【概要】
16日午後4時ごろ、北アルプス・剱岳(2999メートル)へ出かけた男女8人のパーティーが下山予定日を過ぎても下山せず、連絡が取れないと同じ山岳グループの関係者から、富山県警に連絡があった。8人は兵庫県芦屋市を拠点とする山岳会アルペン芦山所属で、59~67歳の男性2人と女性6人。17日午前6時ごろ、剱岳の北方稜線上2850メートル付近で三つの簡易テントにわかれてビバークしていた8人を県警ヘリが発見、救助し室堂まで搬送した。一行には疲労が見られるものの、けが人はいないという。一行は12日に室堂から入山。3泊4日の予定で15日に下山予定、16日は予備日だった。15日朝に剱岳中腹にある山荘を出発したあと、山頂を目指していたが、メンバーの一人が15日午前、知人に「いま北方稜線にいる。雨で難儀している」と電話をかけて以降、連絡が途絶えた。剱岳周辺の15日の天候は雨、16日は小雨が降るうえ強風が吹いていたという。一行のリーダーの男性(63)の話では、15日午後4時ごろにガスが立ちこめて視界が悪くなったうえ、足元の岩も雨でぬれていたため、登山の続行を断念。三つの簡易テントにわかれて2晩を過ごし、天候の回復を待っていたという。救助後、上市署を訪れた一行によると、予備の食料は1日分あり、カイロも持っていた。メンバーの女性は「装備は十分だったと思う」と話したが、携帯電話の電波が通じず、無線を携行しなかった点を反省していた。8人が立ち寄った剱岳南東側にある「真砂沢ロッジ」関係者によると、一行はヘルメットやピッケルなど基本的な登山装備は所持していたが、装備は比較的軽く、一般登山者のように見えたという。同ロッジの関係者は「もっと雨が強ければ、体温が奪われて命にかかわる事故になっていた恐れがある」と指摘した。30年以上にわたって富山県警山岳警備隊に在籍し、現在は「剱岳早月小屋」の管理人を務める佐伯謙一さん(60)は「服や装備は立派になったが、山に対する知識に乏しい登山者が目立つようになった。遭難を避けるためには、体力に応じた登山をすべきだ」と警鐘を鳴らす。
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信などからデータ引用・抜粋)
【考察】
2007年9月に、同じく剱北方稜線で、57~69歳の8人が救助されています(
こちら)。
今回は59~67歳ということで、年齢層はほぼ同じ。
警察庁の統計に関する
記事で触れた、遭難者が集中する年齢層にも合致しています。
年齢的な問題とパーティーの規模・力量の問題。
年齢が高いといろいろな力が落ちていきますが、今回のパーティーの力量はどうだったんだろう?
難場を抜けるルートの場合には、人数が少ない方がスピードが速くなります。
ちょっと人数が多いんじゃないかと思いますが。。。。
パーティーを構成する際に、問題にならなかったんだろうか?
「人数が多い方が安心」という考えはあるかと思いますが、今回のようなルートだとそうではないように思います。
また、天候が良ければすんなりと日程を消化できたことでしょう。
ただ、天候が崩れたときに自力での対処ができないのであれば、力量が不足している、ということになります。
本人たちからの救助要請ではなかった点を考えると、ちょっと判断しかねますが。。。。
「装備は十分だったと思う」と話したが、無線を携行しなかった点を反省。。。。
明らかに矛盾してると思うけど。。。。。
ま、それはさておき。
ちなみに12日から14日まで、室堂周辺にいました。
12日は台風の影響で荒天、13日は雨もなく曇りで風も落ち着いていました。
14日は午前中は断続的に雨、稜線は風が強そうでした。
12~15日の予定(予備1日)で、15日にアタックなら、15日中に下山してしまうつもりだったんだろうか?
真砂に立ち寄ったのであれば、千人池方面からのアタックだったのだろうか?
そのあたりは、詳細な計画が分からないので何とも。。。
いずれにしても、ちょっとキツいルートになります。
で、行動断念が15日午後4時ごろ。
日程から考えると、遅きに失した感があります。
15日の天候は雨。
当然、「視界が悪」く「足元の岩も雨でぬれ」ているわけで、この2点を行動断念の理由とするならば、朝の時点で断念できるはず。
そして、結果として16日も悪天候。
このパーティーの天候の判断はどうだったんだろう?
この日の行動内容の詳細が分かれば、朝出発する時点で、どういった判断がなされたのかが分かるのではないかと思います。
下山時に予備の食料が1日分あったことから考えると、17日に自力で下山できた、とも考えられます。
全員が怪我もなくヘリで搬送されたことと併せて「タクシー代わりに使った」という批判も出てくると思います。
一方で、何らかの形で下界と連絡が取れていれば、17日に自力下山し、遭難事故には至らなかったかもしれません。
ですが、15日に突っ込んでしまった時点から歯車が狂ったのではないでしょうか。
ですので、15日に「行く」と決めたところがポイントになるように思います。
朝、「天気悪いから、そのまんま下りようか」とする選択肢もあったと思います。
個人的には、ヘタレなもので、たぶんそっちへ行ったと思います。
また、15日午前中には携帯で連絡が取れていたわけです。
その際に17日まで日程を延長する可能性があることを伝えていれば、違った展開になったのではないかと思います。
無線機のなかったことが指摘されています。
はたして無線機が使えたかどうかは、多少疑問が残ります。
が、持っていたけれど通じなかったというのとは全然違うと思います。
また、8人のメンバーがいれば8台の携帯があるはずで、全滅だったのでしょうか?
少し移動して電波の通じる場所を見つければ、連絡をとることはできたかもしれません。
そのあたり、どのような努力がはらわれたのかは、報告書が出ない限りは不明のままです。
通報が会の関係者からなされたことを考えると、「タクシー代わり」だったのかどうかは、もう少し詳細が見えてきてから、というところだと思います。
さて、この
アルペン芦山という会。
労山に加盟しています。
「今月の山歩案内」のページに、計画の概要などが掲載されていたと思われるのですが、現在はアクセスできなくなっています。
掲示板には、厳しい批判が並んでいます。
HPの管理人と思われる方1人が、ほぼ防戦一方という状態。
「今後この問題を総括して安全登山をしっかりと進めて行きたいと考えています。」
と書き込まれています。
この「総括」が公開され、意味のある内容であることを願うのみです。
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テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ
- 2010/08/19(木) 22:02:14|
- 遭難カルテ
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