コメントありがとうございました。
  1. 2006/12/02(土) 19:48:48 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集]

Re:管理人さんへ

文面から察するに、kazuoさまでしょうか。

いい山の条件は、その人その人によりますね。
高低に関わらず、と言えると思います。

また、そういうところって、何度も足を運ぶようになるんですね。
そういう山も大切にしたいものです。

  1. 2006/12/02(土) 20:43:47 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

しばらく米国で岩にかじりついていたクライマーです。
浦島状態なんであちこちうろつくうちにこちらに。

スレざっと読んでみましたが
議論の型がとても日本チックである意味うんざり。

>しなくてもいい遊びで、危険な場所で死に、捜索する人に生命の危険を犯させることを私は迷惑と思います。

ぶっちゃけ、管理人さん、山を止めたほうがいいですよ。
「女性の敵は女性」というけど
あなたのような、訳知り顔で語る人ほど
山の世界を腐していることを知ってほしいなぁ、と。

「山止めろ」、という発言を失礼とは感じないですよね?
だって、管理人さんとか、おーのさんは、
能力ない人は山に入ってはいかん、というスタンスにいるのですからね。

ほぼフルタイム・クライマーしている僕からみれば
管理人さんの能力など、「あぶなくて」見ていられないですから。


山で事故があるのは前提なんですよ。
人は誰でもミスしますからね。
だから、山の世界を成立させたいなら
事故の際のコストも織り込んでおかないといけないわけ。

だから、シャモニーじゃ、事故があっても
別に騒がない。起こる可能性のあることが起きた、というだけの話。ヨセミテでも同じ。

登山という観光資源で生きる、という決意は
事故を起こした人を、迷惑かけた、と罵倒する形態ではなく
しっかりしたレスキュー体制、という回答で引き受けている。


バスツアー組んでくる時代なんだから、という話。
矛先が違うでしょうが。

バスツアー&ハイヒールの人に文句言うなら
その人にいっぱい来てくれ、と
白馬岳山頂直下にある3000人も泊まれる小屋を
なんとかしろ、というほうが先でしょ。

次々に小屋を作り、規模拡大してきたのは誰?
商売したい地元でしょ。白馬村と白馬館。
ハイヒールねえちゃん呼び寄せる受け皿を作ったのは
地元なんですから。

金だけ落としてくれ、でも事故は嫌だ、ってのは
そりやあんた、ずるい、ってことにならんですか?
だって、事故があるのは前提なんだから。


今は初登頂の時代じゃない、という意見。

だ・か・ら、管理人さんは何もわかっていない、というのですよ。
今も昔も、リスクあるのは変わらない。
ちょっとミスすれば死ぬのは同じ。

山田さんのいうように、死は死なんですから。

管理人さんや、おーのさん、素人Aさんのメンタリティは
堀江青年を、当初、誹謗していた人たちと同じ。
社会常識に反する、とね。

でもね、上記に書いたように
現代において「成熟した登山環境」とは
事故があることを前提とし、地元は適切な救助体制を用意し
可能な限り、登山者のチャレンジを妨げない、という方向性なんですよ。

事故事例並べ、講釈たれているけど
そのメンタリティは、チャレンジ、というそれ自体の意味を
まったくわかっていないし、
それを社会的に成立させるには何が大事であるのかも
わかっていない。

やっていることは、山の世界を腐しているだけ。


丸山さんのABSですが、
社会的地位と実績を持っている=安全地帯にいるからできる発言
でしょうが。

では、丸山さんが、無名の若者だったころ
事故を起こした人に、そうした言葉を投げかけたらどうなるのか?

こういう視点で見れば、あの発言がいかに
バカげた比喩であるのかがわかる。
レスキュー活動に関わった経験があるから、
そうした発言が許されれる思っているなら
それこそ、人の命の尊厳への冒涜であると同時に
レスキューの精神への冒涜なんです。

こっちのレスキューに関わるプロに
この発言を教えてあげたら
首をすくめて苦笑いしていましたよ。

レスキューのプロは、そうした発言をしてはいけない、
ってのが、こっちでは教育で叩き込まれるのですから。


押しかける登山者をどうするのか?
簡単ですよ、デナリのようにすればいい。
当然、おーのさんも管理人さんも
行きたい時に、行きたい山にいけなくなる、という
制約を受けれなくてはいけない。

いや、俺は好きなときに、好きな場所に行きたい、を
放棄していただかないとならない。


でも実際は、行きたいところにいきたいし、
商売している人たちは、人はいっぱいきてほしい、
事故は嫌、という、お子様の論理を振り回す人がいるわけ。
だから変わらない。

そして、そのお子様論理を補強しているのが
管理人さんのような、迷惑論なんですよ。


僕も遺体かついでおろした経験ある口ですが、
基本的に、ななしさんのスタンスに賛同。
遺族のなげきっぷりに、何回も、密に接しなければ
ならなかった経験からいえば、ABSなんて発言は
ざけんじゃねー、以外のなにものでもないです。
丸山さんに向かって僕ができることは
力いっぱい拳骨を握り、そしてゆっくりと中指を立てる
ことぐらいですけどね。

乱文ご容赦。
レス不要っす。
  1. 2006/12/03(日) 11:56:41 |
  2. URL |
  3. 健二 #Ptney9y.
  4. [ 編集]

健二さまへ

健二さまへ。はじめまして。
長文の書込みありがとうございます。

>スレざっと読んでみましたが議論の型がとても日本チックである意味うんざり。

日本チックなのは、当然でしょう。
ずっと日本にいて、日本の山のことを議論したりするわけですから。
うんざりするかどうかは各人の自由ですけど。

>「山止めろ」、という発言を失礼とは感じないですよね?
>ほぼフルタイム・クライマーしている僕からみれば管理人さんの能力など、「あぶなくて」見ていられないですから。

行こうとしているところについて、具体的にこうだから、という理由で言われるのであれば、全く失礼だとは思いません。
それぞれのレベルでやれば良いわけで、どこがどう「あぶない」かご説明いただければ十分です。

>山で事故があるのは前提なんですよ。
>人は誰でもミスしますからね。
>だから、山の世界を成立させたいなら事故の際のコストも織り込んでおかないといけないわけ。

これ、全然否定しておりません。

>だから、シャモニーじゃ、事故があっても別に騒がない。
>起こる可能性のあることが起きた、というだけの話。
>ヨセミテでも同じ。
>登山という観光資源で生きる、という決意は事故を起こした人を、迷惑かけた、と罵倒する形態ではなくしっかりしたレスキュー体制、という回答で引き受けている。

罵倒すること自体、不必要だということも書いたはずです。
それとレスキュー体制も含めて、シャモニーやヨセミテと違って、日本なんですよ。
その日本の現状から考えようということです。

>白馬岳山頂直下にある3000人も泊まれる小屋をなんとかしろ、というほうが先でしょ。

作ったから人が来るのか、人が来るから作ったのか、両方あると思うんですがね。

>ハイヒールねえちゃん呼び寄せる受け皿を作ったのは地元なんですから。

そういう面があるのは否定しません。
ただ、まずは自分自身がどうするか、ということから考えたいだけです。

>今は初登頂の時代じゃない、という意見。

過去の話が出始めたので、現状から考えようということを言いたかったまでです。

>今も昔も、リスクあるのは変わらない。ちょっとミスすれば死ぬのは同じ。

これは誰も否定していないはずですが・・・。

>管理人さんや、おーのさん、素人Aさんのメンタリティは堀江青年を、当初、誹謗していた人たちと同じ。
>社会常識に反する、とね。

「社会常識」なんて意味の言葉を持ち出したつもりはないのですが・・・。
どこからでてくるのでしょうか?
「社会的常識」なんて、その時々の都合でどうとでもとれる言葉ですから。。。

>上記に書いたように現代において「成熟した登山環境」とは事故があることを前提とし、地元は適切な救助体制を用意し可能な限り、登山者のチャレンジを妨げない、という方向性なんですよ。

救助体制とチャレンジ。
双方とも満足な状態ではないということでしょうか。
そうだとすれば、両方とも何とかしないといけないことになります。
チャレンジだけ認めろ、ってのはどうかと思いますが。。。

>事故事例並べ、講釈たれているけどそのメンタリティは、チャレンジ、というそれ自体の意味をまったくわかっていないし、それを社会的に成立させるには何が大事であるのかもわかっていない。

このへんは、「フルタイムクライマー」とご自分でおっしゃる方と、あくまで「趣味である」と言い切る側の差もあるかもしれません。
私自身は、現状の中で何ができるかということを考えたいと思っています。
まずは遭難しないために、どうやって自分を守るか、そこの話をしているわけです。

>丸山さんのABSですが、社会的地位と実績を持っている=安全地帯にいるからできる発言でしょうが。

彼に言葉についてはさんざん述べてきたので、これ以上は書きません。
ただ、彼の言わんとしたことへの言及も欲しかったと思います。

>こっちのレスキューに関わるプロにこの発言を教えてあげたら首をすくめて苦笑いしていましたよ。
>レスキューのプロは、そうした発言をしてはいけない、ってのが、こっちでは教育で叩き込まれるのですから。

日本の現状はどうですか?
プロでない人が動員されているでしょう。
そこも考える必要があるのではないでしょうか。
それと、丸山氏はレスキューを「職業」とはしていませんので、正確には「プロ(プロフェッショナル)」ではありません。
要するにあの「ABS」という言葉は、「レスキューのプロ」ではない丸山氏の言葉だと思いますよ。
遭対協(プロにはあらず)の人間として、経験は豊富、ということではあるのでしょうが。。。
あなたの定義では、丸山氏もプロなんですか?

>押しかける登山者をどうするのか?
>簡単ですよ、デナリのようにすればいい。
>当然、おーのさんも管理人さんも行きたい時に、行きたい山にいけなくなる、という制約を受けれなくてはいけない。
>いや、俺は好きなときに、好きな場所に行きたい、を放棄していただかないとならない。

剣や谷川の登山条例のように、すでに「制約」があります。
ルール(良し悪しを別として)が存在する以上、それは守らなくてはならないと思います。
無論、緊急避難的なものは除いて、その制約は受け入れるべきだと思います。
ルールが良くない、ということなら、そのルールを変える方法しかないと思います。

>遺族のなげきっぷりに、何回も、密に接しなければならなかった経験からいえば・・・

これって、家族に余計な迷惑をかけた、と言えませんか?
「趣味」の山で死んでしまえば、仕事や病気と違って、やはり余計な迷惑かと思いますが。。。
フルタイムの方がどうかは、私には知る由もありませんがね。。。

>丸山さんに向かって僕ができることは力いっぱい拳骨を握り、そしてゆっくりと中指を立てることぐらいですけどね。

相手がどういう人であれ(生死に関わらず)、このような態度、私にはなじめません。



くどいようですが、死者を罵倒するのを可としてはおりません。
(美化する必要も、同じくらいありません)
自分が遭難しないように、そして少しでも遭難が減ればいい、ただそれだけなんですがね。。。

  1. 2006/12/03(日) 13:51:03 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

どこの誰かは存じませんが

誰も、チャレンジした結果の事故なら「困った」なんて言わないんですけどねえ。

フルタイムクライマーなら、頼むから山にごちゃごちゃいるじいちゃん、ばあちゃん何とかしてくださいよ。

海外に逃げてないで、ね。


比較文化論でステレオタイプのように言われるように、日本が全て管理主義だとは思っていません。ただし、ある程度の統制と規範で社会が成り立っています。一方で、欧米は全てが自由主義だとは思いませんが、セルフリスクのもとに成り立つ世界があります。
それがクライミングにおけるヨセミテやシャモニーならば、その背景があるはずです。
そんな米国の中でも、確か、国立公園の利用はガチガチに管理されているんじゃなかったでしたっけ?また、車の制限速度は未だに80キロくらいですよね?
一方で、欧州も車はアウトバーンのようなセルフリスクの道がある反面、管理されている部分ももっています。
それは、歴史的、社会的、文化的な背景があってのことです。

それを無視して、「あそこはよかった」というのは昔の人は’ナントカかぶれ’と呼んでいたと思いますけど。しかし、現実的にはここは日本ですし、現場の現実をきちんと見て、対処しなければ現状少しも変わりません。

豊富な海外経験があるなら、日本の現状をきちんと直視し、何をすべきなのか、考えて欲しいと思います。ここで、私の名前を出してもらっても、自由を主張されても少しも現状は変わらないですよ。今の現状なら、おそらく、もっと厳しい規制もかかる可能性は高いだろうと思いますよ。ここは規制大国日本なんですから。


事故事例を集める。イレギュラーを集めて、分類し、分析して対策を考える。というのは、どちらかと言えば、自然科学でも、社会科学でも、もちろん信頼性工学でも、科学としてのアプローチです。こんなアプローチに慣れていないのなら仕方がないですね。でも、直感的に動かれても何も変わらないと思いますけれども。
おそらく、こんなことは米国でも、欧州でも誰か専門家がもっときちんとやっているのでしょう。そんな専門家の手のひらの上の自由であるかもしれないことを認識して置いてくださいね。

こういった現状をどうするか、ですね。
チャレンジだからと言っていられるほど、リスクを捉えられているとは思えないですけど。
「山岳遭難:安達太良山も危険 入念な装備、天候見極めを--冬山は死直結 /福島」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061203-00000109-mailo-l07

じゃ米国人は凄くできてるか、というと疑問も
「<米兵2人不明>八甲田スキー場でスノボー コース外れ?」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061203-00000076-mai-soci
※どちらかと言えば、統制を取ろうとしても取れないので追認して、対応していると言う気もしないでもない。
  1. 2006/12/03(日) 21:32:36 |
  2. URL |
  3. おーの #rmbFb8ac
  4. [ 編集]

お元気な方ですね

今は帰国されているのですか?
それでしたら是非日本の現状を研究してください。
ヨセミテやシャモニーとの風土・社会の違いを研究して、よりよい登山の方向性を考えてください。
まだ帰国されていないのでしたら、早く帰ってきてください。

日本の登山界は若い人が圧倒的に少ないです。いわゆる「シルバー世代」が登山者の主流です。
そう言う現状をふまえ、より安全でありながらチャレンジ性のある登山のあり方が生まれてくれば、また登山に多くの人が参加するようになるでしょうね。

そう言えば「レスキューに関わるプロ」は日本にはいません。警察のいわゆる「山岳救助隊」も若い警察官の中から選別して、練習させて、シーズン中や事故発生時に招集されて業務を行います。ある程度の年限を過ぎると通常の警察業務に戻ります。
警察以外の地元の遭難救助隊の方も、普段は別の仕事をしていて事が起きると招集される人たちです。その多くは「山案内人組合」のメンバーだったりしますが、年齢がどんどん高齢化しています。
ですから、貴方が言われている「レスキューに関わるプロ」は日本ではまだ成り立たない分野ですから、是非その可能性を考えてください。
  1. 2006/12/03(日) 22:09:47 |
  2. URL |
  3. 元山男 #-
  4. [ 編集]

こんなマイナースポーツが世界の中心のような発言。
笑えるというより悲しいね。
チャレンジする資格を持った人間を、低レベルな民衆が羨望のまなざしをもって支えよと言うことかね。

そんなつまらないチャレンジに税金を使われるのを納税者は黙ってはいまいよ。
海外を出せば世間を知っていると思っている井の中の蛙だな。
その狭いマイナースポーツの中でしか通用しないフルタイムクライマーなどという自己満足な表現を存分に楽しんで生きたまえ。
  1. 2006/12/03(日) 23:04:49 |
  2. URL |
  3. 素人A #-
  4. [ 編集]

過去と海外

おーのさま、元山男さま、素人Aさま。
書込みありがとうございます。

前回、自分が書いたことに少しだけ捕捉します。

「初登頂の時代ではない」と書いた件。
エベレストの初登頂者の名前、山をやる人なら、まず知らない人はいないでしょう。
そうでない人でも、多くの人が知っている名前だと思います。
ウインパーの名前だって、少し勉強すればすぐに突き当たるものです。

彼らの偉業を否定することを言いたいのではありません。
むしろ、十分な敬意を持って接するべきでしょう。
あの時代にそこまでのことを成し遂げたことに、畏敬の念を抱いています。
私自身、ブールやヘディンの本なども、ドキドキしながら読み漁り、憧れを抱いたものです。

ただ、現在とは状況も大きく異なっていることは、忘れてはならないことだと思います。
初登頂で得られるもの、記録だけでなく名声、そしてお金…。
ある意味では、当時の、負の側面といっていいかもしれません。
それがかかっていれば、えいやっ!っとなってしまうのも分かる気がします。
ですが、「趣味の登山」の時代に、すでに当てはまらなくなっているのではないでしょうか。
「登頂」に「名声」がついてくる時代ではないのです。
(登山という小さく狭い世界での名声はあるのかもしれませんが…)
もちろん、リスクがあるのは、時代が変わっても同じです。
ですが現在では、一か八かのチャレンジよりも、安全を優先する方が強いのも当然かと。

過去を否定するのではありません。
日本の現状を顧みることなく、そのまま当てはめようとすることを否定する、ということです。


例えとして不適切かもしれませんが、「メスナー」「レビュファ」よりも「岩崎元郎」のほうが、むしろ知名度が高いのではないか?
そう思えるよう状態が、今の日本の現状かと思います。



健二さまとななしさまの共通点。
「海外は、こんなにいいぞう」といった内容。

私自身、海外なんて片手の指が余る程度にしか行ったことがありません。
しかも、自分が登るのに必死で、ここで議論されるような内容は考えもしませんでした。
「ただ登るだけ」の人間でした。
これでは「連れてってもらうだけ」とたいして変わりない、と今にして思います。

海外の事例、学ぶべきところは多々あると思います。
ただ、「あっちはいい、こっちはダメだ」で終わるのはもったいない。
今の状態の日本に取り入れるのに、どうすればいいのか、そういう方向で話が進められればいいのですが。。。
せっかく貴重な経験をされているのに、そのあたりが出てこないのが、残念でなりません。

海外の状況を否定するのではありません。
日本の現状を顧みることなく、そのまま当てはめようとすることを否定する、ということです。



今の状態に満足していない。
書込みをされる人に共通する思いではないかと思います。
では、どうすればいいのか。
私や、他の人への批判をどうこう言うつもりはありません。
ですが、批判の根拠には「これこれこうだから」というものを。
そして批判の上に「こうすると、この問題は解決する」というものを。
それがあれば、あるいは「なるほど」となることもあるでしょう。
それを願ってやみません。



  1. 2006/12/04(月) 12:55:56 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

「冬山で生き残るために読んでおきたいサイト」を挙げてみました

こんばんは。
管理人さんの紡がれる記事をいつも楽しみに読ませていただいています。

これから冬山シーズンを迎えるにあたって、さて自分はどんなサイトで刺激を受けているのだろう、情報を集めているのだろう? と、思うところあって記事にしてみました。
取り上げたサイトは、100%私の独断と偏見。
これまで興味深く読んだサイトとして管理人さんのブログをまず思い浮かべましたので、トラックバックさせていただきます。

普段は限られた範囲でしか行動できないとしても、些末なことでもかまわない、山屋どうしで知識を持ち寄ることができれば、普段山に向かう姿勢などを考えるきっかけを得ることができるのではないかとぼんやりと思っています。

これからも楽しみに購読させていただきます。
http://d.hatena.ne.jp/hatayasan/20061203/p1
  1. 2006/12/04(月) 20:18:16 |
  2. URL |
  3. hatayasan #mQop/nM.
  4. [ 編集]

Re:「冬山で生き残るために読んでおきたいサイト」を挙げてみました

hatayasanさまへ。
おひさしぶりですね。

トラックバックと過分のご紹介、ありがとうございます。
なんだか面映いというか、ケツのすわりが悪いというか・・・(笑)。
貴サイトも興味深く拝見しております。

>普段は限られた範囲でしか行動できないとしても、些末なことでもかまわない、山屋どうしで知識を持ち寄ることができれば、普段山に向かう姿勢などを考えるきっかけを得ることができるのではないかとぼんやりと思っています。

これ、おっしゃるとおりだと思います。
どこかにそういう場があればいいのですが、なかなかみつかりません。
ここが、そのきっかけになればいいと思うのですが、なかなか・・・。
価値観の違い、もつれる感情・・・と、愚痴になってしまいましたか(笑)。

ですが、いろいろなレベルの方が、それぞれのレベルに応じて、いろいろと考えてらっしゃることが分かり、それだけでも勉強になります。
ご覧の通り、ここのところの一連のコメント欄の動き、まさに勉強の材料だらけです。

失敗と試行錯誤の連続ではありますが、今後ともよろしくお願いします。
  1. 2006/12/04(月) 21:14:13 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

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2006年もあと1ヶ月を切りました。山の上では、季節は秋から冬にすっかり様変わりしているようです。 冬山や雪山に安全に臨むにあたって、僕がよく見に行くサイトを集めてみました。 更新をチェックしておきたいサイト 山道を行く 現役山屋さんの登山コラム。 山行報告や山
  1. 2006/12/04(月) 20:16:27 |
  2. 忘却防止。

岩崎元郎「登山不適格者」(2)登山適格者とは誰か

 登山の安全性と禁煙の相似性 の書き直し。  山を危険なものにしているのは、山を知らない登山者達なのだ。あえて、厳しい言い方をすれば...
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