山道を行く

カラダとアタマと心。 すべて働かせるのが山の魅力でしょうかね。

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【日々是好日213】 安全検討会と報告書

大日岳訴訟和解で始められた文科省の安全検討会
最終的な報告書がまとめられました。
HP上では、第7回の開催案内まで更新されています。

内容は、正直に言ってあまり具体的なモノではありません。
いろいろな点を上げて、「以上文登研はよく考えてやってね」みたいな感じです。

数時間の会合を7回程度、微にいり細をうがったものを求める方がムリなことでしょう。

とはいえ、おおまかな方向は示されました。
あとは、文登研がどう実行していくかという段階に入ったのでしょう。
で、文登研がこの報告書を受けてどうしていくのか、その課程が見えるといいんですが。。。。
ま、あんまり期待はできないかな。。。。

この検討会に対して、ずっと不満を抱いていた遺族の方たち要望書を文登研に提出しました。



この検討会。
4回目以降は会議終了後に、遺族と国側の話し合いが持たれています。
そのたびに、遺族側が要望→国側が拒否、の繰り返し。
検討会、そもそもは、裁判の和解に基づいてできたものです。
せめて双方が納得できるとまではいかなくても、妥協できるレベルで進めることはできなかったんだろうか。
遺族に対しての国側。
不親切というか、誠実さを欠くというか。。。。。

「検討会作ったんだから、それで十分じゃん!議論の方向性?こっちの勝手だろ!」
遺族のHPから見ると、文科省生涯スポーツ課の鈴木・前課長&坂元・現課長の対応、こんな感じに見えます。


報告書にも文登研の言葉にも、そして遺族たちの声にも、「再発防止を」というのがあります。
積雪期の研修、再開された場合でも、大日岳でやるようです。
ということは、将来的にも、研修会で事故現場を通ることはあるはず。
「同じ場所で同じ事故を起こさないために」という一点においては、「なぜそこで事故が起きたか」は大きな意味を持つと思います。
今回の検討会や報告書は、そこを避けて通りました。
遺族の不満は、突き詰めるとそこに尽きるのではないでしょうか。

ま、文登研や研修会の体制をどうするかも重要な問題であることには変わりありませんが。。。。

以前、何度か触れましたが、航空・鉄道事故調のようなものがあったらなぁ・・・と思います。



当時の講師をされていたガイド各氏。
何の意見も聞こえてきません。

国と遺族、そして、もう一方の当事者だと思うんですがね。。。。

改善すべき問題点、実はわかっているんじゃないですか?
その声が、どれだけ役に立つのか、わかっているんじゃないですか?
そもそも、一度でも、検討会の傍聴に出向きましたか?



ガイド各氏、若い学生を育てようという志を持って、講師を引き受けたんだと思います。
教訓を残す、今後に生かすという作業に、なぜ積極的に関わってこないんだろうか。。。。

ミスをしないに越したことはないけれど、人間である以上、誰でもミスをするはずです。
ミスした後、どうフォローするのかというのは大事なテーマだと思います。
(「ミスはなかった」と言い張るなら、それはそれで・・・)

すでに責任を問う「裁判」という場は終わりました。
フォローするのに、検討会の場が一つのチャンスだったと思います。




事故と現場での判断。
遺族。
今後の方策。

講師であったガイド各氏には、それらに正面から向き合ってもらいたいのだけれど。。。。。



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テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

  1. 2008/08/30(土) 00:02:40|
  2. 日々是好日
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:13
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コメント

ごく普通の感覚であれば、管理人さんと同じ感想を持つのではないでしょうか。

事故から8年経ち、その途中に何回もチャンスがあったものの、当事者は無言を決め込んだ。
それが、関係者の答えなのでしょうね、きっと。

ただ、どうにも理解できないのは、公的な場に出てきて話をし始めている方もいらっしゃる。
http://www.seppyo.org/~tohoku/poster_koenkai200804.pdf

検討会に出席する、遺族に会う、というほうが先だと思うのですが。


  1. 2008/08/30(土) 19:53:19 |
  2. URL |
  3. gp #L9FLFt/w
  4. [ 編集]

gpさまへ。


>公的な場に出てきて話をし始めている方もいらっしゃる。
>検討会に出席する、遺族に会う、というほうが先だと思うのですが。

同感です。
遺族がどう言おうと、やはり正面から向き合うべきだったと思います。
また、遺族の側も早い段階から、講師の方々の検討会への関与を求めていました。

今回の事故を起こしてしまったことで、「公的な場に出るな!」と言ったように、講師であったガイド各氏を抹殺しようというのではありません。
ただ、順番としてどうなの?と。

あえて無言で・・・・・・となると、私には理解できません。
また、今回直接関与していなかったガイド各氏のサイトもいくつかのぞいてみたのですが、この「無言」に関する記述、知っている範囲ではありませんでした。

これって、いったいなんなんでしょうね。。。。。


  1. 2008/09/01(月) 11:54:44 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

RE:ミス

私はこの裁判はミスの有無を争ったのではなく、ミスの原因を争ったのだと思いますが、違うのでしょうか?講師本人も雪庇と一緒に落ちているのですからその判断にミスがなかったと主張しているのではなく、ミスの原因が雪庇がそんなに大きいと予想できなかったと主張しているだけでミスしていないとは言っていないように思うのですが。
それに対し裁判所の判断は仮に雪庇が大きくても例年の稜線から庇の先までの距離をとっておれば今回については事故がおきなかったのだから(これについては個人的には反論がありますが)その距離をとらなかったのは原因についても責任があるとし、それを被告側も認めて和解したわけですからミスを認めず無言というのは外部から見た限りでは何のことかわかりません。
講師たちがどのように判断したかは、裁判で明らかにされており、その判断をまねいたものが要望書の2番にあるように気の緩み、油断を伴うものであったことを認めればそれが真の原因なのでしょうか?

あの事故ではたまたまこういう結果になりましたが、講師も一緒に死んでしまう結果だってありえたわけです。そうなっても講師に対し同じ主張をするのでしょうか?こんな言い方はこの多くの読者からは顰蹙を買うかも知れません。先月の白馬のガイドさんだって事故になれば判断ミスなのです。ミスに至る動機的な分析は事故防止に役立つかも知れませんが、気の緩みや油断があったかとミスの原因を問い詰めても事故防止に役立つとは思えません。

稜線より風下側を通れば事故は起きないということは、一方で稜線の風上側のクラスト側で滑落が起きた時はどうして稜線の風下側の平らなところを通らなかったという判決も出せるということです。真の稜線上を辿らなければ法的責任を問われるということです。これは現在の技術では不可能です。
それこそコンパクトなレーザー装置のようなものを開発し、雪と岩の反射の違いを利用して積雪深をリアルに測っていくことができるようにでもならない限り無理です。(装置はできるかも知れませんが、雪の反射もあり、軽くて電源が長持ちするのは難しいでしょう。でも、できたらいいですね)
ある政党が提案し、ある政党が対案も無く反対し、何も進まずあるいは遅遅として進まず、困っているのは国民だけという状況に似た状況が日本国中いたるところにあります。本当のリスクは先に進めないところにあるように思います。
  1. 2008/09/02(火) 21:28:19 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

よかっぺさんの書き込みを拝見して感じましたことは

1)雪庇のリスク回避&軽減の方法として、先端からの距離を使うのが適切なのだろうか?
2)気の緩みや油断などは「ヒューマン・ファクター」というカテゴリで
  研究が進んでおり、発生リスクを下げる方法も存在する

という2点になります。そしてこの2点について安全検討会が
何も言及していないことが残念に感じます。

  1. 2008/09/03(水) 20:12:15 |
  2. URL |
  3. gp #L9FLFt/w
  4. [ 編集]

よかっぺさま&gpさまへ。
まとめレスとなりますが、ご容赦ください。

裁判について言うと、過失(=ミス)の有無が争点だったとの解釈です。
最終的には、雪庇の大きさについて予見可能だったかどうかの話になり、
予見不可能→判断ミスなし 予見可能→判断ミスあり
というところに向かったのだと思っています。
判決自体は過失の有無で決まったと思っています。
判決には「講師らの登山ルートと休憩場所の選定判断に過失がある」となっていました。

>ミスしていないとは言っていないように思うのですが。

一方で、ミスがあったとの発言もなかったように思います。
そのへんが「ミスを認めていない」につながっているのではないでしょうか。
被告側(=国)は事実上、判決を受け入れる形で和解に応じましたが、講師の方たちは無言のままです。
「ミスを認めず無言」というのは、被告であった国ではなく、講師の方たちについてのことです。

>(これについては個人的には反論がありますが)

この部分は賛否両論があると思います。
ですが、裁判という枠の中では、あれが限界だったのかもしれませんね。。。。

>要望書の2番にあるように気の緩み、油断を伴うものであったことを・・・

この要望書の2番については同感です。
「気の緩み」「油断」など、抽象的というか精神論というか・・・。
ここは単純につきつめても、「気を緩めることなく、油断せずにいきましょう」にしかなりえませんね。。。

ただ、「認める」「認めない」ではなく、gpさまご指摘の
>気の緩みや油断などは「ヒューマン・ファクター」というカテゴリで研究が進んでおり、発生リスクを下げる方法も存在する
というアプローチからであれば、対策が引き出される可能性もあるのかな、と思います。

>そしてこの2点について安全検討会が何も言及していないことが残念に感じます。

同感です。


>コンパクトなレーザー装置のようなもの

もしできたとしたら・・・・ほしいです!
でも、お値段は・・・・と考えると、なかなか厳しいような気がします。。。。


  1. 2008/09/03(水) 22:38:21 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

適切かどうかはわかりませんが、庇の大きさを予測する方法については自分自身の登山ではその方法を使う時もあり、使わない時もありケースバイケースです。基本的にはできるだけ見かけの稜線より風上側を通過するようにしていますが、そこが雪庇上ではない保証はありません。真の稜線がわかってもそこに岩があれば巻く場合もあり、風上側が切れていて通れないときは風下側の雪庇の上を通過したこともあります。もちろんロープで確保しましたが。検討会の議論の中でもこの点はかなり議論されておりましたが、それにまさる絶対的な方法がなかったので結論がでなかったように思えます。ただ研修に限って言えば、講習前の天気の良い時に登って事前に標識を立てるようなことも含め庇の大きさも変化するのでもっと安全な方法を検討する必要はあるでしょうが、それらの山のリスクを検討会ですべて検討するのではなく、そういうリスクをきちんと検討できるシステムを構築しなさいというのが検討会の役割だと私は思います。山に限らずですがリスクとリスクは相反する場合があります。1つのリスクにこだわれば他のリスクが増大することもありますのでそれを検討するシステムを作りなさいというのはしごく妥当な結論だと思います。

私は気の緩みとか油断でその場所を選んだのではなく、確信的に選定したように思えます。もちろん気の緩みや油断のリスクを下げる研究は進んでいるのかも知れませんが、確信的に選んだとすればそれを防ぐ方法を考えなければいけないと思います。その方法が検討会でいろいろ議論され、その一部が研修所に対し提言されていると拝見しました。

ただし、その実現方法は講師の選定も含めて研修所に一任された形です。山のことを知っている方が1人しかいらっしゃらない。本当に研修所でできるの?非常に心配です。でも、見方を変えれば力がないから実現についてももっともっと広く登山界の力を活用すれば良いのだと思います。学者ではなく、今度は登山者の出番ですから2大団体からも委員を出すような形になれば文科省も本気だと思うのですが。そこまで検討会が答申していれば実のある答申だったと残念です。
  1. 2008/09/03(水) 22:40:21 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

通りすがりですが、少し。
gpさんのご指摘に同意。

問題は、雪庇の大きさとか、
どこから雪庇であるか見分ける、という話じゃないでしょ。

雪庇が疑われるような場所で、
27人もの大集団が休憩していたこと。
一言でいえば、休憩場所の選択ミス。

なんでこんな簡単なことが理解できないのでしょうね。
山岳ガイドの江本氏も、山頂で一休みという気持ちはわかるが
ガイドの世界では必ずしも普通の行動ではない、
不確実性を極力減らすということを徹底するので、
今回のような場所で休まないだろう、といっていたかと思います。


  1. 2008/09/05(金) 18:38:14 |
  2. URL |
  3. tadaya #F9oeI9X2
  4. [ 編集]

管理人さん

判決は、最初の問いである
> 1)雪庇のリスク回避&軽減の方法として、先端からの距離を使うのが適切なのだろうか?
について、判断を示していません。

講師は「雪庇先端から10m離れた。これで大丈夫だと思った」が、
原告側は「山稜を特定する方法はいくつもある」が
主な主張でした。

そして、判決は被告側の主張である「先端から10m離れる」という行動形態を採用しつつ
「もっと大きいことが事前にわかっていて不思議ではないから、それが過失である」
としました。

それゆえ、最大の問題である雪庇のリスク回避の方法
すなわち、雪庇先端からの距離で移動ルートを決定する、という方法の是非について
裁判所は判断を示していません。

これが裁判が裁判たる所以だろうと思います。


安全検討会は、事故については裁判で十分に議論した、を
前提にしており、事故の教訓について言及しませんでした。

つまり、上記のような裁判という仕組み自体がもたらす
構造上の欠陥(最も大事な教訓が判決に織り込まれない)について
安全検討会の諸先生方はご理解されていない、ということかと思います。

よかっぺさんは、登山者の登場の番だとおっしゃいますが、
座長を務められた方は、明治大学山岳部の顧問なりであったかと
思いますし、
そういう話ではないと思います。
  1. 2008/09/05(金) 20:23:22 |
  2. URL |
  3. gp #L9FLFt/w
  4. [ 編集]

原告側が主張された山稜の特定方法が一般化しており、リスクの恐れが全く無く、実用的なものであれば裁判もまた変わったかも知れませんが、残念ながらそのような方法はないように見受けられました。どれも一長一短があり、ケースバイケースでしか使えないものであると思います。雪庇の上は古来から雪山に登る重要な登路(特に3月から5月の春山では主要な登路となる)ですから、稜線の風下側にはいるのは非常識ということは登山界の常識とは言えないと思います。

休憩地点の選択ミスについて被告は否定しているのでしょうか?否定したら和解はあり得ないでしょう。27人もの人間が比較的安全という大日小屋で休憩しそこから無休憩で頂上を往復することにはリスクはないのでしょうか?もちろんだから頂上へ行くのはそもそも難しいとか、人数が多すぎるとかいろいろな問題があると思います。そうすると計画・企画段階から見直さなければだめだという検討会の主張が適切である。こんな簡単なことがなぜわかってもらえないのか?理解できません。あそこで休まなければ良いだけというような簡単な問題ではないと思います。

良く存じ上げませんが明治大学の顧問の先生がこの研修会で実際に学生や若者を指導し連れて行く立場の方なのでしょうか?(そういう立場の方もいましたが)誰かが学生や若者たちを指導していかなければならないのです。それは先輩である登山者の責任でしょう。言論の自由がありますから批判は自由です。でも、誰かが失敗すればこのように批判されることを覚悟の上で連れていかなければ、かわいそうなのは若者たちでしょう。そういう話ではないすればどういう話なのでしょうか?いままで指導してきたガイドも大学山岳部のOBなどもみなさん先輩登山者として指導されていたと思います。次はそういう実際に現場で判断される方がどうすれば安全な研修会ができるかを考えていく番だと申しあげているのです。

もちろんgpさんも安全検討会のすべてを否定しているわけではなく、不足があるという主張なのでしょうが、もう全体を前に進める時期だと思います。
これは考え方、アプローチの違いなのでこの件については、私からこれ以上申しあげることはありません。
  1. 2008/09/05(金) 22:28:01 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

よかっぺさんの書き込みを興味深く拝見しました。

> 雪庇の上は古来から雪山に登る重要な登路(特に3月から5月の春山では
> 主要な登路となる)ですから、稜線の風下側にはいるのは非常識ということは
> 登山界の常識とは言えないと思います。
という内容には、正直、驚きました。
なるほど、未だに雪庇踏み抜き型の事故が日本では減らないわけです。

春山でしたら、クラックが入り、それが降雪で隠れでもしたら、
厳冬期よりさらに扱いが難しくなっているでしょうに。。。。


> 休憩地点の選択ミスについて被告は否定しているのでしょうか?
> 否定したら和解はあり得ないでしょう。
判決文等をきちんとお読み頂ければと思います。
裁判では、休憩場所の選択については、触れられておりません。
あくまで登路ルート選定のミス、という扱いです。

登山では、他に妥当な選択肢がない場合、
雪庇上を移動することもありえます。
しかし、移動することと、そこで休むことでは、
リスクは異なる、と考えるのが自然かと思います。

裁判では、休憩地の選定、という話は一切出ず、
登路ルートの選択および稜線の確定方法、という二点でした。
それを指して、裁判の裁判たる所以、と指摘しました。


> 27人もの人間が比較的安全という大日小屋で休憩しそこから
> 無休憩で頂上を往復することにはリスクはないのでしょうか?
> もちろんだから頂上へ行くのはそもそも難しいとか、
> 人数が多すぎるとかいろいろな問題があると思います。
裁判の記録をきちんと読まれることをおすすめします。
各グループにおける講師と研修生のレシオは、適正です。
この点で、研修所はきちんと運営されていたと思います。

27人というのは、いくつものグループが、
同じタイミングで集合していた、という話です。

また、江本氏は『岳人』のインタビューで、山頂で休むというのは
ガイドの世界では一般的とは特に言えない、と答えていましたね。


> そうすると計画・企画段階から見直さなければだめだという
> 検討会の主張が適切である。こんな簡単なことがなぜわかってもらえないのか?
研修会全体を見直そう、という主張は否定しておりません。
前向きなことですし、それはそれで必要かと思います。
ただ、その前に、まず語るべきことがあるでしょう、という話です。


最後の明治大学の件については、
文意がよく理解できませんでしたのでコメントいたしません。

「登山者の出番だ」と、よかっぺさんは言われますが、
もし、雪庇上を登路とすることを常識とする登山家の方が研修所に関与するとしたら
それは、事故を契機として「前に進む」というより、
「退歩」と表現したほうがいいように感じます。

  1. 2008/09/06(土) 16:31:58 |
  2. URL |
  3. gp #L9FLFt/w
  4. [ 編集]

もう言わないと思ったのですが、雪庇がどこをさすかについて登山界に2つの意見があるのはgpさんもご承知と思います。
すなわち崩れやすい庇部分を雪庇という考えと、風下側のすべてを雪庇という考えです。
今回の裁判では、後者の考えが取り入れられたので、後者に沿って発言しております。
私は逆にgpさんの
という内容には、正直、驚きました。
なるほど、未だに雪庇踏み抜き型の事故が日本では減らないわけです。
春山でしたら、クラックが入り、それが降雪で隠れでもしたら、厳冬期よりさらに扱いが難しくなっているでしょうに。。。。
という内容に衝撃を覚えました。春の庇の落ちた雪庇を踏み抜くという表現が理解できません。春に多いのは雪庇が切れてブロック上となり、そのブロックが崩れて落ちる事故はありますが、それは雪庇踏み抜きとは言わないと思います。
いったいgpさんは稜線の風下側を全く使わないでどこの山に登られたのですか?扱いが難しいということはたぶん登路として利用されたのだと思います。もちろん風上側がより易しければ利用されないと思いますが・・・・・・
私の知る限りでは、全く風下側に踏み込まない登山というのは逆に特殊だと思います。風上側に雪洞を掘ったという記録もほとんど見ません。講習会に限定するなら理解しようもありますが、道のない残雪期の山に登るルートを否定されては黙っておれません。

ところで登路ルートの選定に休憩場所は含まれないのでしょうか?休憩場所が仮に登路から離れていてもそこを通れば普通は休憩場所も登路ルートに含まれると思うのですが、休憩場所が含まれないとすれば、休憩場所でおこった事故に登路ルートの選定ミスというのは関係がない話になりますね。
  1. 2008/09/07(日) 16:15:19 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

前項は少し、興奮してタッチが走りすぎました。
申し訳ありませんが、個人に関するところは言い過ぎがありました。関係者のみなさんすみません。

ただ、言いたかったのは雪庇の庇でない部分も雪庇と主張するために
日本中のどこの山でも稜線の風下地形は雪庇であり、進入するのはおかしい
という主張はいかがなものか?ということだけです。

単なる吹溜りや積雪が山の表面に積もっただけの風下地形を
雪庇だと指導すれば、その教育を受けた人間はかえって雪庇の
危険を認識しないのではないか?
また、稜線の風下側への進入を一律に非常識だと教育することも、
もし風上側がより危険であり風上側で事故があれば、訴えられる
恐れがあるし、間違った指導ではないか?

登山は複数のリスクが相反しながら存在しているスポーツだと思います。
1つのリスクを減らすと、別なリスクが増える場合も多いのです。
従ってあまり安易に日本では山の風下側地形に進入しないのは登山界の
常識だなどと言ってほしくないだけです。
私も当時の講師の判断は間違っていると思いますし、この場合より風上側
にも十分なスペースがあったのですから、避けられた事故と思います。
だからと言って真の稜線から1m入ったところは進入禁止の風下側地形とは
思いませんし、場所によってことなりますが、真の稜線の両側に安全に通過
できる巾があるところもあります。
ただ、どこまで安全かを知る手段はいまのところないので、講習会では風上
側に特別なリスクが無い限り、風上側を登路として選定しようということであ
れば納得です。(雪崩講習会などでは雪面観察などで風下側に立ち入ること
もままありますが、管理されたものと考えましょう)
  1. 2008/09/10(水) 21:47:29 |
  2. URL |
  3. よかっぺ #1JQD0tfs
  4. [ 編集]

よかっぺさま&tadayaさま&gpさまへ。
まとめレスですが、ご容赦ください。


基本的には、雪庇を踏み抜いたりしないように注意すべきだと思います。
もっといえば、稜線の風上側を、基本的には通るべし、ということです。
ただ、稜線の状態などに応じて、場合によっては風下側に入るべきケースもあるでしょう。

今回の件は風上側に十分なスペースがあり、あえて風下側に回ったり雪庇の上に乗ったりする必要はなかった→講師のミス、と思います。
このへんについては、みなさんの見解、相違はないと思います。

また、今後の教訓について言えば、裁判はその性質上(?)十分な答えを導き出せない。
ここも同じだと思います。



ここまでのコメント欄のやりとりから、自分の考えを整理してみました。

被告だった国は、一審判決に不服で控訴しましたが、判決とほぼ同じ条件の和解を受け入れました。
これは原告(遺族)側の主張、もしくは一審判決を認めたものなのか。
正直なところ、分かりません。

判決や和解条項の内容に不服があったとしても、裁判の長期化よりはマシ、という選択も可能だからです。
ですので、国が納得して(ミスを認めて)和解したのかどうか、本当のところはわからないままなのです。
ただ、和解条項は

一方の講師の方々。
被告側証人ではありますが、被告ではありません。
この講師たちの無言が、よくわからないのです。

裁判の場では、被告でも原告でもなく、証人という立場でした。
ですが、事故においては一方の当事者です。
また、講習においては指導的立場です。
これからどうするか?という話の時に、「あのときのこれはこうだった」というのは、意味のあるモノだと思います。

なにもないままに・・・というのに、少々がっかりしました。



よかっぺさまのいう「もう全体を前に進める時期」というのは、たしかにそうでしょう。

ただ、裁判では教訓や防止策には不十分。
その不十分だった裁判結果を持って、「十分に議論された」として進められた検討会。

進むべき方向、大筋では、検討会の示した方向性でいいと思います。
ただ、不十分なところを置き去りにしたまま進むのはどうなの?
不十分だったところにも目を配りつつ前に進んでほしいなぁ・・・ということです。


  1. 2008/09/11(木) 23:49:46 |
  2. URL |
  3. 管理人 #MAyMKToE
  4. [ 編集]

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