山道を行く

カラダとアタマと心。 すべて働かせるのが山の魅力でしょうかね。

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【日々是好日127】 和解勧告

久しぶりに、大日岳訴訟の話です。
「日々是好日」でも何度か触れてきました。
223031368586など)

報じられた内容、かいつまんで言うと、以下のとおり。

名古屋高裁金沢支部で、12日に控訴審が結審。
第1回口頭弁論で、遺族側は控訴棄却を主張。
これに対し、国側は1審判決取り消しを求める控訴理由書を陳述し、学者ら2人の証人を申請。
裁判所はこれを棄却し結審、加えて和解を勧告。
双方が受け入れを決め、5月7日に和解協議。
遺族側は好意的に受け止めているが、国側はコメントせず。
裁判所は「将来に生かせる形での解決を」とのこと。



国が新たに証人を立てて控訴しましたが、裁判所はこれを蹴った、ということでしょうか。
そもそも1審判決をひっくり返すほどの新たな証拠や証言が出てくるとは思えなかったのですが。。。

この和解勧告、事実上の国敗訴と言えるのではないでしょうか。
将来に生かす、これが最大の善後策であることは疑いないことです。
そこにどういうミスがあり、それを防ぐにはどうすればいいか。
遺族側の訴えの中に、それはすべてあります。
そして、それをはっきり認識するところから始まるものなのでしょう。

和解の内容はどうなるのか。。。もう少し目が離せません。



今回の事実上の国敗訴の裁判、判例として残ることになります。
同様の件が発生、訴訟になったときの判断の下敷きとして使われることになります。

ガイドや講習会といった、営利的引率型登山の主催者には、重い内容だと思います。
また、非営利のリーダーにも、少なからぬ影響があるのではないかと思います。
ただ、営利と非営利、プロとそうでない人、ガイドとリーダー。。。
これらの責任の差の壁は、しっかりと崩さずにいて欲しいと、改めて思いました。


いずれにしても、尊い犠牲が今後に生かされるような内容の和解を望んでやみません。


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テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

  1. 2007/03/14(水) 22:05:14|
  2. 日々是好日
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:12
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コメント

国に責任があるのは否定しないが・・・

和解そのものは、これ以上長引かせないためにもよいのではと思います。
民事的にみれば国に責任があると思いますし、結果はこれで良いと思いますが、双方の主張はとても今後の登山界のためになる内容ではないと思います。

これで、稜線の風下側に入る行為は、少なくとも講習会では行えなくなります。今後はたたみの上の水練のような講習しかできなくなる恐れがあります。
山にはいろいろなリスクがあるのですが、受講生はリスクの存在を知らなかったと言えば、すべて引率者の責任に帰することになります。
講習会というのは、実はそのリスクを回避する方法を学ぶところのはずで、受講生も当然、そのリスクの存在を知っているから講習が成り立つはずですが、国に責任を認めさせるため、登山としてはありえないことを主張し、国は責任を逃れるためこれまた登山としてはありえないことを主張し、判決は原告、被告の主張から決するため、登山としてはありえないことが採択されています。
そのひとつが稜線の風下側に入る行為です。風下側地形に立ち入らない登山というものを考えられますか?稜線を特定するために測量しながら登るのが当然だという主張はさすがに採択されなかったので、測量は義務化されなくてほっとしましたが、登山としては雪庇の大きさの単純な判断ミス(講師も受講生も判断ミス)だと思うのですが、とっても複雑なことになっています。
講習がたたみの上の水練化することにより、その講習生が実際に下級生を連れていったときに事故をおこさないよう願うしかありません。
  1. 2007/03/15(木) 21:33:57 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

全体的には良い判決

>これで、稜線の風下側に入る行為は、少なくとも講習会では行えなくなります。
これは誤解では? 「吹きだまりに絶対はいるべきではない」という主張を原告はしていましたが、それをすべて判決は受け入れておりませんので。

むしろ、判決は、主催者側と受講者側のバランス、すなわち片方にすべての責任を負わせるようなことはしていませんので、講習会主催者側が、適切なリスク回避をしていれば、裁判所はそれをしっかり理解してくれるものだ、と感じました。

わたしは講習会を開催していますが、今回の判決によって、講習会自体が萎縮するようなことはない、と思っています。講習はやっていますが、当然、労山系ではありません。


>登山としては雪庇の大きさの単純な判断ミス(講師も受講生も判断ミス)だと思うのですが、とっても複雑なことになっています。
そうですね。雪庇の大きさの判断ミスと、休憩場所の選択ミス。だいたいなぜ雪庇が疑われるような場所で休憩するのだろう? というのが、わたしの最初の印象でしたので。

ただ、問題は、国もガイドも、ミスを認めなかった、だから裁判になった、ということではないでしょうか? 長い時間を掛けた事故報告書があのようなもので、よかっぺさんの息子が死んだら、それで納得できますか? 

それとですね、受講生も判断ミス、と書かれていますが、ミスをするがゆえに受講生は研修会に参加するわけですよね。そのミスを指摘するのは講師の役目、どちらもミスをしている、という書き方は、研修会そのものの意味をご理解されていないのでは? と感じますが。

わたしとしては部分的に、ちょっとなぁ、という面はありますが、全体としては、主催者も守る面を持つ判決となったという理解でいます。

では
  1. 2007/03/17(土) 07:34:55 |
  2. URL |
  3. jon #L9FLFt/w
  4. [ 編集]

RE:全体的には良い判決

実は私も少かなり昔に、この研修を受講したことがあります。山岳部の2年から3年になる時で、3年になったらリーダーシップとして下級生を連れていくことになるタイミングでした。雪山の2シーズンの経験を踏まえて参加しました。一応、春の剣方面に行くので、身辺は整理し、それなりの覚悟を持って参加しました。
研修はかなり自主性が尊重され、班毎の行動でしたが、ルートファインディングや休憩も基本的には自分たちで行いました。もちろん、ルートの取り方などの指示や指導はありましたが、ガイドが客を連れていくようなお任せではなく炊事ももちろん自分たちで行いました。雪庇があるということも知っていましたし、入山前の学習でも話がありました。当然、雪庇は避けるようにルートはとっていました。そういう状況で雪庇にルートをとり休んだとしたら、もちろん講師の責任が一番ですが、その班全体の目で見てそこは安全だと判断していたということではないでしょうか。
それと主催者の責任はまた別な次元の話だと思います。

私も研修会をやっていますが、講習会と勘違いされている方がたくさんおられます。研修のために必要な技術・知識がないのに参加される方が意外に多いのです。研修では受講生も自分の知識・技術の範囲ではミスをしない責任があると思います。
もちろん、その技術・知識に付加する部分が研修ですから、それについては貴兄の言われる通りと思いますが、そこが貴兄との考えの差かも知れません。
判決は、例年の大きさの雪庇を回避する手段をとっておれば事故を回避できたはずというように私は受け取りました。逆に言えば例年の大きさを避ければ事故があっても責任はないということで、登山者にとっては例年でなく今年のその場所の雪庇の大きさが自分の生死につながるのだと思います。その尾根上の各地点の例年の雪庇の大きさをどうして判断するかについては判決で触れていません。
従って私はこの判決により事故が減るということは期待できないのではと感じたということです。
裁判については詳しくないのですが、国もガイドもミスそのものを認めなかったのではなく、ミスについての責任を認めなかったというのが正しいのではないですか?ミスの原因は雪庇の大きさが例年よりおおきかったからだと主張しているように思いました。
  1. 2007/03/17(土) 11:37:07 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

RE:全体的には良い判決

こんにちは、よかっぺさん。

講習会と研修会の違いですが、わたしのやっている講習会は、クラスによっては、よかっぺさんのような研修会のようなスタイルになっています。研修生に先頭を歩かせ、講師はその後ろを歩きつつ、アドバイスなどをする、という感じです。

参加するレベルに到達していない方が参加される、というお話はよくわかります。わたしの講習会でも結構いますので。でも、もし問題があるレベルなら、下のクラスにいかせるなり、そのコースへの参加を止めさせるのが、主催者側の務めだと思っています。


講師はミスを認めたのでは? というお話ですが、事故報告書には、そのようなことは一切言及されていません。

>この判決により事故が減るということは期待できないのではと感じたということです。
同感です。結局裁判は、争点を中心に進みますので、実際に山で重要なことや、行われていることが、その公判の中で言及されないからだと思います。

判決の問題点については、下記ブログ記事がよくまとまっていると思います。
http://snowsense.blog9.fc2.com/blog-entry-99.html
  1. 2007/03/18(日) 12:15:29 |
  2. URL |
  3. jon #L9FLFt/w
  4. [ 編集]

RE:RE:全体的には良い判決

私の関わっている研修は営利目的ではないので、研修を受けに来ても、受けさせないということは可能です。コースが分かれていれば初級クラスにいれることも可能ですが、そうでない時はかなり心を鬼にしないと出来ませんね。結局、足りない知識を補いながら何とか受けさせるということになりがちです。全くの個人参加なら別ですが、明らかに送り出し側の組織が知っていると思われる場合もあります。
白帯の人間に黒帯をしめさせて、試合に出すようなものです。似たような判例で管理者側の責任を認めたものがありますが、送り出し側は責任は無いのでしょうか?疑問に思います。

ミスというと間違いやすいですが、転落の原因が吹溜りを含む雪庇上で無いと国が主張したのであれば、ミスを否定したことになりますが、それを肯定したのであれば肯定したことになると思われます。その判断を誤ったことに関しての責任の有無を争ったのが裁判だと思います。
また、今回の例年の雪庇の大きさを避けるべきだということは、稜線の風下側地形への進入を避けるべきだという判例になるような気がしますが、それも責任の有無を問うことに関しての判断ですから、この事故では例年の雪庇の大きさを避けた地点も雪庇上ですから登山行為としての風下側地形への進入は認めているともとれますので、どっちなのか良くわかりません。また、例年の雪庇の大きさの推定は落下しない吹溜りの大きさから推定されておりますので落下しない吹溜り部分の存在も認めているとも言えます。ご紹介いただいたサイトで否定されていますが、登行中の安全確保として庇部分の大きさを参考にすることがダメなことなのか、おおむね稜線の風下側にある雪稜の一番高い部分を行く行為がダメなことなのか、登山者として疑問に思います。稜線の風上側というのはクラストしていたり、岩や這い松が露出したり、そもそも傾斜しており、雪庇崩落のリスクはありませんが、雪稜上を行くことに比べると引っ掛けや滑落のリスクは相対的に高くなります。
登山はトータルリスクの管理ですから1つのリスクだけで行動の判断をしていないと思います。残念ながら裁判では事故の直接原因となったリスクに対する判断についての責任を問われます。現実に事故が起きていたらその判断は間違いとされます。屋久島の事故でもその場にとどまっておれば事故は回避できたと言っているのですが、その場が鉄砲水に対して安全な場所だったか、そこから安全なところに回避する方法としてどの方法が一番良かったかの確認は行われていないと思われます。
事故が起きたら、日本を代表する山岳団体が基金を持っており、原因究明にあたるというような中立的な事故原因の究明と対策の検討が行われなければ責任の追及と責任の回避のための空論で終わってしまい、むなしさを感じるのは私だけでしょうか?
  1. 2007/03/19(月) 20:26:57 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

お二方へ

よかっぺさま&jonさまへ。
まとめレスとなりますが、ご容赦ください。

お二人のやり取り、たいへん興味深く拝見しました。
いくつか思うところがありましたので、書くことにします。



まず、ミスについて。
裁判の争点は、ミス(=過失?)の有無だったと理解しています。
事故原因につながるミスがあれば、当然、責任を問われます。
国側は「まったく責任なし」という立場でした。
これは言い換えると「不可抗力であってミスはない」という主張だったと思います。
責任や過失の範囲や程度において争われたのではなく、「ミスの有無」が争点だったのではないでしょうか。
「ミスがあった→責任があるし、謝罪せよ」(遺族側)
「ミスはなかった→責任もないし、謝罪もしない」(国側)
簡単に言うと、こんな感じではないでしょうか。

受講生の責任について。
ある程度のリスクは知っていた、あるいは知っておくべきだと思います。
ですから、事故があった場合に、責任がゼロではないと思います。
ですが、そのリスクの知識や対処法を十分に知らないから、講習に参加するわけです。
そこで、講師がその部分を教えるのが講習です。
となると、やはり、すべてではなくても、講師側の責任は重大だと言わざるを得ません。

裁判・判決は、大体以上のようなことだったのだと理解しています。
ですので私も、おおむね良い判決であったと思います。



お二方のおっしゃるとおり、今後に生かす、と言う意味では、判決は不十分な内容だと思います。
また、「まず結論ありき」で作られた「事故報告書」も、同様だと思います。
争点をめぐって収斂していく裁判の性質上、やむを得ないことかもしれません。

ではどうすればいいのか?
責任論から離れた中立的な立場での原因究明と対策検討。
これが必要なのは言うまでもないことです。

これに当たれる組織・団体など、私には思いつかないのです。
現在の山岳雑誌などのメディアに、それはできていません。
また、講師の大半がプロガイドだったのですが、ガイド関連団体にも期待できません。
メディアに出ていたガイド団体関係者のコメントなどからも、これは容易に想像できます。
また、文部科学省主管の日山協や、特定政党と切っても切れぬ関係の労山。
これらにも、同様に期待ができないのです。。。

となると、新たにそういう組織を立ち上げるのか、もしくは個々人で考えるのか。。。
いずれにしても困難が伴いますね。。。
現存組織でいえば、レスキュー協あたりにやってもらうほかないようにも思うのですが、これも期待しにくいとなると。。。

和解は結構なことですが、その後のことを考えると、悲観的になってしまいますね。。。

  1. 2007/03/23(金) 13:50:14 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

公益法人改革の出番です

ミスというのはわかりにくいですね。
ボンバルディア機の車輪が出なかった問題も、故障はあったが無事着陸できた。胴体着陸の判断にミスはなかったということになります。着陸にはミスはなかったのです。これが着陸にミスして炎上したら胴体着陸の判断ミスを問われるかも知れません。(まあ他に方法がないでしょうが。)そして同型機はすべて運行停止になったでしょう。無事着陸できたので運行停止にはなりませんでした。同じ故障が起きても結果によってこのように変わってしまいます。

まあ、それは私の屁理屈とも言えますが、本題は現在進行中の公益法人改革です。公益法人改革になると日山協は文部科学省の主管ではなくなります。公益にはいろいろあって国の代わりにやるのも昔は公益でしたが、今後はまさに国民のためにやるのを公益というようになります。
つまり、日山協が公益法人になるということは、山岳会の集まりの集まりではなく、登山という分野において国民や登山者の利益を代表する団体になるということです。(もちろん、まだなったわけでもなくハードルは骨抜きにならなければけっこう高いのです)それを先取りして、保険業法の改正にも対応し日山協の山岳遭難・捜索保険の山岳登はんコースは従来日山協会員しか入れなかったものが、誰でも入れるようになりました。そしてその益金を登山者のための公益事業に投じようという形になりました。
そういう資金的な裏づけと、公益目的があれば事故の原因究明をする団体(委員会)の設置は不可能ではありません。
レスキュー協とか、国際救助委員会日本とかを母体に作れると思いますし、作るべきと思います。もっと専門家(学問的な意味で)を巻き込む必要がありますが。


  1. 2007/03/23(金) 22:20:09 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

Re:公益法人改革の出番です

よかっぺさまへ。

おっしゃるとおり、ミスと言うのは難しい面があります。
とんでもない結果を招いたものから、大事に至らなかったものや見過ごされているものまで、いろいろとあります。
また、結果との関係の濃淡も、状況によって様々ではないでしょうか。

原因究明と対策を、責任追及と分けて考えれば案外すっきりする部分もあるんでしょうが、なかなかこれが難しい。
つい、責任追及に走り出してしまう面があることを、忘れずにいたいと思います。
それはそれで大事なことですが、その後に生かすと言う意味では、足かせになることが多いのではないでしょうか。


さて、本題とされている公益法人改革。

>事故の原因究明をする団体(委員会)の設置は不可能ではありません。
>レスキュー協とか、国際救助委員会日本とかを母体に作れると思いますし、作るべきと思います。
>もっと専門家(学問的な意味で)を巻き込む必要がありますが。

この部分、同感です。
そういった方向に進んで欲しいと、私も思います。

が、●●省主管団体ではない任意団体、労山のように、すでに存在しています。
先のコメントでも触れたのですが、国主管でなくても、しがらみ(?)が存在するのは事実です。
骨抜きでなく高いハードルが設定されたとしても、なんらかのしがらみは残るのでは・・・と、一抹の不安はぬぐいきれません。

いずれにしても、今はまだ見守るしかないようです。
良いと思われる方向に進む可能性は、十分にあると思います。
若干の不安を抱えつつではありますが、期待をもって見守りたいと思います。
  1. 2007/03/24(土) 12:22:41 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

しがらみ・・・・

まあ実態は管理人さんの推察通りかも知れません。
文部科学省との間にしがらみはほとんどないと思われます。あるとすれば文科省が登山研修所の運営をできなくなったときでてくるくらいでしょう。
一番の問題は、登山と競技の分裂とか対立でしょう。いまは登山のお金で競技が行われています。UIAAとIFSCが分かれたように、分かれる可能性があります。分かれられないのは競技に金がなく、登山が文部科学省の管轄の競技団体だからです。これもしがらみかも知れません。
はっきり言って登山においては今は方向性が出せないでいる(何も前に進んでいない)のが実態で、こんなに事故が多いのに具体的な手は何もうてていないのが実態ですから、期待しろと言っても無理かも知れませんが、実態がなければ公益認定されませんからこれから変えなくてはなりません。
というわけで、気長に見守ってください。執行猶予は7年です。
  1. 2007/03/24(土) 23:31:18 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

人ありき

公益法人のお話ですが、まず人ありき、であろうと思います。この視点にいますと、日山協が母体になるというのは、無理のように思われます。なぜなら、団体が母体になるという流れでは、その母体内の社会力学、人間力学が働き、本当に適切な人間が、それに関わらない可能性がでてしまいます。少なくとも、大日岳の事故報告書には日山協の重鎮が関与しながら、あのような報告書になってしまっているのですから、それからも期待するのは難しいように思われます。

日山協にもし志ある人いるかもしれません。であれば、違った形態でそうした人が集約するほうがいいように思われます。また、レスキュー協についてですが、その団体云々ではなく、日本はレスキューの人の意見が強すぎるように思います。それは、事故後の遭対協のコメントを読むと、的を射ていない発言が多いにも関わらず、それが正しいかのように報道されていく現状からの感想です。レスキューに関わる人もone of themでしかない、という形態が必要であろうと思います。
  1. 2007/03/25(日) 06:49:07 |
  2. URL |
  3. jon #L9FLFt/w
  4. [ 編集]

RE:人ありき

国だって会社だってNPOだってみな団体ですし、組織です。重鎮が関与しているそうですが、それは組織や団体としてやっていることではありません。7万人の数人でしょう。
団体や組織だったらできないということは無いと思います。もちろん、人ありきでしょう。そしてその人は別に組織の中にいても、いなくても良いのです。
仮に日山協が公益法人を目指すとしたら、まず何でも自分でやらないようにしなければなりません。
例えば環境保全ならHAT-Jのような団体を支援するとかです。
日山協の遭難対策委員会を安全委員会に変えたいと思っているのですが、救助に対する思い入れの強い人が多くいてなかなか予防の方に注力できません。マスコミも(○鹿だから)遭難というとすぐレスキューや遭対のコメントを求めます。第3者に聞くのではなく、本当は指導や普及の人になぜこのような事故を野放しにしているのですかと質問してくれれば良いのですが?それからコメントというのは基本的にマスコミが作ります。1時間くらいしゃべった中から3分くらいにするのですからいくらでも編集できます。(反対の意味にだって編集できます)
何もしないことが良い場合もありますが、何もしなければ何も進まない場合が多いです。登山者の利益を代表するということは、非常に重い責任です。仲間同士でわいわい楽しく共益の方がはるかに気楽です。公益か共益か、変われるか変われないか?
ここ数年が勝負です。
  1. 2007/03/25(日) 23:14:33 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

再び お二方へ

よかっぺさま& jon さまへ。
まとめレスとなりますが、ご容赦ください。

一部意見の相違はあるものの、お二方のように考えていらっしゃる方がいること、とても心強く思います。

>まず人ありき、であろうと思います。
>人は別に組織の中にいても、いなくても良いのです。

お二方の、この2つの言葉。
同じベクトルだと理解しました。
私も同感です。

日山協であれなんであれ、組織のしがらみとはなれたところで考える、そういった人たちの集まりができれば一番いいのでしょうね。

>日本はレスキューの人の意見が強すぎるように思います。

言われて見れば、そんな気がします。
というか、言われるまでぼんやりとしか認識していませんでした。
確かに重要なものであることは疑いないかと思います。
ですが、多角的に見る意味からしても、「one of them」であることは大事なことでしょう。

>的を射ていない発言が多いにも関わらず、それが正しいかのように報道されていく現状からの感想です。
>コメントというのは基本的にマスコミが作ります。

ここも、お二人のおっしゃるとおりでしょう。
新聞、テレビは言うに及ばす、山岳雑誌に至るまで、そうなんではないかと思います。
マスコミ情報から遭難関係の話を書いている当方も、常に消化不良やジレンマが付きまとっている状態です。

>なかなか予防の方に注力できません。

対策と言うか予防と言うか、そこが一番大切な部分のように思います。
各団体や雑誌は「啓発」を掲げるところが多いのですが、やはり、この「予防」と言う部分が、これまで弱かったのではないでしょうか。
「警鐘を鳴らす」まではあっても、「だからこうしよう」というところまで、なかなか踏み込めなかったのが現実だと思います。

お二人のような方が、立場を超えて集まれるような、そういうものができればいいなぁ・・・などと思っています。

今回のやり取り、ずいぶん勉強になりました。
今後ともよろしくお願いします。

  1. 2007/03/27(火) 22:18:11 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

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