山道を行く

カラダとアタマと心。 すべて働かせるのが山の魅力でしょうかね。

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【遭難カルテ147】 吾妻連峰で男性、12日ぶり自力下山

【概要】
5日午前8時30分ごろ、福島・山形県境の吾妻連峰・西吾妻山に12月30日に入った埼玉県羽生市の会社員男性(55)の行方が分からないと、登山後宿泊予定だった福島県側の吾妻小屋の管理人から福島県警に通報があった。男性は先月30日午前9時45分ごろ、山形県側の天元台高原スキー場最上部のリフトから降りて入山するところを、スキー場職員が目撃。約30キロのリュックを背負い、ワカンを持っていたという。登山道入り口には提出されていた登山届けには、30日に入山し途中2日間テントに宿泊、尾根を縦走し、1日には吾妻小屋へ宿泊するという予定が記されていた。2日に下山し、猪苗代町の温泉へ向かうと知人に話していたという。知人が中村さんと連絡が取れなくなったため4日夜、管理人に電話で連絡。翌5日朝、管理人が福島署に通報した。5日から山形、福島両県警がヘリなどで捜索していたが発見できなかった。
男性は11日午後3時ごろ、福島県側のスキー場グランデコスノーリゾート近くまで下山、スキー場職員を手を振って呼び止め「遭難している者です。警察に連絡してください」と救助を求めた。男性は病院に収容されたが、生命に別状はない。入山後に大雪に遭って迷い、持参した食料は今月2日で底を突いた。翌日からは雪や沢の水、持参した塩や「ほんだし」などの調味料や風邪薬で飢えをしのいでいたという。昼間は歩き回って下山ルートを探し、日が暮れると早めにテントを張りビバークしていた。1日約7時間の行動と決めていたという。救急隊員によると、男性はラジオを持っており、「自身が捜索されているのは分かっていた。ヘリの音も聞こえたがやぶの中を歩いていて合図を送れなかった」と話したという。携帯電話等の通信機器は持っていなかった。燃料が無くなった4日以降、凍傷を防ぐため、ぬれた手袋と靴下を上着の中で体温で暖めて乾かし、頻繁に交換していたほか、身軽になるためいらなくなった荷物を捨てながら移動したという。発見された時点で持っていた荷物はテントと銀マットだけだった。吾妻小屋の管理人によると、男性は十数年前から冬の吾妻に入っており、山の地形や状態は十分理解しているはずという。12月末から今月初めは、大荒れの天候だった。男性はこれまで、吾妻連峰に到着後は同小屋に宿泊していたが、いつもは2人で登ることが多く、単独で入山したのは初めてではないかとみられる。男性は入院先の病院内で「間違いなくダメだと思った。自分の甘さだった。登山はやめるつもり」。事前に吹雪が予想されていたにもかかわらず、登山計画を改めなかったことに、「初めから失敗だった。正月だけで5回も登山したルートで、生意気になっていた」と認識の甘さを認めた。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、時事通信、NHK、山形新聞、福島民友新聞よりデータ引用・抜粋)


【考察】
いやはや、奇跡の生還と言っていいんだろうか。。。。
少なからず驚きました。
無事、自力下山、何よりでした。
ご本人は「恥さらし」と会見でおっしゃっているのがテレビに出ていましたが。。。。


通い慣れた山だけど、初めての単独入山に悪天候。
迷った原因はそのあたりにあるのかもしれません。
年末年始の悪天候は、早い段階でキャッチできたはずです。
が、毎年行っているから、よく知っているところだから…という気持ちはあったかもしれません。
それが「行ける」という決断に作用した部分はあると思います。
地図、コンパス、GPSなどの装備状況が不明ですので、どのように行動したかは見えてきません。
また、携帯や無線機などの通信機器を持っていて、それを活用できていれば、もう少し早い段階での生還もあったかもしれません。
電波の不感地帯にいたのであれば、それも使えなくなります。
が、現地の電波状況次第では有効なものだったのではないでしょうか。


前項の遭難カルテ146との大きな相違点。
迷ったと分かってからの、早めのビバーク判断にあったと思います。
ある程度の長期戦を覚悟して、体力の温存を図る。。。。
ここが生死を分けた一つのポイントだと思います。
年末年始は荒れた天候も、その後は若干落ち着いたこと、幸運だったと思います。
また、雪を溶かさなくても水を手に入れられる沢に行き当たったことも、幸運の一つでしょう。
それらの幸運をつかめたのも、早めのビバーク判断があったからではないでしょうか。

さて、気になったのはザックの中身。
入山時30キロと報じられていました。
単独、積雪期、テントあり、3泊4日(うち1泊は小屋)…。
装備はざっと見積もって20キロ前後で収まるように思います。
ただ、ここに生還のカギとなったものが入っていた可能性があります。
ザックの中身、非常に興味深い点です。
どういった食料がどれだけ入っていたのか、燃料は。。。。。
テレビの会見では、カチコチで食べられずに捨てた「肉や野菜」があったとおっしゃっていましたが。。。。


「○○の判断は間違っていなかった」「遭難したとは思っていない」
これまで見たことのある会見では、こんな感じの言い訳めいた言葉が次から次へと。。。。。。
個人的には、特に年配の方ほどこういう傾向が強いように思います。

今回の方の会見の様子、テレビ数社のニュースで見ました。
背筋を伸ばし、しっかりと前をみて、しゃべる姿。。。。。
出てくるのは、言い訳めいた言葉ではなく、事実関係と反省と謝罪の言葉ばかり。
なんだか胸に響いてくるモノがありました。。。。

「親を残して死ねない」という思いが、原動力になったとか。
家族の意味、改めて思いました。


ご本人は「山をやめる」とのこと。
「やめる」かどうかは、ご本人の決断次第。
家族でも友人でもない、赤の他人がどうこう言うべきものでないことは百も承知です。
ですが、このままやめてしまわれるのは、何とも惜しい気がしました。



NHKのニュースの最後の方で。
  今60歳が若いと言われている。
  自分は55歳で、まだやれると思っていた。
  しかし、体力は確実に落ちている。
  そのあたりの認識も甘かった。

そのようなことをおっしゃっていました。
体力低下が気になっている私としては、とても印象的でした。


世の中高年の登山者、とりわけ高齢の登山者の皆さんは、この言葉をどう受け取ったのだろうか。。。。


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テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

  1. 2008/01/12(土) 23:41:25|
  2. 遭難カルテ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
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コメント

こんにちは。
本当に驚きましたね。捜索が始まった1月5日の時点で、私はもう絶望的だと思っていました。
また、記者会見も1週間ろくに食べていないとは思えないはっきりした受け答えで驚きました。
「遭難した」という現実を受け入れ、「自分の責任」として受け止めていることにも感服しました。当り前のことだけど当事者になると難しいものですから。

なお、装備についてですがこのような記事がありました。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008011202078807.html
>携帯電話は普段から持っておらず、コンパスも持っていなかった。
>ラジオで自分の捜索が行われているのは知っていたという。

積雪期の地形判断はとても難しいです。コンパス無しでどうやって下山する方向を確認できたのだろうと思います。確信の持てない行動を続けることは体力を消耗します。詳細な行動が知りたいですね。ヤマケイあたりで特集してくれるでしょうか。
  1. 2008/01/13(日) 12:13:02 |
  2. URL |
  3. ぴら #-
  4. [ 編集]

ぴらさまへ。

>捜索が始まった1月5日の時点で、私はもう絶望的だと思っていました。

同感です。
データがほとんどないので、掲載を見送るつもりでいました。

現実とどう向き合うか。
おっしゃるとおり、彼の姿勢は、見習うべき点が多いかと思います。
そうでない例のほうが多かったので、余計そう思うのかもしれません。


ご紹介のサイト、拝見しました。
コンパスなしで、道迷い・・・致命的ですね。。。

ヤマケイ・・・特集してくれるかどうか微妙ですが、さて、どうなるでしょうか?
  1. 2008/01/13(日) 21:38:11 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

学ぶべきものは?

生きようという意志は見習うべきですね。ただ、助かったのはかなり運が良かったとしか思えません。また、体力はすばらしいと思います。
そもそもどこで迷ったのかも定かでなく、毎日7時間くらい行動したと語っておられるので、ルートが分かれば道迷いの研究に役立つかもしれません。途中で荷物を捨てたと言っておられるので、思わぬところから出てくるかも知れませんし、実際はごくせまい範囲だったのかも知れません。
しかし、コンパスも持たず視界のない雪山で行動するということは考えられないことですが、その辺の反省は聞こえてきません。情念の言葉がほとんどです。
救助後の話を聞いていてとても違和感を覚えます。すごいベテランのようでもあり、まったく初心者のようでもあります。遭難や事故は1つの要因で起きることは稀です。いくつもの要因が重なり合って起きるものですが、この場合要因が多すぎます。
冬でも30KGの荷物はかなり多いと思いますが、中身が気になります。ラジオは持っており感心ですが、天気図用ではなさそうです。携帯電話はともかくコンパスは持っていって欲しかったですね。
  1. 2008/01/13(日) 23:50:50 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

装備・情念

(遭難予備軍)
 登山届・地図・コンパス・ラジオは、山をやる者として必須の装備です。コンパスさえ持っていない時点で、彼はすでに遭難予備軍です。
 更に、GPS・無線機・携帯を使いこなしていれば、あの茫洋とした吾妻連峰でも、それなりの装備で入山したと、山をやる者の納得を得られたでしょう。※携帯はほぼ圏外の山域ですが。

(気象遭難?・雪の状況の考察)
 彼が、同時期同コースを、単独五回経験のコースだとしたら、無事成功(もしくは撤退)したかもしれませんね。果たして、彼は、このコースを単独で何回歩いたかはハッキリしませんが。単独行でのこの山域での経験値が尤も有効な、彼の経験回数だと思います。
 あの気象状況・雪で突っ込んだのですから、これまでの彼の単独行経験でも、あの雪量の別の山を何回か歩いた経験があるようです。(会見では雪の量が想像を絶したと言っておられますから)歩けたのでしょう。
迷走中、雪崩にあわなかったのも幸いです。


(以下、情念・タラレバの話で申し訳ないのですが)
 知人である彼は、槍穂高が大嫌いな登山者です。彼なりの信念があって、携帯やGPSを使わなかったのであろうけれど、日頃の彼の山の嗜好からいって、人気の少ない・静かな山域に入るのであれば、ましてや豪雪の雪山をやろうとするのであれば、前記の装備を使いこなして欲しかった。
 結果、自力下山できましたが。迷走中の彼に遭難捜索・報道が心支えになった事も大きいです。
(うまく言えないのですが)彼の会見を聞いて捜索側関係者のご努力・気持ちも少しは報われたのではないでしょうか?

 装備・入山時の気象条件への判断は甘かったけど、生還できたのは、彼の生への情念が勝っていたからでしょう。山に限らず死の影を見たとき「逆縁」を痛烈に感じる人は彼だけではない。
 遭難後の彼の行動を鑑みるに、辛抱強く体力気力の限りを尽くして頑張った点は敬服しますが、前記の装備が早期下山に役立っても、邪魔にはならないはずです。


>すごいベテランのようでもあり、まったく初心者のようでもあります。

↑よかっぺ様のコメントが、一番真実の彼の姿に近いように思います。

(最後に)
 遭難報道中「彼なら絶対生還する」と信じていました。日頃の彼の山の様子を知る人は、皆そう思っていたでしょう。なぜ信じることが出来たのか?私には未だに判りません。

>このままやめてしまわれるのは、何とも惜しい気がしました。
↑私もそう思っています。
  1. 2008/01/14(月) 22:06:25 |
  2. URL |
  3. テントミータカ #ZQ51Yodk
  4. [ 編集]

よかっぺさま&テントミータカさまへ。

少しずつ装備などの状況が明らかになっていますが、いまだ分からないことは多いままですね。

迷ってしまったことについて。
コンパスを持っていなかったというのは・・・
「まったく初心者のよう」「コンパスさえ持っていない時点で、彼はすでに遭難予備軍です。」というのは、この部分で強く感じます。
携帯やGPSはまだ理解できるとしても、コンパスを持たないことも、彼の「信念」に基づくことなんだろうか?
もしそうだとしたら、彼の信念って。。。。。。
携帯電話の不感地帯であれば、無線機はどうなのでしょう?
もし不感地帯かどうか分からなくても、念のため、持って行くべきだったのではないかと思ってしまいますが。。。。
「迷わないために」「迷ってしまったときのために」
この2点への対策と、彼の「信念」の兼ね合いはどういったバランスをとっていたのかと思います。

たしかに12日もの間ということですので、本文にも書いたとおり、いくつかの幸運が重なり合った結果とも言えます。
体力的な点や遭難後の行動には見習うべき点があるのですが、????と首をかしげてしまうような点も、同時に存在します。
その辺をさして、「すごいベテランのようでもあり、まったく初心者のようでもあります」という言葉が出てきたのではないでしょうか。

「信念」や「情念」といったもの。
個人的には、彼はそれを強く持っている方だという印象を受けました。
それがもとで遭難し、それがもとで生還した。
そういうことかもしれません。

>遭難報道中「彼なら絶対生還する」と信じていました。
というのは、彼のそんなところを知っていたからなのかもしれませんね。

お二方のやりとりから、もやもやしたチグハグ感が、何となく分かってきたような気がします。


  1. 2008/01/15(火) 19:48:32 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
  1. 2016/06/27(月) 12:10:43 |
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  3. #
  4. [ 編集]

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