山道を行く

カラダとアタマと心。 すべて働かせるのが山の魅力でしょうかね。

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【遭難カルテ146】 日光白根山で男性死亡

【概要】
3日午後7時ごろ、群馬、栃木県境の日光白根山(2577メートル)に4人のパーティーで登った横浜市泉区の派遣社員男性Bさん(29)から、「仲間の1人が体調を崩し、下山できなくなった」と群馬県警沼田署に110番で救助要請があった。この男性と神奈川県藤沢市の会社員男性Cさん(31)、同県大和市の会社員男性Dさん(30)は3日夜、自力で下山したが、群馬県警谷川岳警備隊員が4日朝から、行方不明になった横浜市泉区和泉町の会社員男性Aさん(31)の捜索を開始。4日午前11時55分ごろ、群馬県警沼田署員が栃木県日光市の五色沼付近の雪の中で男性の遺体を発見。同日は悪天候で、遺体は5日に栃木県警ヘリに収容された。4人は幼なじみで、日光白根山の山頂で初日の出を見ようと入山。12月30日に車で栃木県内から国道120号を通って片品村東小川に入り、菅沼キャンプ場近くから登山を始め、1月2日に下山する予定だった。しかし、金精峠付近の道路は年末から冬季閉鎖中で、徒歩で片品村の登山口を目指した。入山は1日遅れの31日で、登頂は1日午後。猛吹雪で視界はほとんどなく、4人は道に迷った。五色沼付近に2日午前1時ごろ着いた時、死亡したAさんが「気分が悪い」と訴えた。雪洞を掘って4人で入ったが、同4時ごろ、Aさんの意識がなくなり、ほかの3人は助けを求めようと下山を開始。3日午前11時ごろ、五色沼と登山口の中間地点に到着した。当初は3人で下山していたが、途中でCさんが体調が悪くなり、グループから離れた。さらにそこからは、歩くペースがバラバラになり、Bさんは同日午後7時ごろ、金精峠トンネルに着き、トンネル内の非常電話から110番通報。Dさんは同9時55分ごろ、日光市湯元の山荘に助けを求めた。一番後ろを歩いたCさんは、同10時半ごろ、登山口に下山し、除雪車両に救出された。3人は、いずれも手足に軽い凍傷を負った。白根山方面には1日に大雪・雪崩注意報が発令されていた。登山中、死亡したAさんは先頭で雪をかき分けながら進んでいたという。遺体は仲間と一時ビバークした雪洞の中であおむけに倒れ、Aさん名義の運転免許証を所持していた。付近の積雪量は1~2メートルで体の上にもやや雪が積もっていたという(遺体周辺に雪洞は確認できなかったとする報道も)。死因は凍死。現場周辺は標高2170メートルで、1~2メートルの積雪があった。 Aさんの登山歴は約10年で、他の3人は5~1年だという。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、時事通信、上毛新聞よりデータ引用、抜粋)


【考察】
丸沼スキー場に行ったことはあるのですが、そのほかは個人的には全くなじみのない山域なので、地理的条件は地形図を眺めることでしかつかめません。

が、まずは何より、計画段階から疑問が残るケースです。

まず、国道120号が一部区間冬季閉鎖になっていたことは、事前にキャッチできるはずです。
日本道路交通情報センターのHP冬の閉鎖道路のページに、一般国道などに関して予告されています。
これによると、栃木県側の日光市湯元から、県境の金精峠を経て、群馬県側の丸沼スキー場までの区間が12月25日から閉鎖。
車を使ってのアプローチであれば、これは事前に調べておかなければならない点だと思います。
まず、そこから準備不足によるつまずきがあったと考えてしまいます。
行ってみたら土砂崩れや雪崩で道路が通れなくなっていた…というのとは次元が違うのではないでしょうか。

30日に登山口から入山のはずが、31日に登山口を出発。
3泊4日の予定のうち、1日を余分に消費してしまったことになります。
さらに事前に繰り返し報じられていたように、年末年始の天候は大荒れの予報。
ここで踏みとどまれるかどうかがひとつの分かれ道だったのではないでしょうか。

遭難形態からすると、悪天候による道迷いが引き金になっていると思います。
五色沼の南にある避難小屋にたどり着けていれば…と思えてなりません。
吹雪の中で現在位置と進むべき方向を失った。。。。
読図、コンパス、GPS。。。。装備といくらかの訓練があれば。。。。と、思わざるを得ません。
報道は大量にあるのですが、この辺の装備や行程に関しては全く情報がありませんでした。

31日にどこに泊まったのかは不明ですが、あるいは避難小屋に泊まっていたのかもしれません。
元旦に避難小屋まで戻り、2日に下山、というスケジュールだったのでしょうか。
ただ、2日の行程はかなり長いものになり、無理があるという指摘もあるかもしれません。

救助要請について。
トンネル内の非常電話からの通報ということでした。
ことここに至っては、これが最善の道だったのでしょう。
ですが、携帯電話や無線機などの通信手段はなかったのでしょうか?
あれば現場からの通報ができた可能性があり、違う展開もあったと思われます。
通信機器については報道が全くなかったので、この辺の詳細は不明ですが。。。。
携帯も無線も不感地帯だとしても、もう少し早い段階での通報もあり得たと思います。
通信機器の意味、再度考えてみる必要がありそうです。

気になったのは1月1日の行動。
登頂は「午後」とか「昼過ぎ」などと報じられていました。
避難小屋までは頂上から直線距離で約1キロ。
ここを目指していたのではないかと推測します。
ただ、道に迷い、雪洞を掘らざるを得なくなった。。。。。
その時間が、2日午前1時頃。
すでに深夜になるまでの行動というのが、解せない点です。
体力の消耗を考えても、真っ暗になる前に、そして体力にまだ余裕が残っているうちに、しっかりとした雪洞を掘るべきではなかったか。。。。

「午前1時」というのに引っかかりが残るのです。
登頂が「午後」「昼過ぎ」ということなので、「午後1時」の間違いではないと思います。

リーダー格だったAさんが主にラッセルをしていたように報じられていましたが、実際のところは不明です。
ただ、ラッセルを全くしていない人でも、この行動時間なら「気分が悪」くなってもおかしくないのではないでしょうか。

Aさんは疲労に加え低体温症に至り、凍死したと思われます。
早めのビバーク判断をしていれば、消耗を最小限に抑えることができたかもしれません。
どの時点でビバーク判断をするか、そこにも分かれ道があったと思います。

3人で下山を開始したことについて。
Aさんに生還の可能性が残っている状態であれば、1人を付き添わせ、2人が下山すべきでした。
逆にAさんの生還可能性がゼロであったら、3人で下山すべきだったと思います。
2日午前4時、下山を開始した時の状況については「Aさんの意識がなくな」ったとしかないので、詳細は不明です。

当初は3人別々に行動していたかのように報じられていましたが、一緒に行動を開始したようです。
途中から1人遅れ、さらに1人遅れという状況から、いかに消耗が激しかったということが伺えます。
午前1時まで行動し、その3時間後に下山開始となると、当然、厳しいものになるでしょう。
結果的に3人は生還したのですが、2人目、3人目の犠牲が出てもおかしくない状況だったのかもしれません。
最後まで3人一緒の行動をすべきだったかどうかは、この情報だけでは是非が分かれると思います。



死者が出てしまったことは、残念だと言うほかはありません。
ただ、事前の情報収集不足や判断の分かれ目。。。。。。
途中で打てる手だてが、いくつかあったのではないか。。。と思ってしまいます。。。


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テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

  1. 2008/01/07(月) 04:35:00|
  2. 遭難カルテ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
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コメント

残念です

まずは、亡くなった方へのご冥福と、助かったお仲間の心身の早期回復、心からお祈り申し上げます。
真冬の日光白根山は、湯元ルートピストンのみですが、私の慣れ親しんでいるコースです。
 真冬の日光白根山は、栃木県側湯元温泉スキー場から前白根・五色沼避難小屋・奥白根の往復ルートが、もっとも一般的なコースです。
 年末年始でも、雪と天気の条件がいいと、未明に湯元のスキー場登山口から入って、奥白根までらくらく往復できるのですが。
 湯元往復ルートだと、マーキングも多いし、携帯電話も 繋がるところが多い。雪崩の危険箇所もとても少ないし、奥白根山頂直下の壁以外は特別緊張する所が無いので・・・。
 計画段階・金精道路通行止めと知った時に、入山口を湯元に変更する意見は出なかったのだろうか?
 他人の力を当てにする訳ではありませんが、年末年始ですし、誰かしらかは入山している山域・ルートです。悪天の中、山頂アタックまで向かうかどうかは現地の状況がわからないので、ここで確定来ませんが、五色沼避難小屋までは確実に入山者はいます。
 現地で彼らの様子が、他の人の目に触れ何らかの会話があればまた違った結果になったかもしれません。

 金精峠トンネルを歩いて、菅沼の登山口から入山と聞いて、まず、驚きました。あの気象状況ですし、彼らによほどの自信があったのだろうか?
 湯元から入れば、早めに麓から山腹の雪の困難な状態がわかって、計画の再考・変更チャンスがあったのでは?
 登頂後の下山時、ボタンをかけ違った事に気がついた時点で、焦らず(難しい事ですが)早めのビバーク判断、しっかりした造りの五色沼避難小屋を使って欲しかったです。



  1. 2008/01/07(月) 18:20:06 |
  2. URL |
  3. テントミータカ #SVWlgnzY
  4. [ 編集]

計画段階で遭難予備軍?

計画段階での事前調査が全くできていないようです。恐らく冬山の経験は亡くなられた方が一番多かったに違いありません。
わかりませんが、後の方は彼に引っ張られていったのでしょう。いくら若くても、ほとんど1人で先頭をいけば疲労しますし、ルートファインディングも気を使います。力を半ば使い切ったところで体調が悪くなったというか、低体温症になったのではと思います。
菅沼からのルートの方が風雪時には分かりにくいと思います。目だった尾根がありません。まだ湯元ルートの方が良かったでしょう。
リーダーが動けなくなった時に、他の経験の少ないメンバーはどうしようもなかったと思います。初心者の多いパーティーでも登はん技術的な要素はほとんど無いので対象の選定は間違っていると思いませんが、天候も大きな山のリスクです。自分たちのパーティーでどの程度の天候での行動を経験してきたか、風雪時のルートファインディングはなどもう少し計画を検討し、アプローチの調査をきっちりしていれば防げた遭難と思われるだけに残念です。
最近の登山者は自然保護などと言い標識を持参しない人もいますが、たとえ往復であってもホワイトアウトになる可能性のある積雪期の山はやはり持参して欲しいと思います。もちろんできるだけ回収するのが前提ですが。計画段階で遭難予備軍だったような気がします。
  1. 2008/01/07(月) 22:04:22 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

リスクの大きな山行

 今回の遭難のように、低体温症になって身動きが取れなくなって死に至る事故は、これまでにも随分と多く発生してきましたが、今までの教訓が生かされずに何度も再発してしまうのが残念です。

 低体温症になった時の死亡率は、文献によれば20~90%と、マムシに噛まれた時の死亡率のおおよそ100倍に達します。人間の体のコアの部分が低体温になるということは極めて重篤なことで、保温や加温ができない状況ではどんどん重症になって不整脈から心停止に至ります。事の重大性(ハザードの大きさ)という点でもっと注目されていいのではないでしょうか。

 また、今回亡くなった方は、吹雪の中、ずっと1人で先頭に立ってラッセルをしていたとのことですので(1人に負担がかからないようにラッセルは交代するものという考えからすれば極めてイレギュラーな話ですが)、おそらく汗をかいて濡れた状態で、疲労して自身の熱産生量も低下し、さらに風雪にさらされて熱を奪われるなど、低体温症になる確率を最大限に高めています。

 結局、リスクの極めて大きな山行だったと思います。
 
 
  1. 2008/01/09(水) 02:30:11 |
  2. URL |
  3. ちよ #-
  4. [ 編集]

テントミータカさま&よかっぺさま&ちよさまへ。
レス遅れ申し訳ありません。
まとめレスとなりますが、ご容赦ください。


日光白根、やはり何度も足を運んだ方の言葉は重いと感じました。
湯元ルートの概略など、経験者ならではではないかと思います。

>計画段階・金精道路通行止めと知った時に、入山口を湯元に変更する意見は出なかったのだろうか?

考えていくうちに、やはりそこに行き着きますね。。。。
本文にも書いたのですが、金精道路通行止めは、事前につかんでおくべき情報だったと思います。
それがなされていなかった時点で「計画段階で遭難予備軍だった」ということになりかねません。

また、通行止めを知ったときに、最初の「計画の再考・変更チャンス」があったと思います。
そこの時点で湯元ルートに変更していれば、別の展開が開けたと思います。
予定ルートによっぽどのこだわりがあったのか、判断の柔軟性を失っていたのか。。。。

想像の範囲内の話ではありますが、判断も行動も、リーダーにおんぶにだっこの状態だったのかもしれません。
一昨年の唐松の遭難を思い出してしまいました。
(遭難カルテ18 http://yamayakenta.blog51.fc2.com/blog-entry-46.html
あの時はガイドが1人亡くなりました。
リーダーとガイドという違いはありますが、共通する点は多いのではないでしょうか。

ラッセルについて。
詳しく報道されていないのですが、ラッセルを全てリーダーがやったとは考えていません。
他のメンバーも、何度かは交代したと思います。
ただ、リーダーが中心となり率先して・・・という状態だったのではないかと思います。
当然、消耗も他のメンバーよりははるかに大きかったのではないでしょうか。

低体温症に陥る前に。。。。。
リーダー以外は、どうしていいのか、よく理解していなかったと思われます。
また、リーダーが理解していたかどうかは不明ですが、午前1時まで行動していたことを考えると、すでに正常な判断ができないところまで来ていたと考えられます。

また、遺体が発見されたとき、着衣はそのままだったようです。
せめてシュラフに入れて保温に勤めるなどの対策を採っていれば。。。とも思います。

雪洞。
正直なところ、これは訓練が必要ではないかと思います。
何度か雪洞ビバーク訓練もしたことがありますし、実際に本番で雪洞泊もしました。
ですが、悪天候&疲労した体で、短時間できちんとした雪洞を掘る自信は、まだありません。
緊急時の雪洞ビバーク、言葉にすれば簡単ですが、実際にはかなり難しいものだと思っています。
パーティー全体に、そこまでの技量があったかどうか。。。。。
そこにも疑問が残ります。

となると、早めの判断か、避難小屋に転がり込むか。。。。
そのどちらかしかなかったと思います。
今回は、小屋を選択した結果かもしれません。

標識の持参。
赤旗やテープ類のことだと思います。
ルートによっては持って行きますし、標識を発見して救われたこともありました。
どこにでも必要だとは思いませんが、使い方次第ではないでしょうか。
「使っちゃイカン」というのは行き過ぎだと思います。

>今までの教訓が生かされずに何度も再発してしまうのが残念です。

同感です。
ただ、これは低体温症に限ったことではないのが現実でもあります。
一番大事なことは教訓を生かすことだと思うのですが、いろいろなものが邪魔をするのでしょう。。。。

例えば、事故事例から教訓を引き出すには、報告書の存在が重要になってきます。
ただ、遺族や関係者の心情、個人情報保護に壁などもあり、なかなかこれが難しい。。。。
公表することで必要以上の非難や誹謗中傷にさらされる危険もあります。
(そうならないように注意すべきだ。。。。自戒をこめて)

また、情報があったとしても、それを活かしきれない面もあります。
端的な例で言えば、今回の通行止め情報もそのひとつだと思います。
また知っていたとしても「自分は大丈夫」と思ってしまう面も、ないとは言えません。

教訓を引き出し、それを生かす。。。。。
この作業、かなり困難が伴うと思います。
同じような悲劇が繰り返されるのは、つらいのですが。。。。
  1. 2008/01/10(木) 13:04:40 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

午前1時の思い出

実は私も午前1時まで冬山で歩いた記憶があります。関西のある山で夏なら1時間半で歩けるところに小屋があり、午後1時頃登りはじめました。雪が降っており風はなかったのですが、みるみる積もりました。ほとんど根雪が無いところに1日で170センチくらい積もったようです。新雪のラッセルにもがきつづけ、スキーをデポし、小屋用の荷物をデポし、小屋についたのが午前1時をまわっておりました。
もう暗くなってからは小屋に着くことしか考えていなかったように思います。さいわい風がなく、登りであり、小屋があったので何事もなかったのですが、通常の白根であれば半日で十分下れますので、何とか安全地帯までおりたいと暗くなっても歩き続けたということは十分考えられます。小屋の位置も頂上から来るとわかりにくいので気づかずに五色沼の方へ行ってしまったのかも知れません。
標識をうってあれば小屋へ戻ることは可能だったと思います。
  1. 2008/01/10(木) 23:53:52 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

Re:午前1時の思い出

よかっぺさまへ。

午前1時という経験はありませんが、午後9時半というのはあります。
2月の白山で一人でラッセルをしていたときのことです。

まばらな雪模様でしたが、現在地を把握していたこと、樹林帯の尾根筋でテープに導かれていたことから、それほど不安はありませんでした。
とはいえ、避難小屋に転がり込んだときには、やれやれ。。。という感じでした。

>さいわい風がなく、登りであり、小屋があったので何事もなかった・・・

条件はほぼ同じだと思います。
ヘッドランプの明かり、頼もしくもあり、頼りなくもあり。。。。でした。

ただ、進むべき方向や現在位置をロストしていなかったことと、テープがあったことは大きいと思います。
ですので
>標識をうってあれば小屋へ戻ることは可能だったと思います。
というのには、全く同感です。

セオリーから言えば、日が暮れて真っ暗な中、疲れた体で行動し続けることはNGでしょう。
ですが状況次第ということもいえると思います。

今回の事故、下山中の行動では、現在位置を失った点が大きかったのではないかと思います。
現在地を把握していれば、長時間行動でも場合によっては可だと思います。
結果、避難小屋にたどり着けていれば、違う展開になったはずです。
この場合、ルートに迷ってしまったら、次に打つ手は早めのビバークで体力を温存することだったのでしょうね。
  1. 2008/01/11(金) 16:08:17 |
  2. URL |
  3. 管理人 #-
  4. [ 編集]

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