山道を行く

カラダとアタマと心。 すべて働かせるのが山の魅力でしょうかね。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

【事故報告書11】 雷鳥沢の雪崩事故で

遭難カルテ135でふれた、雷鳥沢の雪崩事故の件。
一昨日、雷鳥沢雪崩事故報告が公表されていると、とある人から教えていただきました。
今回はその内容について。

この報告書を書かれたのは、4人パーティー(うち、けが2人)のうちの1人であろうと思います。
混乱のした中での記憶に基づくものでしょうが、当時の様子をうかがい知ることができます。

ビーコン、シャベルなどの装備に関する詳細があればよかったのですが、個人が出された報告書のようですので、そこまで求めるのは酷かもしれません。


[反省と今後の対策]の項について。

>先行するボーダーを見たら安易に大丈夫だ、と各々が勝手に推測してしまって…

先行者を見て、雪崩はない、大丈夫だと判断した、ということでしょうか。
これ、自分でもやってしまいそうです。

先行者のトレースやシュプールがあると、無条件に「行ける」と思ってしまいがちです。
本来は、どういう状況であれば雪崩れるのか、先行者の有無とは別に判断する必要があります。
傾斜がそれなりにあれば、雪や天候の状態次第では雪崩れうる。。。。
事故があまり起きていないことも、安全の保障にはならない。
雪崩に関する知識は当然、先行者や過去に惑わされることのない判断が必要になってくるのでしょう。


>「・・たら」、「・・れば」「・・・どうなる?」と言う事を常に現場で考える習慣がなくては、また同じ事が起きるかも知れない

常に現場で考える。。。。。そのとおりですね。
漫然と行動していたこと、誰しもあるんじゃないかと思います。
そこに落とし穴があるかもしれない。。。。。。自戒を込めて、そう思うことにします。




>今回このような大きな事故に直面して改めて、山を楽しもうとする時、そこに潜む怖さと背中合わせだ、という事、また人は一人で生きているのではないと言う事もつくづく思い知らされました。誰にも迷惑かけずに自己責任で、と言う、思い上がった考えはとても社会性を得ているとは思えません。

末尾の近くで、書かれていた文章。
ずいぶんと身につまされる内容でした。。。。。
心しておきたい言葉だと思います。


スポンサーサイト

テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

  1. 2007/06/20(水) 19:44:54|
  2. 事故報告書
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:23
<<【日々是好日143】 決着は次回? | ホーム | 【日々是好日142】 梅雨入り>>

コメント

いつもこそっと拝見しております。
今回初めてコメント致します。

>先行者や過去に惑わされることのない判断が必要・・・
これは本当に難しい。というか、自分には出来ないんじゃないかと思っています。という事は、山スキーで入山した時点で、ある一定の確率で自分は雪崩に遭遇するという事なんだと思います。

それでもやっぱり、山での事故は絶対に起こしてはならない。
とても矛盾した事を追求しなければならない責任が、山屋にはあるんだなと思います。
僕は、「自己責任」とは「山で自分が起因する事故を発生させない責任」なんだと解釈しています。

失礼しました。
  1. 2007/06/21(木) 11:46:44 |
  2. URL |
  3. bigover #-
  4. [ 編集]

bigoverさまへ

bigoverさまへ。
はじめまして。

先行者や過去に惑わされることのない判断が必要・・・

おっしゃるとおり、これは難しい。
言うのは簡単ですが、実際にはむちゃくちゃに難しいと思います。
私自身も、正直なところ全く自信がありません。
ですので
>ある一定の確率で自分は雪崩に遭遇するという事
というのは、よく理解できます。

どうやったところで「完璧」や「100%」はありえないと思います。
ですが、それを心がけているのとそうでないのでは、違いが出てくるのではないか、と考えるわけです。
言い換えると、ごくわずかかもしれないけれど、確率が小さくなるのでは・・・ということです。

bigoverさまのおっしゃるところの「山屋の責任」。
少しでもその確率を下げる努力も含まれるのではないでしょうか。

>「自己責任」とは「山で自分が起因する事故を発生させない責任」

これに異論はありません。
私は、山に入る以上、自力で無事に下山してくることが最低限の責任かと思っています。
そのためにできること、しなければならないことは何か。
さらに、前もってできることは、やっておきたい。
おそらく皆さんがそう思っているんじゃないでしょうか。

不幸にも事故を起こしてしまったら、いろいろな人に様々な影響が出ます。
こうなったら、もう、自己責任の範囲を超えてしまうんだと思います。

まだまだ知らないことも多いですし、それだけに奥の深いものだと思います。
そこも魅力のひとつかもしれませんね。
  1. 2007/06/21(木) 13:53:00 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

事故はあるもの

「事故は絶対起こしてはいけない」という考え方を取る方がいるのは
尊重したいと思いますが、そっちに出口はないんじゃない? と思いますね。
だって「事故は絶対に起こりえる」が<現実>なんですから。


絶対に起こる理由は二つ。
偶発的な出来事はあり得る、ということと、人はミスをする、ということ。

常々思うのですが、「事故はあるもの」という出発点から考えたほうが、
ポジティブなことがいろいろ生まれると思うですよね。
それに、事故を起こした人を、まるで「ジョーカーを引いた人」のように
言うこともなくなるでしょうし。
簡単にいえば、明日は我が身、というだけの話。


こう書くと、事故があると多くの人が・・・・という話になる。
それと、これは別ですよね。
事故発生のメカニズムと、発生後の体制の話ですから。
ごっちゃにするとワケわからなくなりますので。


雷鳥沢の事故は、まさに「明日は我が身」かなぁ・・・と思いますね。
  1. 2007/06/21(木) 19:02:10 |
  2. URL |
  3. tokyo #QfNYz.PI
  4. [ 編集]

Re:事故はあるもの

tokyoさまへ。

bigoverさまと私のやり取りに関してですね。

>「事故は絶対に起こりえる」が<現実>
>偶発的な出来事はあり得る、ということと、人はミスをする

これは2人とも前提として分かっていて、その上での話だと思っています。

>「事故は絶対起こしてはいけない」という考え方を取る方がいるのは尊重したいと思いますが、そっちに出口はないんじゃない? と思いますね。
>常々思うのですが、「事故はあるもの」という出発点から考えたほうが、ポジティブなことがいろいろ生まれると思うですよね。

う~ん。。。そうでしょうか?
「起こしてはいけない」であっても「事故はあるもの」であっても、進む方向は同じだと思います。
「それでは自分はどうするの?」という方向へ進み始めた時点で、同じ道に入っている。。。。。
もし「出口がない」のであれば、入り口がどちらでも同じ。
個人的には、どちらも同じ出口を目指していると思います。

事故を起こしたヤツはケシカラン。。。。。
そちらに走るよりも「自分はどうしようか…」というのが、主題だと思いますが。。。。

明日は我が身。
おそらく多くの人がそう思っているんじゃないでしょうか。
むしろ「自分だけは大丈夫」となるほうが、危ない気がします。

人はミスをする。。。。。。私を含め、誰しもそうでしょう。。。。。
事故があったときに、どんなミスがあったのか。
そこで、それから何を学べるのか、それを考えたいのです。

また「偶発的」なものに当たってしまった場合、「運が悪かった」という意味においては「ジョーカーを引いた」となったりしませんかね。。。。

>こう書くと、事故があると多くの人が・・・・という話になる。
>それと、これは別ですよね。

別にして考えるという方法、それもあろうかと思います。
以前、この件(他人への迷惑論?)はコメント欄で議論が延々と続きました。
私の考えたことはそちらに述べてありますので、ここで改めて書くことは控えます。

ただ、分けずに考えたとして「それがあるから余計に気をつけなければ」と進むのであれば、それでいいと思います。

要するに、事故に遭う確率を(ゼロにはならないけれど)少しでも下げる努力を、というところでは一致するのではないでしょうか。
となると、これからどうすべきかが大事な部分であって、分けるか分けないかは、さして重要ではないと思います。


bigoverさまの考えは、ご本人の弁を待つしかありませんが。。。。



  1. 2007/06/21(木) 20:21:44 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

事故は事故?

「起こしてはいけない」から発想しても「事故はあるもの」から発想しても、あまりできることに差はないように思います。
ただ、「事故はあるもの」からスタートすると、だから何をやってもムダさというような考えに陥る人がでてくるのが少し気になります。
たとえ、他人のトレースを使う時でも、何も考えずに使うのではなくそのトレースをひいた人がどうしてそこにひいたのか、何を考えながらひいたのか、とか自分ならどこにひくかと考えながら登るという手もあります。
そして自分の理想とするトレースと、いまあるトレースのリスクを比較するといいかも知れません。その時のリスクには時間もいれないとダメですが。

「事故はあるもの」だから「事故は起こしてはならない」そのためにどうするのというところが大事なのではないでしょうか?そこは管理人さんと同じ意見です。
こうして考えているみなさんは全く考えずに運だけで登っている人よりはるかに事故にあう確率は低いと思います。
  1. 2007/06/21(木) 23:37:32 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

Re:事故は事故?

よかっぺさまへ。

>「事故はあるもの」だから「事故は起こしてはならない」そのためにどうするのというところが大事なのではないでしょうか?

最後はそこに尽きるんじゃないかと思います。
簡潔にまとめていただいたようですね。
ありがとうございます。

「事故はあるもの」から出発した場合、ご指摘の点が要注意だと、私も思います。
一方、「起こしてはいけない」から出発した場合は、犯人探しの状態に陥ることに注意が必要かと思います。
注意すべき点をはらんでいるという意味では、どっちもどっちですかね。。。

いずれにしても、この件に関してはtokyoさまの言葉を待つことにします。



他人のトレースを見て考えること。
日々是好日104(http://yamayakenta.blog51.fc2.com/blog-entry-286.html)で触れた、中ア・千畳敷。
冬によく行くのですが、浄土乗越へ向かう先行者のトレースを眺めて、それをたどるかどうか考えるようにしています。
「うわー、あんなとこ行ってるよ・・・」なんてこともありました。
そんなときはラッセルして自分のイメージしたトレースをつけることになります。
もちろん、千畳敷に詰めている遭対協の方に意見を伺ったりしながらですが。。。。

そこに行った時にはできる。
でも、いつでもできているかといえば・・・かなりアヤシイ。。。

いろいろな場面でそれができるように、そういった努力が必要なんでしょうね。。。。
  1. 2007/06/22(金) 15:50:51 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

「事故を起こしてはならない」から入ると、
ネガティブな視点が生まれやいのでは? と感じております。
結果、ご指摘の「どのようなアプローチが良いのか?」と
いう話にならないケースをいくつも見ています。


簡単に申せば、事故はあり得るが前提ですし
誰でも起こしたくないのですから、あえて
「事故を起こしてはならない」という文言を
議論の巻頭にもってくる必要もないのでは? と
いうところです。

「それは皆さん、すでによくおわかりのことでしょうし・・・」と
いう感じですね。ですから、あえて言う必要も
ないでしょう、というところです。


また、事故はあるもの、という出発点にいれば、
事故に遭った後の生存率向上という面から
ビーコンを持ったほうがいいね、ということも、
比較的すんなりと話が展開するのではないでしょうか?

起こしてはならない事故を起こしてしまった・・・・・という
出発点からスタートしますと、そうは簡単に話が進みません。
「大丈夫だと思っていたのに」「これまで起きたことがない」
「ベテランが豊富な経験を元に判断した」・・・・・などなど。
こうした話の展開はよくありますし。

では
  1. 2007/06/22(金) 17:02:20 |
  2. URL |
  3. tokyo #QfNYz.PI
  4. [ 編集]

やっぱりこういうネットでの議論は難しいですね。

はじめ僕がびっくりしたのは「絶対に事故を起こしてはいけない」と述べることが、ポジティブな発想に繋がらないと理論されてしまった事です。
「事故はあるもの」からスタートしたほうが、人によっては「運が悪かった」や「人はミスする」で片付けてしまい、そっちの方がネガティブなんじゃないのと思いました。(ここでコメントする方々はそんな事はないと思いますが)
ですが、皆さんのコメントを読むほどに、信条的なものと技術的なものとは分けて考えないと混乱するのは当然だと気づきました。
僕の舌足らずのせいで、誤解を生んでしまいました。
反省してます。

僕のコメントでの真意はこうです。
僕は、山登りは車社会に似ていると思っています。
社会や自分がどんなに万全を尽くしても、残念ながら事故は起こってしまいます。
それでも普段車で出かける時、自分は「絶対に事故を起こしたくない、会いたくない」と願うのは誰もが普通に思う事です。
僕が今回「絶対に事故を起こしてはいけない」と言ったのは、そんな心情的なレベルの思いから出た言葉でした。
技術的な出発点ではなく、人として山に入る時の素直な信条としての出発点です。
でもこれって登山をする上で、僕は一番大切な事だと思っています。
山にしろ車にしろ、取り組み姿勢や心がけの持ち様は重要だと考えています。

車社会では法規がありそれを基にした施設があり、また起きた事故の発生時から処理までの対応もある程度確立しています。(偶発的なものに対しても)
しかし、登山文化がまだ未成熟な今の日本社会では、何も確立したものを持っていません。
偶発にしろ人為的なものにしろ、登山にはそうした事故が起こる事を、やる者は無条件に受け入れなければならないと思っています。
だからこそ、自身の経験や体験談/世間で起こった事故を教訓に思考を巡らし、自ら事故を起こさないようしなければならないんだと思います。
怖いのは何らかの理由をつけて、思考停止してしまう事だと思います。

我々は自然に対してほとんど無知でありますが、それでも無知である事に甘んじてはいけない。
でも、いくら検証しても配慮しても、登山は「明日は我が身」と打ち震えながら行く出口の見えない行為です。
こうした議論はとかく不毛の議論となりがちですが、それでも諦めずに粘り強く話しして行く必要があるんだと思います。

僕らは既にジョーカーを持っている。
でも、残り札がジョーカーだけにならないようにするにはどうしたらいいかを考える。
僕は僕の登山行為をそう考えています。
それ故に、僕にとっても登山界にとっても、このHPは意義あるものだと思っています。

それでもやっぱり、晴天で先行シュプールがあれば、僕は行ってしまうんだろうと思います。

説得力ありませんよね、長々とすみませんでした。
  1. 2007/06/22(金) 20:17:47 |
  2. URL |
  3. bigover #-
  4. [ 編集]

tokyoさまへ

tokyoさまへ。

おっしゃること、以前より少し分かってきました。
ただ、やはり、どちらでも良いのでは…とおもいます。

お書きになられた内容をざっとくくると。。。。
①「事故はあり得る」が前提。
②そして「起こしてはならない」は「すでによくおわかりのこと」。
③「起こしてはならない」からはネガティブになりはしないか。
こんな感じでしょうか。



ちょっとした例文を作ってみました。

【事故を起こしてはならない】
 自らを起因とする事故を起こしてはならない。
 そうならないために、何ができるのか考え、実行に移す必要がある。
 しかし、事故自体は完全に防げるものではない。
 事故を起こさぬための研鑽と同時に、事故に遭遇した場合の対策も立てておく必要がある。

【事故は起こりうるもの】
 いかなる場合でも、事故は起こりうるものだ。
 となると、事故に遭遇したときの対策は不可欠である。
 一方、完全ではないが、自らが起因となるような事故を防ぐ手立てもある。
 同時にそちらの方も考慮しなければならない。


ざっとまとめると、こんな感じになろうかと思います。

「起こしてはならない」と「起きうるもの」、いずれも「前提」であり「それは皆さん、すでによくおわかりのことでしょうし・・・」という感じだと思います。
「あえて言う必要もない」ということであれば、やはりどっちもどっちかなぁ…と思います。
また「生存率向上という面から」のアプローチも、上記の例文であれば、両方ともクリアできていると思います。



>「事故を起こしてはならない」という文言を議論の巻頭にもってくる必要もないのでは?

え~っと。。。。。。。。。。。。。。
まず、私の立場は冒頭に書いたとおり、「どちらでも良い」です。
以下はそれを前提にお読みください。

最初のコメントを頂いたbigoverさまは、
>山での事故は絶対に起こしてはならない
と、確かにお書きになっておられます。
これが今回の「起こしてはならない」の初出ですが、その前に
>スキーで入山した時点で、ある一定の確率で自分は雪崩に遭遇するという事なんだと思います。
とも書かれています。

となると、巻頭はむしろ「起こりうる」ではないでしょうか。
次に「起こしてはならない」が出てくるのは。。。。。。

「議論の巻頭に」という部分が、ちょっと違うんじゃないかなぁ…と思いますが、いかがでしょうか。



「起こしてはならない事故を起こしてしまった・・・・・という出発点」
ここから始まったとしても、
なぜそれが起きたのか、その原因は?それを自分にフィードバックするには?という方向に進めば、それでいいと思います。



「どのようなアプローチが良いのか?」という点が重要であることは、お書きになられたとおりです。
いずれから入ろうと、注意しておく点はあります。
「起こしてはならない」から入った場合は、ご指摘のとおり。
「起きうるもの」から入って場合には、よかっぺ様のご指摘の点です。

以上からしても、やはり、どちらでもいいと思います。



お書きになられた文章を読み返していて気づいたのは、出発点は多少ズレているけれど、向かおうとしている方向は同じなんだろうなぁ。。。。と思いました。
そこにズレがなければ、いいのではないでしょうか?




  1. 2007/06/22(金) 20:20:28 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

Bigoverさまへ

Bigoverさまへ。

>僕が今回「絶対に事故を起こしてはいけない」と言ったのは、そんな心情的なレベルの思いから出た言葉でした。

そうなんじゃないかなぁ…とも思ったのですが、これはご本人にしか分からない世界かもしれないと思い、この部分には触れることは控えていました。
今回頂いたコメントを読んで、すっきりしました。
こちらが発言を促すような書き方をしたため、無理をなさったというのであれば申し訳ありません。

おっしゃるとおり、「ありうる」から入っても、ネガティブになりうると思います。
ですので、どちらから入っても・・・・と考えているわけです。

>取り組み姿勢や心がけの持ち様は重要だと考えています。

これがきちんとしていれば、それでいいのではないでしょうか。
そこから考えたり議論したりすることが始まるんだと思います。

>技術的な出発点ではなく、人として山に入る時の素直な信条としての出発点

心しておかないといけませんね。。。

今回頂いたコメント、かなり長いものですが、よく分かりました。
また、これぐらい長くなければ、伝わらないのかもしれません。

読んでいて、少し整理が進みました。

心情(信条)から入ったのであれば、実行に移すには技術的なものへ進まなければならない。
技術的なものからはいったとしても、その根底には心情(信条)がある。

そういうことなんでしょうね。




>こうした議論はとかく不毛の議論となりがちですが、それでも諦めずに粘り強く話しして行く必要があるんだと思います。

ネット上の議論の難しさ、私も何度か直面しましたが、積み重ねていくことで少しずつほどけていく部分があると思います。
同じ意見の人がいれば、そうでない人もいます。
時には、どこまで行っても平行線だったりしますが、自分と違う意見に触れることで見えてくるものもあると思います。
少なくとも、コメントを残された方は、見解の相違を超えて、思考停止に陥らぬよう足掻いているのではないでしょうか。
また、「粘り強く話しして行く必要がある」という点も共通しているものと思います。



私も知らないことがまだまだ多く、いろいろな方に教えられてばかりです。
こんな拙い場末のブログですが、私個人にとっては大きな意義があります。
また、それを共有してくださる方がいることは、素直にうれしいものです。
当然、異論のある方も含めて、です。
まあ、「登山界にとっても」というのは、かなりオーバーな気がしますが(笑)。


初めて頂いたコメントが、結果的に議論の着火点(?)になってしまいました。
ですが、こんなブログでもよければ、これに懲りずに、またご意見をお寄せください。


(う~ん。。。。。一番文章が長いのは。。。。オレか。。。。)
  1. 2007/06/22(金) 21:07:51 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

bigoverさま、tokyoさまへ

私もよく山の事故と、車の事故を比較して考えることがあります。
車を運転するとき「事故を起こさないように」と考える時は、自分から事故を引き起こすような運転をしないようにという意味ですが、車は乗ったときから事故の可能性は始まるわけで、厳密に言えば「事故を起こさないように」と考えるなら乗ってはいけないということになるので、そういう意味では「事故はあるもの」ということからスタートが良いのかも知れません。

日本の車社会が本当に成熟しているのかは、少し疑問があります。ほんの少しイギリスで車を運転してきたのですが、歩行者も含め法律以外の自己責任というものが日本よりはるかに大きく感じました。
イギリスの一般道では50マイル(約80キロ)制限でした。両側に石垣のあるかなりせまい道でもそういう制限なので、危なくないのかと聞いたら、自分で危ないと思ったら自分で速度を落とすのだと言われ日本と発想が違うと感じました。もちろんイギリスでも町中や学校のそばなど30、40マイルのところもあります。日本では国が60キロまで出しても良いと許可しているととらえますが、イギリスでは自己責任で80キロまで出してよいととらえるようです。
歩行者も車の走っていない道で赤信号で待っている人は少なくどんどん渡ります。
自己責任ということが、日本よりはるかに徹底していると思いました。(わずかな経験ですし、知り合いに聞いただけですので本当に本当かは検証していませんが。)
この自己責任をどうとらえるかが、今回の議論にも影響しているような気がします。
何に重きを置くかによって主張は変わるでしょう。どちらが正しいかということではなく、読者は自分が考えやすいアプローチで考えていただければ良いなと思います。
  1. 2007/06/24(日) 22:42:08 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

こんにちは、よかっぺさん

>自分で危ないと思ったら自分で速度を落とすのだ
自己責任というより、当事者の判断を尊重している、という感じですね。
事故は起こしたくないだろうし、自分で自分の技量を考えているだろ、と。

とはいえ、規制があるところでは、日本より遙かに厳しいはずです。
北米ですと、町と町の間はいいのですが、そのタウン境界内に入った途端、
速度表示がグンと下がります。まだ、大丈夫だろう、と
思ってスピード出していると、すぐ捕まります。
パトカーもそういうところで待ちかまえています。

それはハイウェイの工事現場も同じです。
速度規制は非常に厳しい。
日本のように、高速道路上で作業している脇を
規制速度超えてバンバン車が走っている風景は
あちらの人には驚愕の世界のようです。

これはスキー場内でも同じで、スキー場下部で、多くの人が
合流してくるようなコースは、スローゾーンがもうけてあり、
スピード出していると、すぐパトに捕まります。
実際、そうしたところでパトロールはウォッチしており
それが、事故発生率を下げるリスク管理方法になっています。

上記3つの事例にすべて共通しているのは、
パブリックな空間において、弱者と思われる人が混在する領域では
そうした人を守ることに注意が払われ、
そうのような場所でなければ、当人の自己判断を尊重する
という方向にあるかと思います。

ご自分で注意してやってくださいね、という感じですね。
ですから、スキー場から外に出る時の看板も
your own riskという形態。リスクを知っていますよね? と。
つまり、事故はあり得ますけど、おわかりですね、と。

そして、リスク受諾で外にいくのだから、当然その時点で、その結末(責任)も
ついてきますから、あえてそこで責任(responsibility)という言葉は
でてこないわけです。
織り込み済み、ということですね。


事故はあるもの、から出発したほうが
事故を起こした人にやさしく接することが
できるとわたしは思います。
  1. 2007/06/25(月) 18:10:34 |
  2. URL |
  3. tokyo #QfNYz.PI
  4. [ 編集]

さすがtokyoさん

さすがtokyoさんですね。
なかなか良く整理されていますね。

カナダでハイキングの道から登山道へ変わるところにも your own risk と看板に書いてありましたよ。
もっともそう言いつつもちゃんと登山計画が受理されていれば無料で全力をあげて救助してくれます。

日本では滑降禁止とか、立入り禁止なんて看板になったり、あるいは全く表示がなかったりですね。
そういうところで事故をおこせばまるで犯罪をおかしたように見られます。

そのくせほとんどの車がスピード違反をしていても全く平気な国です。なんか、変ですよね。

  1. 2007/06/26(火) 20:27:34 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

リスクや責任といったものに対して、とらえ方(考え方?)が欧米と日本では違うようですね。
私自身、あちらのことはほとんど何も知らない状態ですが、頂いたコメントからそんなふうに思いました。

もし仮に「あちらの方法が正しい」とします。
そうであったとしても、現状からすると、そのままそれを当てはめるのには、無理があるように思います。
性急に変わるものでもないだろうし、、、、、。
となると、どうしたらいいんだろう???

換えていかなくてはならない部分もありますし、現状に即した道を探る必要もあると思います。
さて、どうしたものやら。。。。。
  1. 2007/06/27(水) 02:20:26 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

正義はないと思います

>もし仮に「あちらの方法が正しい」とします。
どちらが正しい、という立ち位置にいないほうがいいかと思います。
このような倫理とか価値観に類する話は、どちらが正しいか? という形態で
話を始めると、収拾つかなくなりますし、議論をしても
結局は、単一の答えなどないわけですし。


どちらが……という二者択一的な考え方ではなく
どちらも存在しうる、という感じかと思います。
片方にしなければならないような話でもないと思います。
むしろ混在することが許されるべき、であろうと感じます。

どちらがよりベターなのを丁寧に語るだけかと思います。
人は感情の生き物ですから、必ずしも
ベターな選択肢を取るとは限らないわけですしね。
それもまたそれ。


以下、蛇足ながら・・・
責任というのは事後の話なので、事故が発生した後にいろいろいっても「遅い」わけです。
事故を減らしたいなら、現場での判断プロセスを賢いものにしていくしかない、
であるならば、当人がどのように判断を下したのか、
その人の考えを「尊重」しながら、そのプロセスを追わない限り、
ヒントとなるポイントには到達できない。


雪山での事故に限らず、なんでも自身のミスを認めるのは
難しいものですからね。事実に向き合うことが難しい状況で、
「なんだおまえ事故起こしてみんなに迷惑かけて・・・」という言葉が
一体、何の足しになるというのでしょうね? 理解不能です。


事故はあるもの、明日は我が身・・・であれば、自身を当事者に置き換え
追体験するように、判断プロセスを追う・・・そうした作業があって
始めて、事故は教訓となるのではないでしょうか。

ここまでの課程で、責任、という言葉は必要ないですね。
だから、自己責任という言葉は、事故の内容を考える際には必要ないのです。

事故に対する当事者の責任は、救助頂きましてありがとうございます、という感謝の言葉と
掛かった費用の支払いによって、きちんと遂行された、と
考えるのが自然なのではないでしょうか?
そこが自己責任のあり方でしょう。


よって、その人の判断を尊重する、というベクトルのほうが
結局は、事故に向き合う機会を増やし、対象をしっかり見ることができるので
事故を減らしていくことになると思っています。

「山での事故は自己責任だ!」と怒鳴ってみても
その入口にも立てない、と思います。

ではまた
  1. 2007/06/28(木) 17:03:53 |
  2. URL |
  3. tokyo #QfNYz.PI
  4. [ 編集]

RE:正義はないと思います

前半の二者択一のところは全く同感です。

多少ちがう例えになりますが、軽量にしてスピーディーに行動する方式を採用するか、重装備にしてじっくり登る方式を採用するかは自由と思います。仮に軽量パーティーが事故を起こした時、その軽量を非難しても解決はないと思います。軽量を前提にしてなぜ事故に至ったかを検証することが事故防止につながります。軽量が正しいか重量が正しいかでは対策にはならないと思います。

後半の部分はこういう考えも成り立つのかと思いますが、これは日本語のあいまいさかとも思いますが、自己責任というのは、事故に対する責任のことを言っているのではないと思います。
責任は後からというtokyoさんの文章からは事故の責任が自己責任と言っているように思います。

自己責任というのは、計画をたてるところから実際の登山までのいろいろな判断や決定を自分の責任で行うという意味で使っている例が多いと思います。従って、事故に至るまでの判断、決定を自己責任で行っているのだから、事故が起きても他人の責任にできない、自己責任ですよということだと思います。決して相手を非難するための言葉でもなければ、他人が声高にいうものでもないと思います。

ですから先行の第3者が故意に、あるいは不注意で起こした落石による事故などは当人の自己責任による部分はほとんどないと思います。
山での事故は自己責任と本人が思う=自分自身の責任で判断し決定し登山する、という自覚がなければそれこそ事故対策などできないというのが私の立場です。

事故はあるもの、だからあなたのひとつ、ひとつの判断や行為が重要なのですよ。そこのミスが事故につながるのですよ。山には客観的な危険(リスク)は一杯ある。そこで事故を起こさないのは自分自身の判断や行為のレベルをあげて主観的な危険(リスク)をいかに下げられるかですよというのが私の立場です。だから登山は永遠に勉強であり、研鑽であり、だから面白いのだと思います。
  1. 2007/06/28(木) 22:18:02 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

Re:正義はないと思います

>どちらが……という二者択一的な考え方ではなく
どちらも存在しうる、という感じかと思います

そうかそうか、と、すとんと落ちた気がします。

ただ、後半部分については、私はよかっぺさまと同じです。

>「なんだおまえ事故起こしてみんなに迷惑かけて・・・」

これを他人に向けて発するのではなく、自らに向けてというのであればいいと思います。
他人に向けた場合には、おっしゃるとおり何の役にも立たないと思います。
bigoverさまが書かれたとおり、自らの信条としてという出発点は、やはり否定できませんし、私もそう思っています。
よかっぺさまの言うところの「決して相手を非難するための言葉でもなければ、他人が声高にいうものでもない」といったところでしょうか。

>事故に対する当事者の責任は、救助頂きましてありがとうございます、という感謝の言葉と掛かった費用の支払いによって、きちんと遂行された、と考えるのが自然なのではないでしょうか?

そこのところで見解が割れるのはなぜか。
おっしゃるとおり、人間は感情の生き物です。
「考える」だけであれば、感謝の言葉と費用支払いだけで解決するという考え方もあろうかと思います。

一方で、「思う」という部分があります。
たとえば、家族を含む周囲の人のこと。
自分に子供ができてから、「気をつけなけりゃ」という思いが、かなり強くなりました。
「家族に迷惑をかけるわけにはいかんなぁ」と、思うわけです。

スタートとしては、その感情がある。
事故事例から学ぶ、という姿勢もそこから生まれてくるもの。
そこまでは、問題ないと考えます。
また、「事故はあるもの、明日は我が身」というのは、皆さん、前提になっていると思いますよ。
これも事例から学ぶ一因でしょうから。

迷惑や責任の話は、見解が割れることが多いですね。
人の数だけある、に近いものかもしれません。

とはいえ、事例を分析、考察し、教訓を得る際には、「感情」ではなくて「思考」で当たるべきですね。

いずれにしても、よかっぺさまの末尾の文章が、私には一番しっくり来ました。
登山を続けるのは、「永遠に勉強であり、研鑽であり、だから面白い」からなんでしょう。
  1. 2007/06/28(木) 23:31:11 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

鶏と卵と国民性

事故は起きるものか、はたまた、起こさないものか?

どちらも、解決策を投げだしてしまわない限り、同じ方向を向いているように感じます。事故を起こすな!と思っても、「事故は起きるもの」と考えて対策を立てておかなければちゃんとした対応は取れませんし、一方で事故は起きるものだと考えても「じゃ、しょうがねえや」で起こさないような対策をさぽってしまっては危険極まりない。鶏と卵の関係でしょうか。

じゃ、社会が規制すればいいのか、それとも本人の自主性に任せればいいのか、は社会性や国民性の影響を受けるのでしょう。日本はどちらかというとルールを重要視して、社会が個人を守ってくれると思っている社会だと思います。だから、規範を乱さない限り安全で問題はない。逆に規範を乱そうとすると圧力がかかる=窮屈極まりない。(多分に最近はその安全も崩れている気がしますけど)
一方、米国などでは自分の身は自分で守る社会。自己の判断で安全を守るという意識が強いのではないかと。(こちらも最近は社会的なルールと安全の必要性が認識されていますね)
これは郷に入れば郷に従えで動くしかないように思います。
例えば、道路の歩行ひとつでも、東南アジアから南アジアにかけてでは車優先で、車が歩行者を見て止まってくれるなんてことはありません。日本の感覚で歩くとまず弾かれますね。
一方、東アジア、特に日本まで来るとたとえ道路の真ん中を歩行者が歩いていたとしても周りの自動車が止まったり、避けてくれる。
社会ルールの違いなんだと思います。

そこで、「俺は自由だ!」と叫んでもドン・キホーテにしかなれないかもしれませんね。
  1. 2007/06/29(金) 11:30:39 |
  2. URL |
  3. おーの #rmbFb8ac
  4. [ 編集]

RE:鶏と卵と国民性

車の運転については、法規も少しずつ違いますので郷にいれば郷に従えで良いと思いますが、山登りも同じでしょうか?

単一の山岳会、それも比較的伝統のある会ですと、基本的な山登りのスタイルが同じです。
最近は、個性の尊重とかで、そうした中でも違いが出てきています。
最近の山岳会は、最初から多様性とか言って、てんでバラバラな会もありますが、まだ例外でしょう。
そのスタイルが自分の価値観に近いから活動を続けるのでしょう。あるいは会でなくとも一緒に登る仲間とは、どこかで価値観が通じるものがあると思います。
それが正しいかとか、間違っているとか議論しても始まりません。この指とまれ型の登山や、単独行は事故が多いから間違った登山法だと言っても何の足しにもなりません。そのスタイルの中でどうやったら事故が減らせるかを考えることの方が有効です。
もちろん、初心者でどのようなスタイルがあるのか良く知らない人たちには、いろいろなスタイルがあることを知らせる必要はあるでしょう。
その自分のスタイルを習熟するとともに、どういうスタイルで登るのかを明らかにする。これが計画書になると思います。
計画書はその登山のルールにあたるのかも知れません。
  1. 2007/06/30(土) 15:13:32 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

RE:鶏と卵と国民性

おーのさま&よかっぺさまへ。

まとめレスとなりますが、ご容赦ください。

入り口が違っても、その後の「対策は?」という道が同じならば、話も進められると思います。

対策を考える際に、現状を踏まえて、という要素は欠かせません。
ルールや自己責任などについてのとらえ方や意識が、日本と米国などは違う。
おーのさまは、そういう意味で、「国民性」という言葉を使ったのかな、と思います。
その辺りが違う以上、欧米のルールや考え方を、スポッっと日本に当てはめるのには、無理がありますね。
じゃあ、どうするの?というところが、なかなか答えが見つかりません。。。。

山に向かうスタイル、いろいろあっていいでしょう。
すべてに共通するリスクも当然ありますから、まずはそれを理解する。
続いてそれぞれのスタイル固有のリスクも存在することを理解する。
そういったことを考えたり、周知したり、または議論したりといった作業を積み重ねるほかはないのではないかと。。。。。


ただ、営利・非営利を問わず、「この指止まれ」で「連れて行ってもらう」を繰り返す人に、その意識が希薄なんじゃないかと、個人的には思います。
引率する側がすべて背負うとなれば、かなり重い。。。

>計画書はその登山のルールにあたるのかも知れません。

同感です。
いかなるスタイルであっても、やはり、そこから始まると思います。
そこからいろいろなことを想定するわけですから。。
個人的には、計画を立てているときが、一番楽しいうちのひとつです(笑)。

連れて行ってもらう人、大半は計画に乗っかって行くだけではないでしょうか。
となると、そういう人はどうしたらいいのか・・・・・・難しい問題ですね。。。。
  1. 2007/07/01(日) 00:49:18 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

>日本はどちらかというとルールを重要視して、社会が個人を守ってくれると思っている社会だと思います。だから、規範を乱さない限り安全で問題はない。
のように、信じ込まされているだけかも知れませんよ・・・。

ルールというより、社会規範の縛りが強い傾向がある、
という感じに思われます。
郷に入っては・・・という言い方もできますが、
島国根性という閉鎖性と表現することもできるでしょう。

ただ、こうした縛りが作る均一性(出る釘は打たれる)を是としたら
先鋭的登山、などといった領域は
まったく存在できなくなってしまいますからね。

言い換えれば、かなり登山に打ち込んでいる人であれば、
そうした社会的な縛りに対して、かなり違和感を感じているのでは
ないだろうかなぁ、と思う次第です。


ただ、こうした文化的なものは、先の価値観と同様、
単一ではなく、ごった煮であるのが普通ですので
単純化して語るのは、あまり好みません。
  1. 2007/07/01(日) 19:20:06 |
  2. URL |
  3. tokyo #QfNYz.PI
  4. [ 編集]

連れて行く計画

連れて行ってもらう人、大半は計画に乗っかって行くだけではないでしょうか。
となると、そういう人はどうしたらいいのか・・・・・・難しい問題ですね。。。。

この場合、連れて行く人が計画をたてるはずです。たてない人は論外とします。
その計画に、いろいろなリスクを織り込みます。1人が体調が悪く遅れたらどう対応するかとか、ねんざしたらどうするか・・・そうすればここまでは対応できるけれどこれ以上は対応できない、あるいは最初から対応できないというのが見えてきます。
連れて行ってもらう人にその計画を見てもらい、その対応で良いなら行くというのはどうでしょうか?何とかしてもらえると思ってついていくのでしょう。してもらえないとわかったら少しは考えるのではないでしょうか。そして連れて行く人がそういうことを考えればそれが事故の予防につながるのではないでしょうか?

ただ、こうした縛りが作る均一性(出る釘は打たれる)を是としたら先鋭的登山、などといった領域は
まったく存在できなくなってしまいますからね。

たしかメダカの実験というのがあって、メダカの群れは全部が同じ向きを向かない。必ず違う方を向いたのがいるそうです。その違う方を向いたのを取り除くと必ずまた違う方向を向くのが現れるそうです。
縛れば縛るほど先鋭に走るのがでてくるのではないかと思います。

などと言っているうちに昨年度の遭難は過去最悪と発表されましたね。これは、毎年、この時期に行われる全国山岳遭難対策協議会にあわせて発表されるもので、今年は5日から富山で行われます。よかっぺも出席します。宿泊はアパホテル。ここは大丈夫だったのかな?会場は自遊館。形だけという批判もありますが、まじめに議論されています。ただ、それを行政につなげることができないのが問題で、行政によるガス抜きではなどと言われてしまいます。
  1. 2007/07/02(月) 00:05:27 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

Re:連れて行く計画

連れて行く人が計画を立てる
→それを連れて行ってもらう人にみてもらう
→連れて行ってもらう側も考える

「連れてって」型。
おそらく、これまではそういったプロセスを踏んでいないケースが大半だったのではないでしょうか。
やはり考える作業を経ずして、先はないように思いました。
連れて行く側は当然、連れてってもらえる方も、です。


縛りたい
→縛れば縛るほど先鋭に走るのが・・・
→再び、縛る動き
→再び、縛れば縛るほど先鋭に走るのが・・・

これ、無限の連鎖になりそうですね。。。
まあ、人間ですからそうなんでしょうね。


昨年の遭難、過去最悪の報道、何件か出ていましたね。
単なる統計なら、もう少し早く出てもいいとは思いますが。。。。
全国山岳遭難対策協議会。
ご苦労様です。
行政の動きにつながらないなど、ジレンマはあろうかと思います。
ただ、真剣な議論を積み重ねていくうちに、少しでも何かが動き出すきっかけになることもあるんじゃないでしょうか。
そういった積み重ねをしている人に、私自身は敬意を持ちたいと思います。

また、会議の内容など、よろしければ教えてください。
  1. 2007/07/02(月) 02:16:09 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://yamayakenta.blog51.fc2.com/tb.php/359-af6da4d9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

K・T

Author:K・T
山ヤのつぶやき。脈絡はないかも…。
 
~~~~~ メニュー ~~~~~
【日々是好日】
  日記のようなもの
【山日記】
  山に行った記録
【遭難カルテ】
  遭難事故から何を学ぶ?
【事故報告書】
  学ぶことの多いものです
【危険回避の道】
  よりリスクを減らすために
【道具を語る】
  山道具のあれこれ
【山の写真集】
  新旧織り交ぜて掲載予定
【子連れに挑戦】
  我が家的ノウハウです
【自己紹介】
  ごく簡単なものです

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

カテゴリー

月別アーカイブ

ブログ内検索

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター

フリーエリア

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。